【京都市】山科区『中臣遺跡』で2万5千年前からの歴史ロマンを感じる!
京都の山科というエリアは歴史的にも場所的にも面白い遺跡の多くが発掘されています。
その中でも、栗栖野丘陵一帯に広がる集落遺跡のことを『中臣遺跡』と呼びます。
約2万5千年前の旧石器時代のナイフ形石器の発見や、縄文時代の土坑、弥生時代から古墳時代の竪穴住居が数多く発見されているそうですよ!
1500年前のものと伝わる「かまどの部材」なども発掘されました!
この地には中臣鎌足(614~69)の陶原館があった可能性も指摘されているそうですよ。そのため、1969(昭和44)年に地元の高校生によって発見された弥生時代のものと思われる須恵器土器の破片を機に発掘作業がすすめられ、この辺りを「中臣遺跡」と呼ぶようになったそうです。
物部氏や天智天皇とともに「蘇我氏」と対立し、645年「大化の改新」で活躍した中臣鎌足。669年の臨終の際に、『藤原』という姓が与えられ以後、子孫は『藤原』を名乗ることになりました。
この「中臣遺跡」と呼ばれるエリアには、稲荷神、中臣氏祖天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀る『中臣神社(二之宮)』がある中臣公園があります。
過去記事をご参照→「中臣遺跡」と呼ばれるエリアにある『二之宮(中臣神社)』には出世の神様がご鎮座!
京都市立勧修小学校の敷地内には、「中臣遺跡」と書かれた石碑が建ってますよ!
『中臣十三塚古墳群』では、「折上稲荷神社」境内の「稲荷塚古墳」(円墳)と、「田村の森」西方にある「宮道古墳」(円墳)の2つ、そして「坂上田村麻呂の墓」や「花山稲荷」の円墳も挙げられています。
宮道古墳の前には、勧修寺流藤原氏の祖・高藤(900年没)の妻で、醍醐天皇の生母胤子(たねこ)を生んだ列子の墓も見られますよ。
「折上稲荷神社」は「伏見稲荷大社奥宮」「栗栖野稲荷」としても知られ、境内には「稲荷塚古墳」があります。
このエリアには、大石内蔵助が住んでいたこともあり『忠臣蔵』をモチーフにした「義士まつり」などでも知られます。
『義士まつり』で大石内蔵助の『忠臣蔵』を「大石神社」&「岩間寺」で♪
『高津商会』の小道具たちもテレビや映画で大活躍中の『忠臣蔵』、また『義士まつり』でも毎年小道具たちが大活躍してますよ〜♪
歴史ロマンを感じながらぜひとも山科で遺跡探索をされてみてください♪
中臣遺跡公園
所在地:京都府京都市山科区勧修寺東栗栖野町35-6