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米同時多発テロから23年。ニューヨークに住む人々にとって9.11はどんな日だったのか(後編)

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
杉本さんが撮影した動画(PCの写真は筆者が撮影)。

9/11それぞれの記憶 (後編)

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から今年で23年。ニューヨークに暮らす人々はあの日どんな体験をし、何を感じたのか?

23年後の9月11日に寄せて、今年も人々に「あの日」を振り返ってもらった。

自分で撮影した9.11の動画が大反響。23年後に初公開した理由は?

杉本 慧(けい)さん(40代、映像プロデューサー)の証言

現代美術作家である父・杉本博司と絵描きだった母の下、僕はニューヨークで生まれた。11歳から7年間東京に住んだが、それ以外はここニューヨークで育った。

2001年、僕は24歳の学生だった。

厳密に言うと、当時は医者を目指しNYU(ニューヨーク大学)に通っていた。9月の時点の記憶が曖昧だが、6月に大学を卒業し9月に大学院に入学したばかりか、もしかしたら大学院に行く前のブランク期間中でフリーターをしていたころかもしれない。当時バイトを3つほど掛け持ちしていた。

住まいは世界貿易センター(以下WTC)から直線距離で3キロメートルほどのイーストビレッジ地区。貧乏学生だったので家をルームシェアし、車を友人数人と共同で購入・維持していた。駐車場を借りるお金もなかったから車は路上駐車。ストリートクリーニング*のために曜日と時間帯によって路駐できない日がある。よって友人と当番制で車を動かしていた。

  • 正式名称は、Alternate side parking(ASP)and street cleaning(交互路上駐車と道路清掃)。NY市では道路の清掃のため路駐が禁止される曜日と時間帯が決められている。

9月11日。この日は僕の当番だった。警察に違反チケットを切られないようにと朝のうちに車を別の場所に移動させるのだ。外に出ると、アスタープレイス(Astor Pl.)の交差点辺りで人々が立ったままぽか〜んと南の方を見ていた。なんだろう?と思ってその先を見ると、WTCの一棟が炎で燃え上がっていた。

僕はすぐ家に戻り、前日からうちに泊まっていた日本人の友人2人を叩き起こした。アパートの屋上ならよく見えるだろうと、ルームメイトも入れて4人で屋上に上がった。周囲にも同様の建物(4〜6階建が中心)がたくさんあり、住民たちは皆一様にそれぞれの屋上からWTCを見守っていた。誰もが最初はただの火事だと思っていたが、しばらくしたら2機目の飛行機がもう一つのビル(南棟)に突っ込んだのでこれは普通の火事じゃないぞと思い、僕はビデオカメラを取りに行った。

2機目が南棟に激突した瞬間。
2機目が南棟に激突した瞬間。写真:REX/アフロ

画像制作:Yahoo! JAPAN
画像制作:Yahoo! JAPAN

さっき大学時代に医者を目指していたと話したが、その夢は途中で諦め、大学院ではずっと興味のあった映像を学ぼうとしていた。ビデオカメラを初めて手にしたのは高校生の時、ソニー製のパスポートサイズだった。嬉しくてどこでも持って行き撮影していた。

ビデオカメラを手に屋上に戻り、三脚を設置し望遠用テレコンバーターを使ってカメラを回した。チャイナタウンなどあの近辺にいる人たちはどうやって息をしているのかと心配になるほど煙の量がすごかった。撮影時間は全部で1時間近く。この間どういう思いでカメラを向けたのかと聞かれるが、撮影しているときはそこまで深く考えていなかった。

屋上ではほかの住民といろんな話をした。エンパイアステートビルやブルックリンブリッジもやられるかもしれないとか、すべてのトンネルが封鎖されてマンハッタンに入ることも出ることもできなくなるかもしれないなど。しばらくここから動かない方がいいだろうという話になった。

杉本さんの当時の自宅アパートの位置と世界貿易センター(WTC)との位置関係。(出典:グーグルマップに筆者が加工)
杉本さんの当時の自宅アパートの位置と世界貿易センター(WTC)との位置関係。(出典:グーグルマップに筆者が加工)

夕方、1stアベニューを渡ってデリに行こうとしたら、南の方から北に向かって大勢の人が歩いているのが見えた。皆辛そうにノソノソと進んでいた。テロ後に繰り返し観たテレビニュースにより多少自分の記憶がその映像に影響を受けている可能性はあるが、怪我で流血している人もいたような気がする。何より印象的ではっきり覚えているのは、白い粉を全身にかぶった人たちだ。コンクリートや瓦礫の粉末を浴びたのだろう、髪の毛から肌から全身が真っ白だった。

ビル倒壊後、WTC近くの通りで粉塵まみれの男性。
ビル倒壊後、WTC近くの通りで粉塵まみれの男性。写真:ロイター/アフロ

音の記憶はまったくない。しかし自分が撮影した映像のテープを見返してみると、WTCが崩れてから数秒後にすごく低いド〜ンという音が入っている。僕の周りでは人が話をしていたし自分も緊張状態にあったのか、当時はその音に気づかなかった。匂いに関しては翌日なのか数日後なのか明らかに何かが燃えたような、あまり嗅いだことがない変な匂いがうっすらとした。

録画したテープだが、大事なテープはコピー(複製)する習慣があったので、WTCのテープも撮影後にすぐにコピーした。当時アパートの1階に電話帳があり、それで最寄りの警察署を調べてローラーブレードを履いてそのテープを持って行った。しかしテロ直後の警察署はてんてこ舞いの状態で「今それどころじゃないから」と門前払いになった。

そのテープをその後どうしたかははっきりと覚えていない。おそらく押入れにしまった気がする。今のようなYouTubeなどはない時代だから映像をネットにアップする概念はなかった。いつか出そうとかそういう考えもなく、とりあえず高校時代から撮りためたテープがたくさん入っているダンボールの中に入れたんだと思う。

杉本さんが燃えるWTCを撮影したテープ。2001年当時、家庭用の録画にはこのような小型のテープが使われていた。(c) Kasumi Abe
杉本さんが燃えるWTCを撮影したテープ。2001年当時、家庭用の録画にはこのような小型のテープが使われていた。(c) Kasumi Abe

23年後の今年、その映像を自分のYouTubeチャンネルで初めて公開したらものすごい反響があった*。普段の視聴数は知れているし、数時間で約30万回も視聴されるなんてまさか想像もしなかった。翌朝になるとコメント欄も爆発していた。普通のコメントが大半だけど中には心無いコメントもあった。「なぜ映像を20年以上も隠していたんだ?」とか「お前もテロリストの仲間だろ。じゃなければ都合よくこんなよく見えるアングルの場所にいるわけがない」とか「ズームするタイミングもちょうどいいし何時何分に“爆破”されるのを知っていたんだろう」「CIAやFBIに通報するから覚えておけよ」などなど。そんなコメントを送ってくる人たちにとって9.11のテロは「アメリカ政府の自作自演」であり「事前に仕掛けた爆弾でビルが爆破された」というのが話の前提にあるようだ。

とにかく反響の大きさにビビり、翌日その動画はYouTubeから削除した。冷静になってYouTubeの利用規約を調べると、コメント欄をオフにしたり特定の言葉をフィルタリングして拒絶したりできるという。それで設定し直して、“映像の画質を見せるため”に約6分のショートバージョンを再公開した。これも反響が大きくその日のうちに10万回視聴された。「映像はこれで全部?」っていうコメントがあったので、翌日56分バージョンも公開した。

  • YouTubeで話題になった後に地元メディアが「クローゼットから発見された9/11の未公開ビデオ」というような見出しで杉本さんの映像を流用して報じると、さらに反響が広がった。
自身が撮影した9.11の映像を見せる杉本さん。当時愛用していたソニーのDCR-VX2000で撮影したという。(c) Kasumi Abe
自身が撮影した9.11の映像を見せる杉本さん。当時愛用していたソニーのDCR-VX2000で撮影したという。(c) Kasumi Abe

なぜこの映像のアップが今になったのかとよく聞かれる。先ほど「映像の画質を見せるため」と話した。このWTCの動画は当初は“検証”のためにアップしたものだった。最近アップスケールAIソフト、つまり古い映像の画質をパソコン上で良くする技術が格段に進歩しているので古い映像を引っ張り出しその技術を試していた。WTCの映像も4Kに変換してコマ数を増やしたらもっとくっきりとディテールが見えるんじゃないかと実験でやってみた。それで僕が普段からやっている機材やテクノロジー系のYouTubeチャンネルで公開したのだった。

もう一つ、「残さなければ」という思いもあった。数年前に懐かしいテープを再生したら劣化していたり完全に空っぽの状態になったりしているものもあった。せっかく撮りためたものなんだから早くパソコンに取りこまないとやばいぞと数年かけてデータ移行を進めていた。

原案:安部かすみ 画像制作:Yahoo! JAPAN 出典:米各紙より
原案:安部かすみ 画像制作:Yahoo! JAPAN 出典:米各紙より

YouTubeに寄せられたたくさんのコメントを読んでいるとアメリカってこんなに二極化しているんだ、こんなにもまとまっていないんだと気づかされショックを受けた。僕のコメント欄で仲の悪い民主党員と共和党員が喧嘩を始める。「ファックブッシュ」って書いている人は確実に民主党寄りだし、過激思想の人は9.11はアメリカの自作自演だと決めつけている。「悪者のテロリストをやっつけろ。俺たちは何も悪いことをしていない。あいつらがいけないんだ」と言っている人は共和党寄りの人。

そうだ、テロ後のテレビニュースで差別を目にしたのを今、話しながら思い出した。頭にターバンを巻いているインド系らしきタクシーの運転手が街中ですごい剣幕で罵られ「俺はイスラム教徒じゃない。ヒンズー教徒だ」と叫んでいた。頭に何かを巻いているだけで、無知な人からはテロリストだと詰られる。随分と迷惑を被った人も多かったことだろう。

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(Interview, text and some photos by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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