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米軍が中東に追加派兵 “イランの脅威に対抗”――軍事緊張の背後にあるイスラエルのガザ停戦“妨害”とは

六辻彰二国際政治学者
【資料】米海軍空母エイブラハム・リンカーン(2019.4.13)(提供:Mass Communication Specialist 2nd Class Clint Davis/U.S. Navy/ロイター/アフロ)
  • イスラエルとイランの緊張の高まりを受け、米軍は中東に部隊を追加派遣すると発表したが、そのきっかけはハマスの停戦交渉推進役だった指導者をイスラエル軍が暗殺したことだった。
  • アメリカの進めるガザ停戦協議をイスラエルが妨害しているという指摘はアメリカでも珍しくなく、地域の不安定化を加速させるような軍事行動はその一環と捉えられる。
  • ハマスを支援するイランへの対抗措置にアメリカの軸足が移り、ガザ停戦協議がさらに先送りになれば、大統領選挙でトランプに有利に作用する公算が高い。

米軍追加派遣のきっかけ

 ロイド・オースティン国防長官は8月2日、空母エイブラハム・リンカーンなどを中東に派遣すると発表した。ミサイル迎撃システムなども追加派遣されるという。

 記者会見でサブリナ・シン報道官は「イランとその支援を受けた民兵に対抗するため」と述べた。

 中東ではアメリカの同盟国イスラエルとイランの間で緊張が高まっている。

 この両国はもともと1970年代から敵対してきたが、イスラエルのガザ侵攻で関係はさらに悪化している。イランはハマスを支持していて、今年4月にもイスラエルに向けて300発以上のロケットとドローンで攻撃した。

 対立をとりわけエスカレートさせたのは7月31日、イランを訪問していたハマス政治部門指導者イスマイール・ハニヤ氏が空爆で殺害(欧米メディアではしばしば“暗殺”とも表現される)されたことだ。

 この空爆についてイスラエルは関与を明らかにしていない。しかし、多くのイスラエル市民を含め、ほとんどの見方は“イスラエルによる空爆”で、イランは報復を宣言している。

 アメリカは1979年以来イランを“テロ支援国家”に指定しており、その核兵器の製造能力がこの数年で急速に向上したと主張している。

停戦協議の“妨害”

 この顛末だけをみれば、イスラエルの同盟国アメリカがイランに対抗するため部隊を追加派遣することは不思議ではないだろう。

 ただし、バイデン政権が何のわだかまりもなく派兵したとは思えない。

 というのは、バイデン政権の進めてきたイスラエルとハマスの停戦協議が佳境を迎え、緊張緩和が求められているタイミングだからだ。

 バイデン政権は国内外の世論の突き上げを受けて5月に停戦案を発表して以来、「イスラエルは賛同している」と再三主張してきた。しかし、イスラエルのベンジャミン・ネタニヤフ首相は「ハマス壊滅まで戦闘は続く」と繰り返しており、同盟国間の温度差は明らかだ。

 そのネタニヤフ首相は7月末に訪米したが、この際バイデンはそれまでになく強く停戦合意の締結を求めたと報じられている。

 ところが、その前後から停戦協議のブレーキになるアクションも増えている

 イスラエル軍は7月13日、イスラエル自身が“人道的な安全地帯”と位置づけ、多くの避難民が集まるガザ中部アル・マワシを空爆し、90人以上が死亡した。

 さらに7月30日にイランで殺害されたハニヤは、ハマスにおける停戦推進の中心人物だった

 こうしたことから米クインシー研究所のトリタ・パルシ副所長は「ネタニヤフは組織的に停戦協議を妨害している」と指摘する。

 だとすると、イスラエル政府がハマスの背後にいるイランとの緊張をあえてエスカレートさせたことによって、アメリカはガザ停戦協議よりイランへの対抗措置に軸足を移さざるを得なくなったことになる。

“勝利による交渉推進”説

 ネタニヤフ政権が停戦協議に消極的である一因としてよく指摘されるのが、支持率の低下だ。

 イスラエルの放送局Channel12の調査によると、ネタニヤフの支持率は32%に低迷している。

 ガザ侵攻そのものに反対する意見はイスラエルにもあるが、それに加えて人質解放を含む停戦協議より軍事作戦を優先させるネタニヤフ政権の姿勢や、ガザ侵攻以前からくすぶっていた司法改革(ネタニヤフに対する汚職追求を妨げるものとみなされている)への批判などが、政権支持を引き下げているとみられる。

20世紀初頭に東欧のユダヤ人のイスラエル入植を進めた修正シオニスト、ゼエヴ・ジャボチンスキーの記念式典に出席したベンジャミン・ネタニヤフ首相(2024.8.4)。その支持基盤には極右勢力も含まれる。
20世紀初頭に東欧のユダヤ人のイスラエル入植を進めた修正シオニスト、ゼエヴ・ジャボチンスキーの記念式典に出席したベンジャミン・ネタニヤフ首相(2024.8.4)。その支持基盤には極右勢力も含まれる。写真:代表撮影/ロイター/アフロ

「ガザ侵攻終了後もネタニヤフが首相であることを願う」イスラエル市民は15%にとどまるという調査もある。

 そのため「ネタニヤフが政治生命を延命させるためにガザ侵攻を続けようとしている」という見方があることは不思議でない。

 もっとも、これについては別の見方もある。

 イスラエル政府はハマスやヒズボラの幹部を相次いで殺害した“戦果”を強調している。これをクライシス・グループのアズミ・ケシャウィ研究員は、ネタニヤフが停戦協議で利用する可能性を示唆する。

レバノンの首都ベイルートでイスラエルによる空爆で殺害されたヒズボラ幹部を悼む集会(2024.8.1)。
レバノンの首都ベイルートでイスラエルによる空爆で殺害されたヒズボラ幹部を悼む集会(2024.8.1)。写真:ロイター/アフロ

 つまり、“勝者”の立場で有利に交渉を運ぼうとする、という意味だ。

「一方で交渉しながら、他方でプレッシャーをかけるのは、交渉を有利に展開するためのイスラエルの常套手段」という指摘は以前からあった。

 ただし、イスラエル政府が交渉を加速させるためにあえてハニヤなどを殺害したという説には、一つの前提条件がある。その場合イスラエルができるだけ速やかに協議をまとめようとするはず、ということだ。

 ケシャウィによれば、交渉推進派だったハニヤの死亡により、ハマスは停戦協議でより強硬な態度をみせる可能性が高い。つまり、停戦協議が遅れれば遅れるほど、余計にまとまりにくくなる

【資料】現在中東に展開している米海軍空母セオドア・ローズベルト(2020.3.5)。昨年10月以来イランなどによるイスラエル空爆を度々阻止した。エイブラハム・リンカーンの派遣にともない交代する。
【資料】現在中東に展開している米海軍空母セオドア・ローズベルト(2020.3.5)。昨年10月以来イランなどによるイスラエル空爆を度々阻止した。エイブラハム・リンカーンの派遣にともない交代する。写真:ロイター/アフロ

 その意味で、ネタニヤフが“勝利” イメージで国内の強硬派を納得させ、ハマスとの交渉を加速させるなら、ハニヤ死亡の直後にでも停戦に関してメッセージを発してよいはずだが、そうした兆候は見受けられない。

 とすると、“停戦協議の妨害”の信憑性はさらに高くなる。

 それと同時に、イスラエルがイランを煽った結果、アメリカは停戦協議をわきに置いてでも軍事的コミットを増やす方向に否応なく向かわされたという構図も鮮明になる。

米大統領選挙ではトランプ有利の効果

 イスラエルにひっぱりまわされてアメリカが軍事活動を増やすとすれば、それは大統領選挙でドナルド・トランプに有利に作用することが想定される。

ジョージア州での集会に参加したドナルド・トランプ候補(2024.8.4)。大統領選挙を有利に展開しているトランプは第1期政権時代、歴代大統領の中でもとりわけイスラエルと良好な関係を築いた。
ジョージア州での集会に参加したドナルド・トランプ候補(2024.8.4)。大統領選挙を有利に展開しているトランプは第1期政権時代、歴代大統領の中でもとりわけイスラエルと良好な関係を築いた。写真:ロイター/アフロ

 バイデン不人気の一つの原因がガザ侵攻をめぐる対応にあったからだ。

 米CBSによると、イスラエル=ハマス戦争をめぐるバイデン政権の対応を“評価する”という回答は、昨年10月には44%だったが、今年4月には33%にまで下落した。

 また、同じ調査では“バイデンが取るべき行動”という問いで、“イスラエルに軍事活動をやめるよう働きかけるべき”という回答が37%で、“軍事協力の増加(12%)”や“同程度の軍事協力(28%)”を上回った。

 この状況でガザ停戦協議が実質的に先のばしになれば、バイデンの後継者カマラ・ハリスにとっては逆風でしかない(ハリス自身はイスラエルの軍事活動に否定的な発言を繰り返しているが)。

 一方、トランプも「大統領になればガザ侵攻を早期に終わらせる」と発言しているが、ネタニヤフとは古いつきあいがある。2018年、トランプ政権はイスラエルが実効支配するエルサレムを“イスラエルの首都”と認め、米大使館を置いた。

 これは国際法的には問題の多いものだったが、そうであるだけにトランプの方がネタニヤフにとってつき合いやすい相手であることは確かだ。

 とすると、ネタニヤフによるガザ停戦協議“妨害”はバイデンやハリスにとっての引導にもなりかねないのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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