混乱のシリアに生まれる“反イラン=ヒズボラ統一戦線”――暫定政府、クルド人、イスラエルの奇妙な同盟
- シリアの首都ダマスカスが反政府軍によって制圧された混乱のさなか、イスラエルが国境付近のゴラン高原一帯を制圧したが、シリア暫定政府は公式にはほとんど批判していない。
- ゴラン高原一帯を挟んでイスラエル軍と暫定政府軍は対峙しているが、この状況はイランからレバノン南部を結ぶヒズボラの補給ルートを封じ込める効果がある。
- 一方、犬猿の仲にあるクルド人勢力とトルコ支援のイスラーム勢力の間で停戦が合意されたが、これも立場を超えて“共通の敵”イランとヒズボラに対抗する動きの一環とみられる。
シリア暫定政府の奇妙な静けさ
首都ダマスカスが反政府軍によって制圧された12月8日、イスラエル軍はシリアとの国境にあるゴラン高原に戦車部隊を進め、周辺一帯を制圧した。
ゴラン高原はシリア領だが、1967年の第三次中東戦争以来、イスラエルが実効支配してきた。今回イスラエルはさらにシリア内陸方面にある緩衝地帯までも制圧したのだ。
イスラエル軍は住民に外出禁止を命じた一方、「シリア国内の混乱に乗じて国境付近に敵意ある勢力が入り込むのを防ぐため」と、あくまで防衛目的の進駐と正当化している。
とはいえ、これが国際法違反であることは明らかで、国連だけでなくサウジアラビアやカタールといったアラブ各国からも批判が噴出したのは不思議でない。
ところが、反政府軍がダマスカス制圧後に創設した暫定政府は、この件に奇妙なほど静かだ。
反政府軍がダマスカスを制圧した前日の12月7日、イスラエル軍は「国境付近にシリアの反政府軍が駐留している」と指摘し、敵対的な攻撃に出ないよう警告した。
とすると、この地域でシリア暫定政府の部隊とイスラエル軍は対峙していることになる。
しかし、イスラエルによるゴラン高原一帯の制圧について、暫定政府はこれまで批判らしき批判をほとんど展開していない。
暫定政府の母体となった反政府軍は、アルカイダの分派であるタハリール・アル・シャーム機構(HTS)がその中核を占めている。HTSはアルカイダと決別を宣言しているものの、イスラエルに友好的とはいえない。
だからこそ、余計にゴラン高原についての静けさは際立っている。
“共通の敵”ヒズボラ
シリア暫定政府に「国内が混乱しているなかでイスラエルとまともに敵対するのは避けたい」という考えがあっても不思議ではない。
しかし、それだけとも思えない。
ポイントは、ゴラン高原一帯を挟んで暫定政府軍とイスラエルが対峙している状況が、誰にとって最も不利益になるかだ。
それは恐らくヒズボラだろう。ヒズボラは暫定政府、イスラエルそれぞれにとって、当面の最大の敵でもある。
このうち暫定政府にとってヒズボラは亡命したアサド大統領を支える“憲兵”に等しかった。
レバノン南部を拠点とする武装組織ヒズボラはイランの支援を受け、イスラームのシーア派で共通するアサド政権とも密接な関係にあった。
とりわけ2011年に内戦が始まった後、ヒズボラはロシア、イランとともにアサド政権を支援し、反体制派との戦闘の最前線に立った。それはアサド政権に対するヒズボラの影響力をさらに強めたとみられている。
これに対して、暫定政府の中核を占めるHTSは厳格なスンニ派の教義を掲げている。つまり、ほとんどの反アサド勢力にとってイランやヒズボラは政治的にも宗教的にも相容れない。
暫定政府が部隊を駐留させているとみられるゴラン高原一帯は、イスラエルとの国境だけでなくレバノンとの国境にも近い。
イスラエルにとって千載一遇の機会
一方のイスラエルからみても、暫定政府は信用できる相手ではない。
イスラエルはゴラン高原一帯を制圧した後もシリアで空爆を続けている。アサド政権が蓄えていた化学兵器などが暫定政府の手に渡るのを恐れてのものといわれる。
とはいえ、イスラエルにとっての眼前の敵という意味で、ヒズボラは暫定政府の比ではない。
イランに支援されるヒズボラは、1980年代からイスラエルと敵対してきた。ガザ侵攻が始まって以来、その対立はエスカレートしていて、10月にはイスラエル軍によるレバノン地上侵攻も始まった。
そのヒズボラとイランを結ぶ補給ルートはシリア領内にあるとみられてきた。
そのため10月以降、イスラエルはシリア領内もしばしば空爆してきた。破壊されたのは主に軍事施設だが、その目的はヒズボラの補給ルートの破壊にあったとみてよい。
つまり、アサド政権の崩壊はイスラエルにとってヒズボラに壊滅的打撃を与える絶好のチャンスともいえる。ゴラン高原一帯の制圧はシリアからイスラエルに誰も入れなくするだけでなく、シリアからレバノン南部への移動も難しくする。
つまりシリア暫定政府とイスラエルは“反ヒズボラ”の一点では利害関係を共有していて、ゴラン高原一帯で双方が対峙する状況は、少なくとも結果的に、レバノン南部にヒズボラを封じ込める効果がある。
恩讐を超えた“反ヒズボラ”
立場を超えた“反ヒズボラ同盟”は、シリア暫定政府とイスラエルの間だけではない。
シリアの少数民族クルド人の武装勢力は12月10日、アメリカの仲介のもと、シリア民主軍(SDF)系の武装勢力と停戦に合意した。
SDFはこれまでクルド人と激しい戦闘を繰り返してきた。SDFの主なスポンサーは、トルコ国内のクルド人勢力の活発化を恐れたトルコだからだ。
これまでSDFにはクルド人に対する無差別殺傷など戦争犯罪の疑惑も数多くある。
つまりクルド人とSDFはいわば犬猿の仲なのだ。
それが急転直下で停戦に合意した理由については明らかにされていないが、そこにはやはり共通の敵であるアサド政権の残党、そしてそれを支援してきたヒズボラの追い落としを、当面の優先課題にしようとする考え方がうかがえる。
クルド人の多い北東部は、イランからシリアに通じるルート上にある。
そうだとすると、クルド人とSDFの停戦を仲介したアメリカは、シリアにおける“反イラン=ヒズボラ統一戦線”の誕生に一枚噛んでいるといえる。
“共通の敵”が封じ込められたら
ただし、イランやヒズボラに対抗すること以外、暫定政府、クルド人、イスラエルに共通の利害はほとんどない。
繰り返しになるが、暫定政府の中核を占める急進的なイスラーム主義者からみて、イスラエルはもちろんクルド人も「仲間」ではない。同じことはイスラエル、クルド人の立場からみてもいえる。
つまり “反イラン=ヒズボラ統一戦線”は一時的で限定的、そのうえ暗黙の同盟に過ぎないとみた方がいいだろう。
共通の敵に直面する時、立場を超えて協力することは政治や戦争の常だ。
ただし、共通の敵がいなくなれば簡単に分裂するのも歴史の常だ。
ヒズボラがシリアから簡単に追い出されるかどうかは今後の情勢を注視するしかない。しかし、仮にヒズボラがレバノン南部に封じ込められたとしても、それがシリアの安定につながるとは限らない。
ヒズボラ退場はむしろ、暫定政府、クルド人、イスラエルのそれぞれの利害をかえって浮き彫りにするきっかけになりかねないからだ。
イスラエルによるレバノン地上侵攻でヒズボラが大きなダメージを受け、シリアに割ける戦力に限界があることを考えれば、“反イラン=ヒズボラ統一戦線”は短命に終わる可能性も高い。それはシリアの次の混乱を意味しかねないのである。