なぜ5月14日に米国はエルサレムで大使館を開設したかー「破局の日」の挑発
- 5月14日はイスラエルが独立を宣言した日であり、同時にパレスチナ人の「破局」が始まった記念日でもある
- この日に、イスラエルが実効支配するエルサレムで米国が大使館を開設したことは、イスラーム世界からみれば挑発以外の何物でもない
- 高まる批判にトランプ政権は強気の姿勢を崩さないが、これは米国が自分で自分の首を絞めることになりかねない
5月14日、米国の在イスラエル大使館がエルサレムで開設。これに対して、パレスチナ各地で抗議デモが発生し、イスラエル治安部隊の発砲により、ガザでは59名が死亡しました
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これに対して、クウェートが国連安保理の緊急会合の開催を求めるなど、イスラーム諸国から批判が噴出。しかし、米国政府は「死者の増加はパレスチナ側に責任がある」とイスラエルを擁護しています。
三宗教の聖地エルサレムは、ただでさえ宗派間の火種になりやすいものです。また、この街はイスラエルに実効支配されていますが、少なくともエルサレムの東半分をイスラエルのものと認める国際法的な根拠はありません。米国がエルサレムに在イスラエル大使館を移したことは、統一エルサレムをイスラエルが法的根拠なく支配することを認めるものです。
ただし、イスラーム圏から批判が噴出し、エルサレムで緊張が高まるのは、これだけに原因があるわけではありません。
米国がエルサレムで在イスラエル大使館を開設したのが5月14日であったことは、イスラーム世界からみて「挑発」以外の何物でもありません。70年前の1948年5月14日、イスラエルは建国を宣言し、その翌15日はパレスチナ人にとって「ナクバ(破局)」の記念日になっているからです。
破局の日
パレスチナの土地をめぐる争いのなかで、米国は一貫してイスラエルを支持してきました。これはイスラーム世界の反米感情の根底にありますが、5月14日はこの対立を象徴する記念日でもあります。
1948年5月14日、イスラエルは独立を宣言。古代ローマにこの地を追われ、世界に四散し、各地で迫害されたユダヤ人にとって、「国家を持つこと」は2000年の悲願でした。そのため、イスラエルにとって5月14日は、このうえない「慶賀の日」です。
ただし、それはパレスチナ問題のもう一方の当事者パレスチナ人や、それと連なるイスラーム世界からすると「破局」に他なりませんでした。
パレスチナ人とは、ユダヤ人がこの地を空けていた2000年間にこの地に住み着いたアラブ人を指します。イスラエル建国にともない、約70万人が居住地を追われた5月15日は、パレスチナやイスラーム世界で「ナクバ(破局)」の記念日となっています。そのため、そもそも5月14日ははイスラーム世界で反イスラエル感情だけでなく、反米感情が高まりやすい日なのです。
ナクバに高まる反米感情
中東の反米感情は、イスラエル建国のプロセスで増幅しました。
1947年に国連総会では、パレスチナの土地を、もともとこの地に暮らしていたユダヤ人とアラブ人(パレスチナ人)の間で分割する決議が採択。この決議は、人口で31パーセントと少数派のユダヤ人に、パレスチナ全土の57パーセントを割り当てるものでした。
露骨にユダヤ人を優遇する決議は、イスラーム諸国を除く多くの国の支持を集めました。その背景には、ホロコーストなど第二次世界大戦での迫害の記憶が新しかったことや、戦時中ユダヤ人が連合国に協力したことなどがありました。
ただし、この決議が可決した決定的な要因は、当時国連で絶大な影響力を持っていた米国がこの案を熱心に推したことでした。翌1948年に米国大統領選挙を控え、トルーマン政権が国内のユダヤ人の支持を集めたかったことは、「国際的なユダヤ人優遇」に結びついたといえます。
それは裏を返すと、イスラエルの建国プロセスそのものを不公正と捉えるパレスチナ人やイスラーム世界にとって、ナクバが事実上「反米記念日」になりやすいことを意味します。
「パレスチナ難民などいない」
これに加えて、ナクバは数多くのパレスチナ人が「流浪の民」になった日でもあります。
イスラエル建国に反対した周辺諸国は、1948年に軍事介入。第一次中東戦争が始まりました。結果的にこの戦争でイスラエルは支配地域を拡げることに成功しました。独立宣言の段階で57パーセントだったイスラエルの支配地域は、第一次中東戦争が終わった段階で77パーセントにまで拡大していたのです。
その一方で、この戦争で難民となったパレスチナ人の多くは、いまだに周辺諸国の難民キャップやイスラエル支配地域などで不自由な生活を余儀なくされており、所得水準も低いままです。現在では、難民の三世、四世の世代も珍しくありません。
国際法上、難民には「帰還する権利」があります。ところが、第一次中東戦争で居住地を離れたパレスチナ人のほとんどは、イスラエル支配地域にある、もとの居住地に帰還できないままです。それはイスラエルが彼らを「難民」と認めていないからです。
イスラエルの公式見解によると、第一次中東戦争の最中、侵攻していたアラブ諸国の部隊がパレスチナに、戦闘に巻き込まれないよう、居住地から立ち退くことを求めたといいます。この呼びかけに応じて、「戦闘が終われば帰れる」と信じた人々が「自発的に」居住地を離れたのだから、彼らは「難民」ではなく、空白地帯となった土地にイスラエル軍が侵攻したことも不法でない、とイスラエルは主張します。
これに対して、アラブ諸国は「立ち退きを呼びかけていない」とイスラエルの主張を否定しており、「イスラエル兵が無差別の虐殺を行い、これを恐れたパレスチナ人が離れた後で土地を奪った」という立場です。
混乱の中ですから、どちらの言い分が正しいかの検証は困難です。しかし、確かなことは、第一次中東戦争の結果、数多くのパレスチナ人が行き場をなくし、イスラエルの支配地域にある、もとの居住地に戻りたくても戻れないことです。
「国なき民」として迫害されたユダヤ人がイスラエルを建国したことが、少なくとも結果的に、別の「国なき民」を生んだことは間違いなく、しかもその状態は現在進行形で続いているのであり、5月14日はこの「破局」を象徴する日なのです。
驕るトランプ政権
こうしてみたとき、米国政府が5月14日にエルサレムで在イスラエル大使館を開設したことは、イスラエルの独立記念日に花を添えるものではあっても、イスラーム圏からみれば挑発以外の何物でもありません。
ところが、米国政府は「現実を受け入れただけ」と強調し、イスラエルによるエルサレムの実効支配が続く現状を受け入れることが「現実的」だと主張したうえで、それでもイスラエル・パレスチナの和平を仲介する意思を示しています。この強気で傲慢ともいえる姿勢は、トランプ政権の真骨頂かもしれません。
ただし、それは「敵に塩を送る」ことにもなりかねません。
パレスチナ問題は公式にはイスラーム世界全体で取り組むべき課題で、実際にはともかく、どの国もこれに消極的なそぶりを見せることすらできません。そのなかで、エルサレムへの大使館移設問題で、とりわけ米国を強く批判しているのは、パレスチナの武装組織ハマスを支援してきたトルコやイランなど米国と距離を置く国です。
一方、イランへの敵意で米国と共通する同盟国サウジアラビアは、従来の方針を見直し、イスラエルとの関係改善を模索しています。サウジの実権を握るサルマン皇太子は、形式的にはイスラームの重要性を否定しませんが、実質的には国家主義者といえます。そのため、エルサレムへの大使館移設に関しても批判のトーンは抑え気味です。
この状況は、イスラーム世界においてサウジの求心力を低下させ、トルコやイランの影響力を強めることにもなり得ます。すでにカタールやアラブ首長国連邦など、サウジの足場であるペルシャ湾岸の君主国家でもサウジへの離反の動きがみられるなか、エルサレムでの大使館開設により米国は自分の首を絞めることになりかねないのです。