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加古川線への転用から20年 7編成14両が活躍を続ける国鉄通勤型電車 103系3550番台

清水要鉄道・旅行ライター
加古川を発車するM8編成

 国鉄時代の昭和38(1963)年から昭和59(1984)年までの21年間に3447両が製造され、北は仙台から西は福岡まで全国各地の大都市圏で活躍した通勤型電車「103系」。通勤型の代名詞とも言うべき同形式だが、最終増備車ですら車齢40年を数える今、現役を続けているのは全製造車両のわずか1.4パーセントに過ぎない。加古川線の2両編成7本14両、播但線の2両編成9本18両、筑肥線の3両編成5本15両の計49両しか残っていないのだ。今回はそのうち加古川線で活躍する3550番台を紹介しよう。

電化前の加古川線で用いられていたキハ40
電化前の加古川線で用いられていたキハ40

 山陽本線の加古川を起点に、加古川に沿って北播磨へと分け入る加古川線に103系が導入されたのは、平成16(2004)年12月19日のこと。気動車が走る非電化路線だったのが、電化されたのだ。電化の理由としては災害で山陽本線が不通になった際の迂回路としての役割を期待されてのこととされているが、離れ小島のように気動車が残っている加古川線を電車に統一することで運用効率化を図るという目的もあったことだろう。

ラッシュ時は3両で運転される125系
ラッシュ時は3両で運転される125系

 電化に際しては新型車両125系4両とともに103系3550番台8編成16両(M1~M8編成)が導入された。素人目には一つの形式に統一したほうが運用も効率化できそうに思えるが、ラッシュ時と日中、線内の区間によって需要に大きな差がある加古川線においては、2種類の異なる電車を使い分けた方がよいと判断されたのだろう。

 125系は単行(1両)でも走ることができ小回りの利く電車だが、車内はセミクロスシートで座席も少ない。また、扉は両端に二つあるだけなので乗り降りにも時間がかかり、多くの乗客を運ぶのにはお世辞にも向いているとは言えない。利用者が少ないローカル線でこそその真価を発揮できる車両と言うべきだろう。

 一方の103系3550番台は最低でも2両編成で、連結すれば4両でも使える。車内はロングシートで詰めこみも利き、扉が4か所あるので、乗り降りにも時間がかからない。元が大都市で多くの乗客を運ぶことを想定して開発された電車だけあって、朝夕に多くの通勤・通学客を運ぶのには向いている。ただ、最低でも2両編成ということを考えれば、日中の閑散時間帯は持て余してしまうだろう。

M3+M4編成の4両編成
M3+M4編成の4両編成

 結果として乗客が多い加古川~厄神~西脇市間は103系が主力として運転され、乗客の少ない西脇市~谷川間は125系が主力として運転されることとなった。125系は加古川~西脇市間でも日中を中心に運転されるが、103系が西脇市~谷川間に入線するのは125系が検査などで足りない時に限られる。

 利用者が多い加古川~西脇市間では103系を2編成連結した4両編成も電化当初から運転されていたが、利用者減により令和4(2022)年3月12日ダイヤ改正で消滅した。

M5編成
M5編成

 加古川線に導入された103系はいずれも中間車から改造された車両で、103系の原型とは似ても似つかない貫通形の前面デザインとなっている。扉を挟んで腰部に配置された前照灯は国鉄末期に導入された105系や119系を連想させる。気動車時代から引き継がれたエメラルドグリーンに、グレーのアクセントが窓周りに入った塗り分けは、電化で刷新された加古川線をアピールする目的もあっただろう。

 種車となった中間車は昭和53(1978)年から54(1979)年にかけての製造と、103系の中では比較的新しい車両が選ばれたものの、当時ですら車齢は25~6年程度。電化で置き換えられるキハ40と同世代か少し古いくらいだった。車内は体質改善工事により当時最新型の207系と同等になっていたものの、125系と比べると他線からの「お下がり」という印象は拭えない。ちなみに改造前の種車は大阪環状線や大和路線で運用されていた。

 また、8編成のうちM5、M6、M8の3編成には霜取り用のパンタグラフが増設されている。架線に付着した霜を除去するためのもので、冬期はパンタグラフを2つ上げて走行する姿を見ることができる。撮影するなら冬の方がおススメだ。

西脇市に停車中のM6編成
西脇市に停車中のM6編成

 西脇市出身の世界的芸術家・横尾忠則氏によるデザインのラッピングも行われた103系だが、現在はすべての編成が同じ塗装で運転されている。改造からも今年で20年、車齢は約45年とそろそろ置き換えられてもおかしくない。今年1月16日にはM2編成が廃車となったが、これは4両編成消滅により運用が減少したことによるものと思われる。

 今のところ同じ県内の播但線とともに置き換え計画などは発表されていないものの、たったの7本、播但線と合わせても16本しかいないことを考えれば、置き換えにそれほど時間はかからないだろう。乗ったり撮ったりするなら早めに行動しておきたいところだ。本来の103系とは姿形こそ別物だが、改造を重ねて走り続ける車両もまた美しいものである。

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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