Yahoo!ニュース

広島東洋カープは『マネーボール』の夢を見る(見た)のか?──リーグ首位を走るカープの戦略は?

松谷創一郎ジャーナリスト
2014年8月19日、マツダスタジアムにおける広島対DeNA戦(筆者撮影)。

 本稿は2011年に執筆した映画『マネーボール』のレビューである。それから13年を経たいま、広島東洋カープの軌跡を振り返ると隔世の感がある。当時、長い低迷から抜け出せなかったカープは、2016年から2018年まで3年連続でリーグ優勝を果たした。だが、その後は4年連続でBクラスに低迷。浮き沈みの激しい13年間だった。そして昨年、カープは2位でシーズンを終え、今年は9月に入った現在も僅差ながらリーグ首位を走っている。
 この記事で論じられた「保守性」と「革新」のバランス、そして資金力の制約の中で新井貴浩監督と藤井彰人ヘッドコーチの戦略的な采配は、どのようにチームの成績に影響を与えたのか。本稿を現在の視点から読み返すことで、プロ野球における経営と戦略の重要性を再考する機会となるだろう(初出:朝日新聞社『論座』2011年11月22日)。

カープの低迷と資金力の問題

 今年(※2011年)もカープは5位だった。この順位は、ファンからは「定位置」と呼ばれる。1998年以降の14シーズン中11回も5位だからだ。優勝したのも20年前の1991年が最後。2005年に創設された楽天を除くと、もっとも優勝から遠のいているチームとなった。

 私が子供の頃、カープはとても強かった。1975年の初優勝から1991年までの17シーズンで6回も優勝したほどだ。そんなチームが低迷している原因は明らかだ。資金力が乏しいのである。1993年のフリーエージェント(FA)制施行と、同年から2006年まで続いたドラフト会議における逆指名制度・自由獲得制度は、カープにとってはとても不利に働いた。

 周知のとおり、カープは12球団で唯一親会社を持たない独立採算のチームだ。その資金力の弱さは、選手総年俸に如実に表れている。2011年シーズンは、12球団でもっとも少ない18億4100万円だ。トップの巨人は38億3410万円なので、その半分にも満たない。

2008年8月12日、旧広島市民球場における広島対中日戦(筆者撮影)。
2008年8月12日、旧広島市民球場における広島対中日戦(筆者撮影)。

『マネーボール』──データ分析が変えた野球界

 しかし、この低迷を資金力のせいにばかりしていいのか? 実話をもとにした映画『マネーボール』は、この問いにひとつの答を導く映画だ。

 主人公は、ブラッド・ピット演ずるビリー・ビーン。彼は、オークランド・アスレチックスのGM(最高責任者)だ。ディビジョンシリーズに進んだ2001年シーズン終了後、資金力の乏しいアスレチックスは、チームの柱であるジェイソン・ジアンビやジョニー・デーモンをFAで放出することを余儀なくされていた。

 そんなある日、ビリーはイェール大卒のピーター・ブランド(ジョナ・ヒル)と出会う。ピーターは、野球を統計学的に解析したセイバーメトリクスに明るく、ビリーはその才能を買う。そしてアスレチックスは生まれ変わっていく──。

 原作は、2003年に出版されたマイケル・ルイスのノンフィクションだ。費用対効果を重視した経営学的要素も強いこの本は、瞬く間にベストセラーとなり、野球が盛んではないヨーロッパでもヒットした。そして、映画『ソーシャル・ネットワーク』を手がけた脚本家のアーロン・ソーキンは、この原作を素晴らしい潜在能力を有しながらも野球選手として大成しなかった人間ドラマとして料理した。

 ビリーとピーターが重要視したのは、打者の出塁率だった。出塁率は、ヒットだけでなく四死球数も含めて算出される。現在も野球では打撃能力の指標である打率が重視されるが、それよりも彼らは出塁能力──アウトにならない確率を重要視した。アスレチックスは、この観点から肘を怪我した捕手のスコット・ハッテバーグや、ベテランのデイビッド・ジャスティスなどを獲得する。ハッテバーグには未経験の一塁守備を任せる大胆さだった。ビリーはあくまでも守備力よりも出塁率を重視したのだ。

 しかし、その道のりは必ずしも平坦なものではなかった。映画の冒頭、来季の選手編成のためのミーティングで、スカウト陣は独自の感覚的な選手評価を次々と口にする。曰く「見た目がいい」「彼女がブスだ」。シーズンが始まっても、アート・ハウ監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)はハッテバーグを一塁手としてなかなか使おうとしない。ビリーは、ピーターとともにこうした旧態依然の野球界を変えていく。

ビリー・ビーンの革新と葛藤

 そこにあるのは、感情(感覚)と理性(論理)、あるいは保守と革新という、とても古典的かつ普遍的な対立だ。しかし、この作品が秀でているのは、単にビリーと周囲の関係だけでその図式を描かなかった点にある。

 その対立は、ビリーこそが自らに抱えていることだった。ふだん温厚な彼はいったん感情的になると、ものを投げるなどして当たり散らす。頭に血がのぼって冷静でいられなくなるので、決して試合も観ない。試合中はクラブハウスのジムでトレーニングして気を紛らわせながら、ときどきラジオをつけて戦況を確認する。そう、ビリー自身も感情に任せる自分と戦っているのだ。

 そもそもピーターをGM補佐として招くとき、その決定打となったのは、ビリーの質問に対してのピーターの回答だった。鳴り物入りのドラフト1位として入団したビリーは、若き日の自分のドラフト順位をピーターに尋ねたのだ。ピーターはこう返した。

「私なら、あなたはドラフト9位指名です」

 自分と異なる意見・価値観を持つ存在=他者だからこそ、尊重し、積極的に活用する。この映画が、費用対効果を重視した経営者の成功物語に留まらないのは、こうしたビリーの抱える内なる他者との葛藤を描いたからだ。

2011年9月19日、カリフォルニア州オークランドの『マネーボール』プレミア試写会におけるアスレチックスの松井秀喜選手と主演のブラッド・ピット
2011年9月19日、カリフォルニア州オークランドの『マネーボール』プレミア試写会におけるアスレチックスの松井秀喜選手と主演のブラッド・ピット写真:ロイター/アフロ

日本プロ野球界への『マネーボール』の影響

 ここで日本のプロ野球界の話に戻ろう──。

 この『マネーボール』理論は、本が出版された2003年以降、日本球界にも導入されるようになった。それで成功したのは、北海道日本ハムファイターズと千葉ロッテマリーンズだ。それまで低迷していたこの両チームは、MLB出身のヒルマン、バレンタイン両監督の方針のもとセイバーメトリクスを使ったデータを駆使し、ともに日本一になるなど、大きく生まれ変わった。

 この時期、もうひとつMLB出身監督を招聘したチームがあった。それが広島東洋カープだった。2006年に就任したマーティー・ブラウンも、セイバーメトリクスのOPS(出塁率と長打率を足した数字)に注目するなどして、チームを変えた。すべてが上手くいったとは言えないが、新井と黒田を失った翌年の2008年には、Aクラスまでもう一歩のところにまで迫った。

 しかし『マネーボール』が描いたように、重要なのはやはり編成だ。ヒルマンやバレンタインと違い、ブラウンにはフロントのバックアップがさほど見られなかった。

 カープ球団が、大胆なチーム編成に乗り出せない理由もある。FA流出と年俸の高騰を回避するために、引退後も仕事を保証するコーチ手形を乱発しているからだ。そこには、ビリー・ビーンのようにトレードで効率良く選手を獲得するといった発想の入る余地はない。

2006年10月21日、ドーハアジア大会の聖火リレーを行う広島東洋カープのマーティー・ブラウン監督
2006年10月21日、ドーハアジア大会の聖火リレーを行う広島東洋カープのマーティー・ブラウン監督写真:アフロスポーツ

カープの課題──保守性からの脱却

 カープを縛っているのは、やはりその保守的な精神性だ。実力が埋もれている他チームの二軍選手を積極的に発掘することはせず、ベテラン中堅選手を薄給で保持する。その結果が、5位という「定位置」だ。そこにはびこるのは、旧態依然とした体制から脱却できない保守性でしかない。ビリーが自らに向けたような批評精神や葛藤は、そこには見受けられない。

 果たして、カープの松田オーナーは、映画『マネーボール』を観るのだろうか?

13年後の補足

 この記事を発表した3年後の2014年、広島東洋カープには大きな変化が訪れた。2008年にFA宣言で阪神に移籍していた新井貴浩が復帰し、同じく同年にFAでアメリカに渡った黒田博樹も戻ってきた。

 現役メジャーリーガーとしてニューヨーク・ヤンキースで活躍していた黒田の復帰も大きな驚きだったが、自由契約となっていた新井の復帰はそれまでの広島には見られない姿勢だった。それまでカープをFAで離れた選手の復帰を認めたことはなかったからだ。

 この記事で指摘した「保守性」からはこうして脱却した。そして、このふたりの復帰こそが、3連覇につながった。新井貴浩は26年ぶりの優勝を飾った2016年に、大谷翔平とともにMVPを獲得。黒田はその優勝を見届けるかのように、引退した──。

2016年9月2日、神宮球場におけるヤクルト対広島戦でヒーローインタビューを受ける新井貴浩選手(筆者撮影)。
2016年9月2日、神宮球場におけるヤクルト対広島戦でヒーローインタビューを受ける新井貴浩選手(筆者撮影)。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

松谷創一郎の最近の記事