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『海に眠るダイヤモンド』が本当に描きたかった壮大な主人公は誰なのか

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

ドラマの真の主人公

『海に眠るダイヤモンド』は、軍艦島(端島)のお話だった。

ドラマの主人公は、島そのものだったのではないか。

いまは廃墟として長崎の沖に浮かぶこの島は、かつて、数千人の人がひしめきあって生きていた。そこには人間のいくつもの生活があった。

ドラマは人それぞれを描きつつ、「昭和のある特殊な街」を見事に再現していた。

人のほうが背景であり、描きたかったのは「端島そのもの」だった感じがする。

見終わってそうおもった。

それぞれの内面までは深く切り込まない

登場人物たちは、それぞれの悩みを抱えていた。

でも、リナ(池田エライザ)をのぞき、そんな大変なものを抱えていたわけではなさそうだ。

現在(2018年)の舞台でもホスト玲央(神木隆之介)は借金が大変そうであったが、本人は気楽そうだった。

それぞれの人間を、そこまで深く内面まで切り込んでいったわけではない。

それぞれの悩みを浮き彫りにして、それはそのままにしてあった。

ドラマ考察する人たちを活気づけるのが狙いだったわけではないとおもうが、でも人の描写がやや不親切だったのは、それは物語のメインが「ひとつの街の浮沈」にあったからだろう。

人を超えた大きなものを描く

街そのものの浮沈の気配を伝えるために、人それぞれの物語が使われている感じだった。人がいくつも描かれ、大きな物語となる。

このドラマは、端島が元気盛んな昭和30年(1955)から、閉山して島から総員退去、廃墟の島となる昭和49年(1974)までを描いている。

平成から令和にかけての「現在」の物語部分は、これは、昭和の話を掘り下げるためのサイドストーリのような扱いに見えた。

圧倒的だったのはやはり復元映像である。

廃墟をいきなり復活させる見事さ

物語は2018年を舞台に始まった。

いまは廃墟となった端島(軍艦島)の風景が映し出される。

廃墟も壮観なのだが、それが時代をさかのぼり、元気だった端島に船が向かうシーンに変わる。

現役だったころの端島が映し出される。

見事だった。

昭和30年の端島がそこにあった。

なんかそれだけで震えるような感動がある。

廃墟も70年前には、幾多の人がうごめきあい、すれちがい、生きていたのだと、それだけで心動かされる。映像の力だろう。

昭和30年代の端島が再現されて感動するわけ

昭和30年の端島が再現されると心動かされる。

ただの昭和人のノスタルジックというだけではないだろう。

死んだ街も、いきいきとしていた時代があるということは頭ではわかっているのだが、映像で見せられると、それは力技で強引に現出させると、身体的に驚く。

たぶんその「リアルに遡る力」に感動しているのだとおもう。

廃墟が、あっというまにいきいきとした空間となるシーンがとても素晴らしかった。ドラマの芯にあった。

「街の半生」を描いた珍しいドラマ

人の半生を描いたドラマというものはある。

でも、「街の半生」を描いたドラマは、あまり見た覚えがない。

そもそも街が或る日を境にぷっつりと死に絶える、という光景をあまり知らないからだ。

でも日本にはあった。端島にあった。

昭和30年代には元気いっぱいだったけど、昭和49年になくなり、そのまま放置されて廃墟化している街。それが端島である。

『海に眠るダイヤモンド』はそれを見せてくれた。

明治期から邁進し、昭和の高度成長とともにあった街が、ちょうど高度成長が終わった直後に閉鎖されるさまを描いて、やはりその壮大さには胸をつかれる。

鉄平と朝子と街の悲哀

もちろん島そのものに人格があるわけではないし、島は喋らないし恋はしない。

なので、その島に生きる若者たちに焦点をあて、その人たちの昭和30年から平成にかけての人生を追うことで、その島の人生そのものをトレースしてくれた。

昭和の主人公鉄平(神木隆之介)は、端島にその後半生も支配されていたようなものだったし、平成令和のヒロイン朝子(宮本信子)もまた、端島でついに現れなかった鉄平への強いおもいを抱いたまま人生を生きていた。

鉄平と朝子を描いて、端島そのものの悲哀が伝えられた。

朝子の哀しい物語

死んだ島にも若いころがあった。そういうことだ。

いろんな人が登場したが、端島が終わったあとの人生は丁寧には見せてくれない。

最後に回想で触れられたばかりだ。

きちんとドラマの最後まで出ていたのは朝子(杉咲花→宮本信子)である。

それは彼女の心が、ずっと端島の待ち合わせの夜に残ったままだったからだろう。

結婚するつもりだった鉄平が約束の場所にあらわれず、そのまま彼女の人生の前から消えた。哀しい話である。

海に眠る「ぎやまん」というダイヤモンド

鉄平(神木隆之介)はそのままやくざに殺されないために逃げ回る半生だった。

今生では二人は二度と逢うことがなかった。

そして、鉄平は、ぎやまんの器を晩年になって端島に置いていた。朝子がかつて「ダイヤモンド」と呼んでとても欲しがった器である。

廃墟となった現在の端島で、ダイヤモンドという言葉を聞いて、朝子は廃墟に駆け入ろうとする。

二人の人生が60年を超えて、一瞬、交錯した。

でも止められる。

ぎやまんは「海に浮かぶ廃墟に眠るダイヤモンド」として残っている。

朝子は、それさえも眺めることがなかった。

街が廃墟になると、いろいろと哀しい。

街はいつかなくなる

ドラマラスト近くに、鉄平が逃げ出さず、リナも島に残ったままの夢想のようなシーンが流れた。

島の物語として見るなら、これは、「端島が閉山にならない世界線」として描かれたものだったのだろう。

こうあったらよかったのに、というシーンが描かれて、ただ感傷的に描かれて、だから胸をつかれる。

街もいつかなくなる。

人はいなくなる。

そういう寂しさが通底した物語であった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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