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大人の日帰りウォーキング ひとり旅の私、偶然相席になった人にお裾分けを頂いてマナーに戸惑った話

わか子ライター
秩父三十四観音霊場巡り

「今日は何処から歩かれているの?」

全国にある霊場巡り。秩父三十四観音霊場は、西国三十三か所、坂東三十三か所と合わせて日本百観音霊場の1つであり、結願すると信州の善光寺にお参りをする習わしがある。その秩父三十四観音霊場巡りの旅を日帰りで歩き繋げて今回で6回目になる。今日は三十三番と最後の札所(札所)になる三十四番にお参りする日となり、総歩行距離が100kmを越える長い旅も最終日となった。

シングルおばさんである私は1人で歩く旅を楽しんでおり、道の駅龍勢(のせ)会館にあるベンチでお昼休憩をしていた。すると、先程、歩く旅の途中ですれ違った同年代の3人組の女性と相席になった。

道の駅龍勢(のせ)会館(埼玉県秩父市吉田久長32)
道の駅龍勢(のせ)会館(埼玉県秩父市吉田久長32)

「前回に終了した長若中学校前のバス停から歩きはじめました。32番の札所をお参りした先にあるバス停です」
「長若って場所、あったように思うわ。その辺りなら少し先の松井田バス停の方が本数も多くて便利でしょ」
今日、私が歩きはじめた長若中学校前バス停ではバスの本数が少なく、知名度も低い。このバス停から歩きはじめた理由は、前回の歩く旅の距離が長すぎて、本数が多い松井田バス停まで歩く体力が残っておらず、少し手前の長若中学校前バス停で終了していたからだ。その日に歩いた距離は30.2kmもあり、今回の歩く旅の中では一番長くて足がパンパンになった。その時の話をするとあまりにも距離が長いので、大抵は驚かれる。
「私たちも、頑張って日帰りで歩き繋いでいるのよ。今日は三十三番菊水寺にお参りしてきたわ。ここまで来たら、もう少しで最後の三十四番にお参りが出来るけれど、今日はここまでで終了して次回が最後になる予定。いつも、お天気が良い日を選んで歩く予定を立てて、歩いた後はみんなでお昼を持ち寄って食べるのよ。歩くのも楽しいけれど、みんなでおしゃべりしながら一緒にご飯を食べるのも楽しみの1つなの」
そう話しながら持って来ている食べ物を手際よくテーブルに並べていった。他の2人も同じように食べ物を取り出して並べると、あっという間にテーブルはご馳走で埋め尽くされた。そして、それぞれに料理の説明をしながらお裾分けをしあっている様子はとても楽しそう。
「ピクニック気分で青空と美味しい空気の中で食べる食事は美味しいわよね」
確かに、外で食べる食事は美味しい。私も歩く旅の途中で食べる青空ご飯は、どんな高級な料理よりも美味しいと感じている。

いつもはお弁当を持参しているが、今日は時間が無くてお昼ご飯は道の駅でお弁当を買った。秩父名物である大きなわらじカツよりも少し小さめであるが、それでも手のひら程の大きさのみそカツが2枚も乗ったお弁当は600円だった。私にとって600円は贅沢に感じるお弁当だけれど、おばさんの歳になれば、たまには楽をして美味しい物を食べても罰は当たらないだろう。普段は無駄遣いをしない節約ケチケチ生活な性分は変わらないだろうしね。そう思いながらみそカツを頬張った。
甘辛いみそだれのカツがご飯によく合う。添えられている黄色いたくあんが良い箸休めになっている。たっぷりのご飯の上にカツが2枚も入っているお弁当を眺めると、普段の食事量よりかなり多い。活動量が少ないおばさんには胃がもたれそうな量だけれど、今日はたっぷり運動をしているからお腹が空いておりパクパクと食べられる。美味しい。

「竹の子を煮て持ってきたの。初物よ、良かったら食べて。」
そう言って、相席していた女性の1人が竹の子を4切れか5切れ程を取り分けてくれた。心遣いがとても嬉しいけれど、このような時はどうしたら良いのだろう。社交辞令としてお礼を言いながら断るのが良いのか、一切れだけ頂くか。それとも取り分けてくれた全部を頂く?それは図々しいよね。

この歳になってからは人付き合いをほとんどしていないし、そもそも女子会のような会は出来る限り避けてきたこともあり、このような時のお作法(マナー)はどうすれば良いのか出てこない。焦る…。せっかくだから断るより頂いた方が良いよね。遠慮のし過ぎも失礼ではないかと考える。取り分けてくれたお皿から一切れだけ摘まむ?お箸は反対側を使うほうが良いかな。コロナは落ち着いたけれど、箸をつけてお返しするのは失礼にならないか?そう考えると取り皿で出してくれた分は頂く方が良いのか。考えれば考える程、どうすれば良いのかわからなくなってきた。悩む…。
そして、あたふたしている間に時間が経ち、取り分けて頂いた料理が私の好みでない様に感じられてしまうかもしれない。あー、どうしよう。えい、せっかくだからと取り分けて頂いた分を、自分のお弁当の蓋に移した。一瞬、空気感が変わったように感じた。やっぱり、全量を頂くのは違った。頭の中で「チーン」と鐘の音が鳴り響いた。

とりあえず頂こう。竹の子の煮物はご飯にあうしっかりとした味付けで美味しく、とても柔らかい。こんな柔らかい竹の子はなかなか食べられない。竹の子と一緒に煮ているお肉も食べ応えがあり美味しい。
「今朝、畑から採ってきたのよ。形は悪いけれど美味しいわよ」
そう言いながら、私のお弁当の蓋の上に色鮮やかに茹でられたブロッコリーを乗せてくれた。何かとあたふたしている私に対して、おおらかで心に余裕がある人だと感じる。他の2人もその向こうで笑顔でお料理を頬張っている。ほのぼのとしている空気感に心がホッとする。
ドレッシングも使ってねと声をかけてくれたけれど、そのまま頂く新鮮な野菜の味がとても美味しかった。他の方からも自家製の漬物やオレンジを頂き、思いがけず旅先で頂いたご馳走でお腹がいっぱいになった。この時代、この世の中でこんなこともあるのか。心が温まると共に有難い事だとしみじみ感じた。

人は生きている限り社会と関わらなくてはならない。しかし、社会とかかわると何かと疲れることが多い私は、年齢を重ねるに連れて出来るだけ社会にかかわらないようにしてきた。若い頃は誰かと一緒でないと理由もなく不安や孤独感を感じることが多く自分と共感できる人を探していたが、この歳になれば1人の方が気楽だと感じ始めた。1人でも趣味や日常生活を楽しむことが出来れば、毎日を楽しく過ごすことが出来ているし、他人に合わせるわずらわしさが無いのも楽だと感じている。けれど、世の中と関わることは、そんなに悪い事ばかりではないのかもしれない。時には人と関わるのも楽しいし刺激にもなる。これから老いに向かっていく中で、他人との関りを考える良い機会になった。でも、私は1人でいる方が合っているかな。

美味し食べ物を頂いた嬉しさから何かお返しをしたいと思うけれど、何も持っていない。どうしようか。そういえば道の駅で何か売っているかもしれない。再度、お店に向かい今度はお菓子のような物がないかと目を凝らし、小さなご当地お菓子を見つけてホッとする。
お昼をご一緒させて頂いた3人の方々に菓子と一緒にお礼と嬉しかった気持ちを伝えて、午後の歩く旅に出発した。
ここから先は、峠を越えて最後の三十四番の札所を目指して歩いて行く。

岩井堂(26番円融寺の奥の院)
岩井堂(26番円融寺の奥の院)

秩父盆地を巡る観音霊場巡りでは、お参りする札所は盆地の中だけではなく、山の中腹にあったり、峠の向こうにあったりもする。時には登山のように山道を歩くのも、この旅の楽しさの1つだった。そして、里山の自然豊かな美しい四季折々の景色の中で、札所を巡りながら黙々と歩いていると、何だか心も体もすっきりするのを感じていた。
一歩、また一歩と旅が終わりに近づいてくる。まだ、最後の札所までは5km以上もの距離があるのに、何故だか、旅の終わりを強く感じる。突然、思い立って始めた秩父の観音霊場巡りだけれど、最後まで歩き通せるのは感慨深い。大変だったけれど、それでも楽しかったと感じるこの旅が終わると思えば、何だか寂しい。

何事も始まりがあれば終わりが必ずある。最後まで頑張ろうか。

平石馬頭尊堂(埼玉県秩父市吉田久長607−2)
平石馬頭尊堂(埼玉県秩父市吉田久長607−2)

歩き進んでいる県道から山道へと続く道へ入ると立派なお堂があった。お堂は平石馬頭尊堂であり、江戸末期である天保12年(1841年)に着工、弘化4年(1847年)に 竣工したとある。お堂の立派な彫刻を眺めて、当時の巡礼をしていた旅人も同じように眺めたのだろうかと思いながら、山道へと歩き進んだ。

今回歩いているコース(約21km)

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ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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