大人の日帰りウォーキング 自然の中を歩いていると、面倒な社会生活に振り回されている自分が見えてくる
朝早く起きだして準備やら身支度をしている。いつもより早く朝の散歩を済ました愛犬は、私の様子を伺っている。愛犬は、私の様子で、その日が仕事なのか旅に出かけるのかをわかっている。
「私も連れて行って、良い子にするから!」と、目の前でしゃんとお座りをしてキラキラした瞳で私を見つめる。しかし、お留守番だよと声をかけると、愛犬はがっかりしてとぼとぼと遠ざかった。今日は電車の旅だから連れて行かないよ。
今朝の電車の乗り換えであたふたしてしまい、その時に起きた自分の失敗は大人的解決方法で何とかごまかして、当初の予定通りに秩父鉄道の白久駅に着いた。ローカル線の駅舎、向こうの山、そして青空に夏の雲が広かる景色にきれいだなぁと。旅の始まりからこんな素敵な景色がみられるなんて、今日は良い事しか起こらないような気がする。おばさんらしい自己中心的な思いを胸に抱いて歩きはじめた。
心が疲れてくると、自然の中に行きたくなる。
日々、日常生活を送っていれば、なんだかんだストレスがたまる。お金は全くたまらないのにストレスだけは良くたまると感心するけれど、ストレスはためても良いことは無い。
日本全国にある霊場巡り。その中の埼玉県にある秩父三十四観音霊場巡り(札所巡り)をしている。秩父三十四観音霊場巡りは、西国三十三か所と坂東三十三か所と合わせて日本百観音霊場でもあり、結願すると信州の善光寺にお参りをするのが慣例になっている。
都内に住んでいる私は日帰りで歩きつないで、ようやく終盤に差し掛かってきた。今日は札所であるお寺の30番、31番、32番にお参りする予定にした。札所巡りもこの辺りまで進んでくると各札所間の距離が遠くなり、今日の3か所の札所巡りは1日で30kmを越えるコースになる。私の計画は無謀なのである。
秩父鉄道の白久駅を出発し、里山を登るように歩き進む。8月も最後の週末になろうとしているのに真夏のギラギラした日差しが照り付ける。気温は30度を超えているが、都会のアスファルトで埋め尽くされた暑さでではなく、山から時折吹いてくる風に癒やされるが、やはり暑い。
出発してから15分程で札所三十番の法雲寺に着いた。山の斜面に建てられているお堂。屋根の傾斜が真夏の青々と生い茂る自然の森の中の景色に溶け込んで美しい。
早速、階段を登ってお参りをする。
小高い山の中腹にあるお堂から振り返ると、滑らかな尾根を広げる里山の美しい自然の景色が広がっていた。ぼんやりと景色を眺めていると、体に入っている妙な力が抜けていくように感じる。ホッとしているのだろうか。
さぁ、次に向かおうか。そう言いながら自分に気合を入れる。
札所30番から31番への距離は、秩父の札所巡りの中で最長の18kmもあり、時速4kmで歩けても4時間半もかかる。そして、その道のりは秩父市から山を越えて小鹿野町へ向かう山越えから始まる。この長い区間を結ぶ公共交通機関は無いので、あらかじめ日をまたぐように計画するのも良いと思う。しかし、何事にも詰めが甘い私は、前回の巡礼を29番で終了するという中途半端が極まりなく進んでいるので、避けることは出来なくなっていた。しかし、せっかくだからこの長い区間を歩きたいとも思っていた。
スタートした場所から登ってきた道を下る。荒川に架かる橋がきれいだなぁと思いながら橋を渡る。国道140号に出てしばらく歩き、贄川交差点を右に曲がった。
ここから先が長い。
ひたすら歩く。歩いて旅をするのが一般的だったのは江戸時代にさかのぼる。当時の旅人は一里=3,927kmを1時間で歩いていたという。それから時代が変わり文明社会に生まれ育った人間にとって時速4kmで歩くのは、出来なくはない。しかし、休憩をとりながら何時間もその速度を保ち歩き続ける事が、かなり大変なのである。しかし、ペースを落とすと先に進まなくなる。精神論を思わせる表現は好きではないけれど、自分との闘いのようにも感じるけれど、平たく言えば自分次第とか、自己責任かもしれない。
しかし、この時間に心が癒やされる。
他人を気にすることなく自分だけのペース。頑張って早く歩いても、ペースが遅くても、誰に何を言われることもない。そして、誰かと比べることもないし、比べられることもない。
自分1人だけになると、面倒な社会生活と精神的にも物理的にも距離がとれ、それらに振り回されている自分の気持ちが見えてくる。
社会でいるのに疲れた時は、社会から離れてみる。
しかし、社会から離れることに不安を感じる。なかなか社会から離れられないのは人間は集団生活をしなければ生きられないからだろうか。
静かな山間の道路。一台の車が走り去る。エンジン音が聞こえなくなっていくと同時に、人間社会から自然の中にとり残されたような感覚になる。遠くからセミの鳴き声が聞こえているのに、山の静けさを強く感じた。
セミの鳴き声はこんなに心地よかっただろうか。
遠くから聞こえるセミ鳴き声は一匹ではない。都心の公園の何倍にもなる数えきれない沢山のセミが山にいる。遠くから聞こえてくるセミの鳴き声の合唱は大きな波のようにゆっくりと大きくなり、ゆっくりと小さくなり、音のない時間になる。その、ゆったりとした大きなサイクルでくり返されるセミの合唱は、人間の中にある動物的な何かに反応しているよう。静かな山間に広がる音色を聴いていると、頭の中や心の中のモヤモヤが音色の波に流されていくような気がした。
今日のチェックポイントと言う程の大げさではないけれど、昼食にお弁当を購入しようと考えていた「道の駅 両神温泉薬師の湯」に着いた。日帰りだとお弁当を持参している事が多いけれど、今日はおにぎりを2個しか持参していない。ついでに新鮮野菜も買おうかな。時刻は11時30分を過ぎており、出発から2時間以上経っているが、まずまずのペースで歩き進めているようだ。
道の駅の販売コーナーには地元の新鮮野菜が沢山並べられている。お値段もお得価格で欲しい物はたくさんあるが、自動車だったらなぁと残念する。リュックに入る量のナスと甘長唐辛子、お弁当には小さ目サイズのみそカツ弁当があったのでそれらを買った。
エアコンが効いた室内には買ったものを食べられる場所があり、店員さんに「良かったらどうぞ」と声をかけてもらえてとても有難い。涼しい場所で体を冷やしながら休憩するのも大切だけれど、今日の予定では先はまだまだ長い。持っている水分量を確認して先に進もうか。。
小鹿野町役場近くを通るころにお昼を知らせる放送が流れた。何だか、それを聞くとお腹が空いたと感じる私はパブロフの犬のようだと思う。ま、良いか。リュックの中から自宅から持って来ていたおにぎりを取り出す。今日のおにぎりは大好きな昆布に梅干しも入れた自分スペシャル。買ったお弁当は、次の札所につくまでのお楽しみにした。
関連記事:全4話<内部リンク>
前回の話:旅に出ようとして予定の電車に乗り遅れ、仕方なく乗った特急電車に驚いた話