大人の日帰りウォーキング 旅に出ようと車に乗って気づいた予想外の事実 ハプニング続きで始まるひとり旅
え、マジか…。
朝5時過ぎ。今年は例年より遅く咲いた桜の花が葉桜になろうとしている。すっかり暖かくなった4月の中頃にもなると夜明けも早くなり、外はもう明るくなっていた。
今日は出かけるぞ。気合を入れて早朝より早い深夜に起床して準備をした。久しぶりに愛車に乗ると、ガソリンの警告灯が付いているのは想定内だが、残りの走行距離を表すメーターの数字は、予想外だった。
我が家には私が大切に乗って7年目になる軽自動車が1台ある。その車は子どもが大学生になり運転免許を取ると、部活で忙しい子供が日常的に乗るようになってしまった。まるで、自分の車のように私の愛車を使っている息子が言うには、「これは家の車でしょ」と。ま、良いけど。アルバイトはしているけれど、貧困大学生を主張する子ども。自宅通学で車も頻繁に使っている大学生が貧困なのか?と、心の中でつぶやくのは母親の私だけではないと思っている。そして、私が車を使う前の日に、必ずと言って良いほどガソリンを空っぽにしているのは計画的仕業でしかない。しかし、残りが11kmとは。
とりあえず、ガソリンを入れないと。
最寄りのガソリンスタンドまでの距離はどれくらいだろうか。2km?3km?ドキドキしながらチラチラとメーターを何度も確認し、低燃費走行に徹する。信号が青になってもアクセルを踏み込むなんてことは、もちろん出来ない。ようやく、何時ものガソリンスタンドが見えてきた。ほっとする。しかし、一瞬で目の前が真っ暗になった。いや、真っ暗なのは目の前ではなく、明かりが点いていない真っ暗なガソリンスタンドだ。時刻は早朝。ガソリンスタンドは開店前だった。
終わった。いや、終わってはいけない。いずれにしろ、ガソリンを入れない事にはどうにもならない。方向を変えて24時間営業のガソリンスタンドに向かう。この状態にまでなってしまうと、開き直ってしまおうか。ジタバタしても仕方がないと、淡々と車をはしらせた。
しかし、残りの走行距離が11kmとはかなりすごい。愛車の軽自動車はガソリン1リットルで20km以上走ることが出来る。もちろん、渋滞が無ければの話であるが、昨今のガソリン高騰の世の中ではかなり嬉しい。その車で残りの走行距離が11kmであれば、単純に計算して車に残っているガソリンの量は500mlであり、もはやペットボトル1本分でしかない。こうなると、何かの番組の企画なのか、自動車メーカーの実験かもしれないとさえ感じてくる。ガソリン500mlで車はどれだけ走れるのか実験!企画としては楽しいかもしれないが、実生活の中では体験したくない。そして、ブレーキを踏む衝撃でエンジンにガソリンが供給されなくなり、ガス欠しないかとさらに不安になる。そーっとブレーキを踏もうか。早朝の道路は車が少なく、無駄に減速や止まることが無くて助かる。ようやく明かりが点いたガソリンスタンドに到着した時、残りの走行距離の数字は5kmになっていた。二度と見たくない数字だと思った。
想定外のハプニングで約20分ものタイムロス。しかし、今日の移動には地元の路線バスを使う計画にしている。路線バスは本数が少ないので、予定のバスに乗り遅れてしまうと一日の計画が大きく変わってしまう。どうしようか。考えてみるが、なるようにしかならないと思い直して、目的地を目指して車を走らせた。入れたばかりの車のガソリンは満タンだけれど、アクセルを踏み込むようなことはしない。先を急いでいるのに何故?と不思議に思われるが、その理由はただ一つ。私はケチなのである。目的地までは片道80km程もあるので、いちいちアクセルを踏み込むと燃費が悪くなるじゃないか。
早朝の空いている道路を滑るように走る。埼玉県の所沢市から飯能市、その先から国道299号は山間の集落を抜けると秩父盆地へ続いていた。秩父駅近くの有料駐車場に車を停めて時間を確認する。予定しているバスの出発時間まで25分しかない。駐車場からバス停がある西武秩父駅までは歩いて20分程の時間がかかる。だから、早めに準備して出発したのに、と思っても仕方がない。走ろうか。朝からバタバタと走るおばさんの姿は計画性が無いように見えて当然であるが、周りの人は自分が思う程も他人を気にしていない。そして、旅の恥はかき捨てだと、自分に言い聞かす。
私は子育てを卒業するころより登山や街道歩き等の歩く旅を楽しんでいる。今回歩いているのは、埼玉県秩父地方にある秩父三十四観音霊場巡りであり、西国三十三観音霊場と坂東三十三観音霊場と合わせて日本百観音霊場でもある。
秩父三十四観音霊場は他の二か所の霊場に比べて集中して札所があるので、コンパクトに巡礼できると言われている。それでも三十四か所ある全ての霊場を一巡すると約100kmもの距離があり、車やバイクで巡礼している人も珍しくない。又、お参りする札所(お寺)間の距離が短い街中は歩いて巡礼して、札所間の距離が長い区間は車やバスを使って参拝している人もいる。もちろん、歩く旅を楽しんでいる私は、頑張って全てを歩いて巡礼している。
約2年前に歩きはじめて、日帰りで繋いできた巡礼も今回で6回目。そして、お参りする札所は残り二か所の33番と34番であり、結願の日となった。
秩父三十四観音霊場巡りの歩く旅をはじめた時、とても心がウキウキしたのを覚えている。この歳になってこんな楽しい気分を味わえるのは幸せだ、そう思った。
子育て中心の生活を20年以上もすると、しなければいけない事をするだけで1日が終わる日々。慌ただしい日が続けば、それさえも出来ずに落ち込む自分もいた。何事も子どもや家族、仕事が主語であり、自分自身が存在していなかった私に、自分が主語で楽しいと思う時間を過ごせるようになったのは、私にとっての歩く旅だった。
誰かの為ではない。私が私の為に計画して旅をする。美しい景色を眺めて、鳥の声を心地よいと思い、ふと香る花のにおいを感じていい匂いだなと。私が楽しいと感じる歩く旅。すべての主語は私自身。そして、自分が楽しいと思う事をして、自分を大切に扱う。この年齢までくれば、これからは他の誰かではなく自分を大切にしたい。
これからは私が楽しもうじゃないか。自分で自分を楽しませよう。
バスの出発時刻に何とか間に合った。既にバス停にはバスが到着しており、並んでいた人々がバスの中に吸い込まれるように歩き進んでいた。列の最後尾に並ぶ。あっ、前に並んでいた人が座った席で車内が満席になってしまった。秩父ミューズパークがある山を越えてくねくね道を進んで行くバスなので、出来れば座りたいと思うけれど仕方がない。改めて車内を見渡すと、地元客と言うよりはハイカーで埋め尽くされているように感じながら、つかまれそうな手すりを探した。
前回に終了した小鹿野町の長若中学校前バス停から歩きはじめて、33番の札所を目指して歩く。途中で道路の分岐を見逃してしまい、そのまま歩き進んでしまっている事に気付いた。地図が好きな私は、全体像を見渡せる紙の地図が見やすいので普段から良く使っているが、当然ながら紙の地図にはGPS機能は無い。スマフォを取り出してアプリで位置確認をすると、間違えたままかなり進んでしまっていた。仕方がない、引き返そうか。歩きはじめて早々に心が折れそうになる私を、満開の桜が励ましてくれているように思った。
都心の桜は散ってしまったけれど、秩父の桜は満開である。加えて、山里である秩父には花が咲く木が多いのか、色とりどりの花が咲き誇る景色を眺めて、きれいだなとしみじみと感じる。一瞬で通り過ぎる車やバイクでも美しいと感じるけれど、歩く旅では、その美しい景色をゆっくりと楽しめる。贅沢な時間だと思った。
今回歩いているコース(約21km)
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