障がいのあった男が最期に遺したセックスの記録を映画に。恋人役としてあの「ハグ」はあのときの精一杯
映画「愛について語るときにイケダの語ること」は、いまはもうこの世にいないひとりの男の最後の願いから始まっている。
その男の名は、池田英彦。彼は四肢軟骨無形成症だった
そして、40歳の誕生日目前で彼は、スキルス性胃ガンステージ4と診断される。
死を強く意識した彼は「今までやれなかったことをやりたい」と思い立ち、その想いは性愛へと向かい、自分と女性のセックスをカメラに収める、いわゆる「ハメ撮り」に走っていく。
そして、自らの死をクランクアップとし、それまで映像を自身主演の映画として遺すことを望んだ。
池田氏の「僕が死んだら映画を完成させて、必ず公開してほしい」という遺言を託されたのは、ドラマ「相棒」などを手掛ける脚本家の真野勝成。
20年来の友人であった真野は、「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」や「ナイトクルージング」などを発表している友人の映画監督、佐々木誠に映像を託す。
こうして池田英彦企画・監督・撮影・主演、初主演にして初監督にして遺作となった映画「愛について語るときにイケダの語ること」は完成した。
当初は関係者をメインにした1回限りの上映で終わる予定だった本作だが、今年6月から東京で公開が始まると連日満員御礼!
その熱はいまだ冷めやらず、地方公開を一通り経て、現在東京でアンコール上映に突入し、また連日満席の反響を呼ぶ。
本作についてはこれまで、撮影・脚本・プロデュースを担当した真野勝成(前編・後編)と、共同プロデューサー・構成・編集を担当した映画監督の佐々木誠のインタビュー(第一回・第二回・第三回・第四回)を届けた。
それに続く本作におけるキーパーソン、重責を担った女優の毛利悟巳に話を訊くインタビュー(第一回・第二回・第三回)の第四回へ入る。(全四回)
お芝居の中で、いいコミュニケーションがとることができて、
お互いに『素』でいられるように。それが……
最後は、本作においてひじょうに重要なシーンであり問題のシーンにもなっている、デートの終盤であり、締めくくりでもあった場面についてを明かせる範囲内で訊く。
前回、毛利自身が語っているように、池田の考える理想のデートは、全体としては願いが叶う形で終わった。毛利も、おそらく池田も楽しい時間が過ごすことができた。
ただ、終盤で少しだけ雲行きが怪しくなるというか、本来の目的から遠ざかりそうになる時間が生じる。
このことを察知した毛利は、あるアクションを起こして、本来の流れに引き戻そうとする。
これを受けた池田は予想もしない反応をする。ひとことで言えば、理想のデートを楽しむお芝居だったのに、彼が本気(マジ)になってしまうのである。
そして、そこで露呈するのは、池田の本心でありずっと抱えてきた心の闇といっていいかもしれない。
このときのことを毛利はこう振り返る。
「前回もお話しましたけど、わたしのことを池田さんが素直に受け入れ、すべてを受けとめてくれてほんとうにデートの終盤に入るまでは、いい流れできていたのではないかと思います。
でも、その場をお互いに楽しみ過ぎて、だんだんと池田さんが『(お芝居を超えて)現実のリアルに寄りすぎてきているかも』と、途中から感じ始めたんです。
池田さんもわたしもひとつのお芝居であることは理解している。役の上で互いに恋愛感情を抱いていることも重々承知している。
ただ、現実としてはお互い知り合って間もない。『今回は、よろしくお願いします』みたいな感じで(笑)。
それがお芝居の中で、いいコミュニケーションがとることができて、お互いに『素』でいられるようになったというか。
どこかから、肩ひじ張らずに向き合えて、お互い自然な形で立てて、カメラがそこにあることを忘れ始めていた。
だから、どんどんどんどんお互いに時を忘れるように楽しい時間が流れている。
それは悪いことではなかったと思うし、理想のデートを過ごすという意味においては、ものすごく意に沿ったことだったと思うんです。
でも一方で、素に近い状態になったことで、お芝居というフィクションなら自然に受け入れて臨めることに違和感を覚えるようになっていってしまいました。
お芝居と思えばなんてないことも、軽く見過ごせない。そんな雰囲気になっていってしまいました。
シナリオに用意された最後のゴールは、告白して付き合うこと。
その目的からすごく遠ざかっていっていることをわたしは途中から感じていて、どうにかしないといけない。でも、どうすればいいかわからない。
二人でソファに座って、映画をずっと見ているシーンがありますけど、あのあたりはもう絶対に越えられない壁を感じているといいますか。
ソファに座ったわたしと池田さんの間はたった数十センチに過ぎない。
でも、その隙間に透明な分厚い壁が出現し始めていて、池田さんに軽く触れられない、軽く会話を交わせないような状況になっていました。
前に、この役を務めるにあたって『なにがあってもすべてを受け入れる』と心に決めたと話しましたけど、もうわたしが受け入れるとかの問題じゃない。
別の次元に、池田さんの気持ちが振れていってしまった。
池田さんて、今回の映画をみてもわかるように普段は軽口を叩いたり冗談も多くて、わりとマイナスな感じのイメージはなくて、明るい印象を映画をみてくださった方も抱くと思うんです。
でも、デートの終盤のあたりは、ちょっと違う。
表情にはふだんみせないような真剣さがあって、心の底からの言葉を発している。
池田さんの気持ちをほんとうに言葉を選びながら、わたしに伝えてくれているところがある。
たとえば、前回お話した、ブランコのシーンでは、すべてのことを池田さんはナチュラルに受け入れてくれていた。
そのときはもう何も疑わずに受け入れてくれて至近距離に感じられた池田さんが、最後のシーンが近づくにつれて、とうていわたしが簡単に触れられる遠いところにいってしまった。
お芝居では済まされないような空気になってしまっていた。
でも、ここで告白しないで終わってしまったら、これまでのことがすべて水の泡になってしまう。
なにひとつ成立も達成もしないで終わってしまう。あの最後のところは、もう、どうしようと必死でした」
あの「ハグ」について
その中で、毛利はひとつのアクションを起こす。それに対して、池田は本気の反応で、予想もしない言葉だが心からの言葉を発する。
それに対して、毛利が出した答えは、優しい「ハグ」だった。
「あのときは、頭の中でぐわーって考えて(笑)。
なにかこの状況で不自然ではなく、でも、池田さんに近付ける方法はないかなと。
で、ほとんど力技ですけど、『ハグ』が妥当なところじゃないかなと思いました。
ほんとうに軽い気持ちで手を握ることもできないような雰囲気になってましたから、あれが精一杯でした」
このときのことをいまこう振り返る。
「とにかく池田さんが理想のデートを叶えて、楽しい時間を過ごすことが最大の目的であり目標でした。
お芝居であっても、その時間と空間には嘘がないようにと臨んでいたら、非現実から現実へと心が動いていってしまった。
もしかしたら、そこまでいく必要はなかったかもしれない。
お芝居として楽しんで、最後にふつうに笑顔で『ありがとう』となって『はい、カット』で終わる。
それぐらいで収めた方が池田さんにはよかったかもしれない。
でも、私の中では、二人がその場を楽しんだがゆえに、本心が出るまで気持ちがいってしまった。
そういう意味で、あの時間とあの空間に、何者でもない、池田英彦と毛利悟巳というひとりの人間としてきちんと存在できたのではないかと。
何の紛れもない池田英彦と毛利悟巳として存在できたんじゃないかと思っています。
そして、わたしはあのときの池田さんの真剣な顔と眼差しをこれからも忘れないと思います」
(※本インタビューは今回で終了しますが、これまでに収められなかったエピソードや毛利悟巳さんの今後を訊いたインタビューを近く掲載します)
「愛について語るときにイケダの語ること」
企画・監督・撮影・主演:池田英彦
出演:毛利悟巳
プロデューサー・撮影・脚本:真野勝成
共同プロデューサー・構成・編集:佐々木誠
東京・アップリンク吉祥寺にてアンコール上映中
<連日舞台挨拶及びトークイベント開催>
12月6日(月)
登壇者:佐々木誠、真野勝成
12月7日(火)
登壇者:佐々木誠、真野勝成
12月8日(水)
登壇者:佐々木誠、真野勝成
12月9日(木)
登壇者:毛利悟巳、佐々木誠、真野勝成
2022年1月15日 横浜 シネマ・ジャック&ベティでの公開決定
最新の劇場情報などは、公式サイトへ https://ikedakataru.movie
場面写真はすべて(C) 2021 愛について語るときにイケダが語ること