言葉の深層まで表現する日本の服飾ブランドとの出合い。彼らの思考を映像で表現することの難しさについて
ドキュメンタリー映画「うつろいの時をまとう」は、堀畑裕之と関口真希子のデザイナー・ユニットによる服飾ブランド「matohu(まとふ)」に焦点を当てている。
ひとつのファッション・ブランドの世界に迫った作品であることは間違いない。
ここ数年を振り返っただけでも、世界的ファッション・ブランドや有名デザイナーを題材にしたドキュメンタリー映画が数多く存在する。
ただ、本作は、おそらくそれらの多くのファッション・ブランドを追った作品とはまったく違った世界を見せてくれる。
確かに、matohuのデザイナー、堀畑裕之と関口真希子の目指すもの作りや、その服の魅力が中心にはなっている。
だが、本作はもっと根源的な世界とでもいおうか。
「matohu」というファッション・ブランドから、たとえばタイトルに含まれている「うつろい」とはいったいどういうことなのか?
「うつろい」にわたしたちは何を感じ、何を見ているのか?
そういった日本の美や言葉の奥にある意味にまで思いを馳せる作品になっている。
いったい、「matohu」に何を見て、作品を通して何を見出そうとしたのか?
手掛けた三宅流監督に訊く。全五回/第四回
ありがたいことに自由に撮らせていただくことができました
前回(第三回はこちら)は、「matohu」の堀畑裕之氏と関口真希子氏に創作の現場に密着する取材の申し込んで承諾を得たまでの話で終わった。
撮影に入るに当たって、なにか「matohu」からリクエストのようなものはあったのだろうか?
「とくにお二人から、こうしてほしいとか、ああしてもらいたいといったりということはなかったですね。
その時点では、劇場用映画になるのかどうかわからなかったわけですけど、お二人とも受け入れてくださって、ありがたいことに自由に撮らせていただくことができました」
堀畑氏と関口氏に初めて会ったときの印象は?
では、堀畑氏と関口氏に初めて会ったときの印象をどういうものだったろうか?
「お二人とも落ち着いていて物静かな方だなと思いました。
作品内には、お二人がインタビューにいろいろとお答えくださっているシーンがあります。
もうあの通りで、ひじょうにとつとつと自身の考えを語られる。
お二人とも作品に映っているままの方だと思います。
ただ、彼らの言葉に触れると、ひじょうに味わい深いといいますか。
その考えの意味することがじわじわとこちらに伝わって響いてくるところがある。
その言葉に魅了されたところがありました」
一番最初は、まっさらな気持ちで
そのようにして撮影に入っていったと思うが、なにかビジョンのようなものはあったのだろうか?
「一番最初は、まっさらな気持ちで入りました。
僕の場合は大体いつもそうですけど、大きな意図はありつつも、撮っていく中で、ストーリーであったり、ビジョンであったり、全体テーマであったりといったものがだんだんと見えてくる。
今回もそうでした。
ちょっと制作の裏話的なことになるのですが、実は撮り始めたのが、matohuが続けていたコレクション『日本の眼』の最後のテーマとなる『なごり』からだったんです。
『なごり』のコレクション制作にとりかかるところから撮影が始まったんです。そこから、伝統的な技術を持つ機屋さんや工房と協業しながら、独自のテキスタイルを作り上げていって、堀畑さんと関口さんがさまざまな議論を繰り返しながらデザインを完成させ、ファッションショーの日を迎えるまでをまず撮りました。
この部分が、実のところ、映画においては後半のパートになっています。
このことでわかるように、撮影を始めた当初は、服飾の制作プロセスがどのように進んでいくのかよくわからず分からずに、とにかく二人のクリエーションを見てみようということで、一つのコレクションができるまでをまず撮ろうと思いました。とにかくアトリエを訪ねて、制作過程を撮っていきました。
それで、ステートメントにも少しメッセージを書いたのですが、一つのシーズンのコレクションが生まれる最初から最後までを撮った時に、彼らのクリエーション、特に彼らがものづくりをしている時の思考の流れであるとか、世界観をとらえきれたという手応えがなかったんです。もちろん撮影したこれらをまとめたら、一連の流れを追ったそれらしいメイキングにはなるかもしれないのですが。
それだけだと、ドキュメンタリー映画作品として、ちゃんと強く世に出せるものになるのかどうかが確信が持てませんでした。
作品の道筋が見えたのは、その後、2020年1月に東京・青山のスパイラルホールで開催された、matohuの8年間のコレクションをまとめた展覧会『日本の眼』を前にしたときのこと。
映画においては冒頭のシーンになっていますけど、この展覧会を見たときに、『日本の眼』の全体像がようやく見えて、彼らのつむいできた言葉のコンテクストを読み取りながら再解釈して、映像で表現していけばいいのではないかと、そこではじめてこの映画の進むべき方向性が見えたところがありました」
なかなか彼らの思考が可視化できない。
これはどうしたらいいものかと、思いました
では、実際にmatohuの二人の創作現場を見て、どんなことを感じただろうか?
「matohuの服は『かさね』や『ふきよせ』といった日本の美意識を表す言葉をテーマに作られている。
この言葉の選び方がある意味象徴しているのですが、二人はふだんわたしたちが目にしていながら、気づいていないところに存在する『美』を見出して、それを服で表現している。
日々の何気ない生活の中の気づきから服を作り上げているところがある。
この彼らならではのデザイナーの視点や思考の動きがすごいと思いました。
それで、この彼らのデザイナー視点や思考の動きそのものをとらえて描きたいと思ったんですよ。
でも、いざカメラを回してみると、これがなかなか難しい。
たとえば、彫刻家が龍をテーマにした作品を作り始めたとする。すると彫り始めてから完成するまでの過程って、映像で分かりやすく見えてくると思うんです。
はじめはどんな形になるのかわからないけど、時間を追うごとにだんだんと龍の形になっていって、最後完成といった感じで、流れが見てわかる。
対して、服飾の創作はなかなか流れが目に見えてこないところがあるんですよね。
たとえば、撮影を始めるわけですけど、ある日は、ひたすら一日中図面を引いていたり、またある日は、白い布をトルソにかけて、ひたすらハサミを入れて延々と試行錯誤していたり、この工程がどれぐらい進んだのか、一つの服だけではなく、多くの服を同時進行でてがけてもおられるので、全体行程のどのあたりまで進んだものなのかといったことが目でみてもなかなかわからないんです。
僕も毎日撮影に行けるわけではないので、ある日に行って、数日ぐらい行けなくて次にまたお伺いすると、ほぼ完成と思われたデザインがまったく別ものになっていたりする(苦笑)。
だから、彼らのデザイナーとしての視点がどのように働いて、服が形作られて完成するのかという過程を一つの流れで見せるのがひじょうに難しいんですよ。
あと、彼らが何を考え、どんなアイデアが出てきて、それをどう服におとしこむのかといった思考の流れや動きを映像で表現するというのもかなり難しい。
図面を引いている姿や布を裁断している姿からだけでは、なかなか彼らの思考が可視化できない。
これはどうしたらいいものかと、思いました」
(※第五回に続く)
「うつろいの時をまとう」
監督:三宅流
撮影:加藤孝信 整音・音響効果:高木創
音楽:渋谷牧人 プロデューサー:藤田功一
出演:堀畑裕之(matohu)、関口真希子(matohu)、赤木明登、
津村禮次郎、大高翔ほか
シモキタエキマエシネマK2にて東京凱旋・2週間限定上映
5/30(木)まで公開中
写真はすべて(C)GROUP GENDAI FILMS CO., LTD.
<上映後アフタートーク>
5/25(土) 三宅流(監督)×伊島薫(写真家)
5/26(日) 三宅流(監督)×文月悠光(詩人)