亡き男が最期に遺したセックスの記録を映画に。ハメ撮りした性の場面が一番ありきたり?
映画「愛について語るときにイケダの語ること」は、いまはもうこの世にいないひとりの男の最後の願いからはじまっている。
その男の名は、四肢軟骨無形成症の池田英彦。
40歳の誕生日目前で彼は、スキルス性胃がんステージ4と診断される。
死を強く意識した彼は「今までやれなかったことをやりたい」と思い立ち、その想いは性愛へと向かい、自分と女性のセックスをカメラに収める、いわゆる「ハメ撮り」に走っていく。
そして、自らの死をクランクアップとし、それまで映像を自身主演の映画として遺すことを望んだ。
池田氏の「僕が死んだら映画を完成させて、必ず公開してほしい」という遺言を託されたのは、ドラマ「相棒」などを手掛ける脚本家の真野勝成。
20年来の友人であった真野は、「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」や「ナイトクルージング」などを発表している友人の映画監督、佐々木誠に映像を託す。
こうして池田英彦企画・監督・撮影・主演、初主演にして初監督にして遺作となった映画「愛について語るときにイケダの語ること」は完成した。
本作について撮影・脚本・プロデュースを担当した真野(前編・後編)に続き、共同プロデューサー・構成・編集を担当した映画監督、佐々木誠に話を訊くインタビューの第二回へ。(全四回)
何を撮ったかが書かれていないどころか、
日時の記録さえない素材をまとめて渡されました(苦笑)
第一回のインタビューでは、池田氏が遺した映像素材を引き取るまでの経緯を訊いたが、引き続き彼が遺した映像の話から。
これは真野プロデューサー本人も明かしているが、佐々木にはほんとうに残された映像素材のすべてがドンと渡されたという。
「ほんとうに素材をそのまま渡されました。
何を撮ったかが書かれていないどころか、日時の記録さえない素材をまとめて渡されました(苦笑)。なので、時系列さえ不明の状態からはじまりました。
こんなの引き受けたの初めてですよ。普通なら、やりません。
だって、なにが入っているかわからない素材が大量にあって、これまとめてくれって言われても、ねぇ。まぁ自分からやるって言ったのでしょうがないのですが(笑)」
時系列の整理だけで1カ月!
まずは、その映像素材の整理から作業ははじまったという。
「まず、時系列を整理しないと構成もなにもないので、そこからはじめました。
池田さんの健康状態を頼りに、並べていって、ほんとうにパズルを作るように素材を並べ替え組み合わせていきました。
その時系列の整理だけで1カ月ぐらいかかりましたかね。
で、素材もその映像設定もバラバラで、素材をパソコンに取り込むのも、ものすごい時間がかかったんですよ。
さらに大量で。自分のパソコンを全部整理して、それを別のハードディスクに移して、空っぽにしないといけないぐらい大量でした」
ハメ撮りのセックスシーンが一番面白くない⁇
何十時間とあった映像にはすべて目を通したという。その印象をこう明かす。
「前回、僕は障がい者の性をテーマにいくつか作品を作ってきたけれども、直接的なセックスの場面は撮ってこなかった。でも、みせるべきだと周囲に迫られることが多いと話しました。
それで、今回は池田さん本人も望んでいるということで直接的なところを見せようと臨みました。
で、結果から言うと、作品をみていただけるとわかるんですけど、ハメ撮りのセックスシーンが一番面白くないといいますか。
これは池田さんがどうこうという問題じゃなくて、どうしてもありふれたものになってしまうんですよ。だって、ふつうにセックスしているだけで珍しいものではないですから(笑)。
だから、実際は池田さんはもっと多くの女性と体の関係をもって、それを記録してあったんですけど、結果的にはハメ撮りの映像はあまり使わないことになりました。
池田さん自身も、おそらく自分のセックス・ライフを映画として遺したかったわけじゃないと思いましたし。
むしろ、みていて僕の中で浮かび上がってきたのは、いろいろ抑圧されてきて最後の最後に解き放たれて、たどりついた池田さんの境地で。
こことしっかりと向き合わないといけないと思いましたね」
映像に目を通す作業では、こんなことも思ったという。
「いや、これは映像作家の性で自分も現場にいればよかったなと。
正直なことを言うと、もっと入れ込みたいエピソードはあったんですよ。
たとえば、池田さんは時系列でいうと後半の方である女性と同棲している。
あと、ニューハーフの子を好きになって、いれ込んだりもしている。
でも、残念なことに物語に組み込むまでは、映像を撮り切れていない。
ここも押さえて撮っておきさえすれば、ひとつのシークエンスになるのにというところがけっこうあって、実に惜しい。
まあ、作り手ではないので、仕方ないんですけどね。
それで、自分も撮影に加わっておけば、撮ったのにと思いました(笑)。差し出がましいんですけど。
ただ、真野さんと池田さんの二人でやるからこそよかったところもあるので、僕がしゃしゃり出ることもなかったかなとも思います」
この膨大な映像に目を通すだけで、さぞかし大変な作業だったと思うが、振り返ると、いい時間がもてたと佐々木監督は言う。
「コロナ禍で仕事がなくて、かといって緊急事態宣言でどこかに出歩くこともままならない。
ここまで仕事がなくて、時間だけがあって、しかも自宅にこもらないといけないという状況は、初めてのことだった。
そのおかげといったらなんですけど、この編集に没頭することができた。
池田さんの撮った映像と真野さんが池田さんとともに撮った素材をきちんといちからひとつひとつみて、自分の中でそしゃくして、吟味することができた。
あと、あの時期って、何とも言えない嫌な気分というか。世の中全体として気が滅入った時期だったじゃないですか。
極端なことをいうと、すべての人が引き籠ることを余儀なくされた。
その状況はどこか厭世(えんせい)的で。
そういったなにか人生の絶望を感じているときに、死に向かっていく人の記録を残す作品を編集しているのはどこかリンクするところがあって、ものすごく自分の気持ちがのめり込んだんですよね」
池田さんと対話をしながらつなげていった感覚がある
編集の間はこんな気持ちになっていたという。
「映画作りにおいて、撮影って、未来の編集する自分に向けて撮っている感覚がある。で、その撮影した映像を編集してる時は過去の自分と対話してるような気持ちになる。
いつもは、そうやって未来の自分と過去の自分とを対話しながらつなげて、ひとつの作品へと編んで紡いでいく。
でも、今回は、まさに池田さんと対話をしながらつなげていったというか。
映像をひとつひとつ丁寧に確認して、池田さんが何を伝えようとしたのか、なんでこれを撮ろうとしたのかを熟考して組み合わせてつなげていった。
だから、変な話に聞こえるかもしれないですけど、僕としては池田さんと真野さんと対話している気持ちになって、ひとつひとつ確認しながら、編み上げていった感覚がある。
池田さんの思い、その思いを受け取った真野さんの思いを汲みながら、僕は自分の映画作りで培ってきたものをうまく使って、編集して1本にまとめあげられた気がしました。
だから、編集し終えたときは、『ああ、池田さんの映画ができた』と思いました」
ある意味、奇跡的なめぐり逢いでできた映画といっていいかも
こうして佐々木監督が編集したものをみた真野プロデューサーは「これは池田がまさしく望んだ作品だ」と大いに驚いたことを明かしている。
そうした自然と意思の疎通をはかれた背景を、佐々木監督はこう語る。
「先ほども触れたように真野さんとは公私ともに付き合いがあって。
学年としては真野さんが1つ上なんですけど、お互い1975年生まれ。
僕は浦安出身で、真野さんは江戸川区。川を挟んですごく近い環境で育っていた。
おそらくかなり近い風景を見て育ってきたことがあって、話が合うんですよ。
とりわけ気が合うのが映画の好みで。だから、一緒に映画の仕事をすることができたりしたんですね。
なので、今回の映像の素材を前にしたときに、真野さんが池田さんとなにをやろうとしたのか、どう形にしたいのかというのが、みていくうちになんとなくわかった。
それが『意を汲む』ということになるんでしょうけど、みていて、『こういうことやりたいんだろうな』とか思って。
それをどう表現するかとなったら、今度は僕と真野さんの映画の趣味はこうだから『これだよな』となる。
だから、変な話ですけど、まぎれもなくこれは池田さんの監督・主演映画なんですけど、どことなく僕の映画っぽいんですよね。テイストが。
それは真野さんと僕の好きな映画のテイストが似ているところが大きい。
そういう意味で、いろいろな偶然が重なってできた映画だと思います。
池田さんがガンと分かったときに相談したのが真野さんで。
その真野さんは『相棒』や『デスノート』といった超ドメジャーな映画の脚本家で、障がいに対して偏見がない人だった。
その真野さんがたまたま僕と偶然知り合って、似たような境遇にあって公私ともにのつきあいになった。
そうした不思議な縁でつながって、こういう映画ができた。ある意味、奇跡的なめぐり逢いでできた映画といっていいかもしれません」
(※第三回に続く)
「愛について語るときにイケダの語ること」
企画・監督・撮影・出演:池田英彦
出演:毛利悟巳
プロデューサー・撮影・脚本:真野勝成
共同プロデューサー・構成・編集:佐々木誠
全国順次公開中
最新の劇場情報は、公式サイトにて、https://ikedakataru.movie
場面写真はすべて(C) 2021 愛について語るときにイケダが語ること