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障がいのあった彼が最期に命を削り遺したセックスの映像記録。遺言を叶え映画にしてわかったこと

水上賢治映画ライター
共同プロデューサー・構成・編集を担当した佐々木誠監督 筆者撮影

 映画「愛について語るときにイケダの語ること」は、いまはもうこの世にいないひとりの男の最後の願いから始まっている。

 その男の名は、四肢軟骨無形成症の障がいのある池田英彦。

 40歳の誕生日目前で彼は、スキルス性胃がんステージ4と診断される。

 死を強く意識した彼は「今までやれなかったことをやりたい」と思い立ち、その想いは性愛へと向かい、自分と女性のセックスをカメラに収める、いわゆる「ハメ撮り」に走っていく。

 そして、自らの死をクランクアップとし、それまで映像を自身主演の映画として遺すことを望んだ。

 池田氏の「僕が死んだら映画を完成させて、必ず公開してほしい」という遺言を託されたのは、ドラマ「相棒」などを手掛ける脚本家の真野勝成。

 20年来の友人であった真野は、「マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画」や「ナイトクルージング」などを発表している友人の映画監督、佐々木誠に映像を託す。

 こうして池田英彦企画・監督・撮影・主演、初主演にして初監督にして遺作となった映画「愛について語るときにイケダの語ること」は完成した。

 本作について撮影・脚本・プロデュースを担当した真野(前編後編)に続き、共同プロデューサー・構成・編集を担当した映画監督、佐々木誠に話を訊くインタビュー(第一回第二回)の第三回へ。(全四回)

言葉は悪いですけど、池田さんはすべてをきれいごとで済まそうとする

社会や世間に、ケンカを売っている

 少し話を戻すが、前回、佐々木監督は編集し終えたとき、『ああ、池田さんの映画ができた』と思ったと語っている。

 この真意をこう明かす。

「池田さんの撮った映像をみて、なんでこれを撮ろうとしたのかすごくよく分かりました、僕は。

 僕がこれまで発表した作品の主人公である『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』の門間さん、『インナーヴィジョン』『ナイトクルージング』の加藤秀幸さんと、池田さんの姿勢って一緒なんです。

 ちょっと言葉は悪いですけど、すべてをきれいごとで済まそうとする社会や世間に、ケンカを売っているんですよね

 障がいを重さであまり比べたくないんですけど、車いす生活で食事も排泄も一人でできない門間さんや、生まれつき目の見えない加藤さんはだいぶ重度だと思うんです。

 彼らと比べると、池田さんは軽いというか。ちょっと語弊があるかもしれないけど、身長が人よりも小さい。そこ『だけ』が違う。

 ほかはいわゆる『普通』で、顔もかっこいいし、頭もいいし、おしゃれだし、ちゃんと市役所に務めていて、お金にも困っていない。

 でも、その『だけ』ってけっこう大きいと思うんです。本人にとっては。

 実際、真野さんがインタビューで答えていましたけど、池田さんは小さいことで差別を受けたり、道端で絡まれたりしていた。

 その場ではやり過ごしていたかもしれないけど、内心では『ふざけるな』と思っていたと思うんですよ。

 その気持ちが僕は少しわかる。

 というのも、僕も小柄じゃないですか。

 全然レベルは違うと思うんですけど、やっぱりなめてくるやつが多いんですよ。

 たとえば、僕は親の都合でけっこう学校を転校した。

 すると、どこへいっても、必ず絡んでくるガキ大将とその取り巻きみたいなやつらがいてマウントをとりにくる。

 最初はそれに直接的に反発するんですが、回を重ねるとこちらも回避術を心得て、うまくかわすようになるんですけど。まぁとにかく絡まれる。最終的にはそのガキ大将と親友になることが多いのですが(笑)。

『小柄=かわいい=弱い』と決めつけられるところがどこかある

 それで、こっちもめんどうなのでそのイメージに収まって、そういうふうに振る舞うところがあるんですよ。そうやってかわいい同級生を演じるのをどこか楽しんでいたところもありますが。

 特に、そういうふうにふるまったほうがいいときは、自ら察して『こうしたほうが周りも安心して丸く収まるだろうな』と思って。空気とタイミングを読んで実際の自分と相手が望むイメージの自分を選んで出すことを子供時代に意識的にやっていました。

 レベルは違うんですけど、池田さんもどこか猫をかぶっていたと思うんです。

 市役所務めでもあるし、どこか障がい者として清く正しくが求められて。かわいいコビト、公明正大な障がい者をどっかで演じていた

 でも、死を前にしたときに、もうそこから解放されたかったんじゃないか。

 そこに、自分をどこか枠にはめてくる社会や世間に対して『なめんなよ』という感情が加わって、ある種、そのイメージを裏切るセックスへと向かっていった

 それを映画にして残したいと思うのは、そうとうな覚悟だと思うんです。別に残さなくてもいいじゃないですか。

 でも、ずっと、池田さんの中で、きみたちの前にいる僕は、ほんとうの僕じゃないんだという気持ちがあったと思うんです。

 池田さんは作品の中で、『自分のダークサイドをみせる』といってましたけど、僕からするとダークサイドではない。

 実際、自身もセックスしまくって『ダークサイド』を見せるといいつつ、本物の愛であり、普通の恋愛を探しはじめちゃう。

 そういったことから察するに、池田英彦という人間を、勝手な障がい者イメージ抜きにみてほしかったんじゃないかなと。

 だから、僕が映像を吟味して編集した工程はある種、池田さんにまとわりついていたしがらみやレッテルをはぎ取る作業だった

 そういう意味で、真の池田さんの映画にできたんじゃないかなと思っています」

池田さんが実際に使っていたカメラをお借りして、その場所に実際に行って、

池田さんの目線で実景を撮りました

 ただ、佐々木監督は単にあった素材を編集しただけではない。実は、亡き池田氏へのひとつの追悼ではないが、想いを共有するような撮影を行っている。

「そんなたいそうなことではないんですけど、池田さんは実景を全然撮っていないんですよ。

 それはちょっとほしいところがあって、4カットぐらい僕が追加撮影で撮りに行きました。

 池田さんが実際に使っていたカメラをお借りして、その場所に実際に行って、池田さんの目線だとこれぐらいかなと思って撮りました。

 これもいい時間がもてたかなと。池田さんはこんなふうに世界がみえていたのか少し感じることができました」

「愛について語るときにイケダの語ること」より
「愛について語るときにイケダの語ること」より

疑似デートシーンは、すごいシーンだとおもいました

 本作において、ひとつの大きなシーンとなっているのが、真野プロデューサーが池田氏の理想の恋愛を実現すべく設定した、女優の毛利悟巳と池田氏が疑似カップルになってのデートシーンの撮影。

 このシーンでのやりとりは作品のクライマックスとなっており、池田の恋愛に対する過度なこだわりと純真さが透けて見えてくれる。

「映像をみたときに、このシーンはすごいシーンだと思いました。

 僕はずっと、自分の作品において、ドキュメンタリーの中にフィクションを入れる手法をずっとやってきた。

 それには理由があって。世間一般的には、『ドキュメンタリー=真実』というイメージがあるけど、僕の中では、ドキュメンタリーって『虚実』のところが多分にある。

 そこに作られたものを入れたほうが、より真実に近いものが浮き出ることがある。だから、僕はその手法をとってきた。

 あの疑似カップルのシーンも、完全なお芝居なわけです。それは池田さんも、毛利さんも重々承知している。

 撮っている真野さんももちろんわかっている。自分が脚本も書いていますし。

 当初は恋愛ごっこに近かったかもしれない。でも、いざ虚実皮膜なところに置いて、虚構で書いたことをやらせたら、あんなリアルなリアクションになってしまった。

 まぎれもない池田さんの本心が出てしまった。

 詳細明かせないですけど、お芝居なのにイエスとは言えない。

 そこに池田さんが人知れず抱えてきたことが現れている。あの『イエスといいたいけど、ノー』という言葉は、ぐっときますよね。

 ある意味、あのシーンに、池田さんの人間性から、これまでにたどってきた人生までが凝縮されているといっても過言ではないかもしれない

(※第四回に続く)

「愛について語るときにイケダが語ること」より
「愛について語るときにイケダが語ること」より

「愛について語るときにイケダの語ること」

企画・監督・撮影・主演:池田英彦

出演:毛利悟巳

プロデューサー・撮影・脚本:真野勝成

共同プロデューサー・構成・編集:佐々木誠

全国順次公開中

最新の劇場情報などは、公式サイトへ https://ikedakataru.movie

場面写真はすべて(C) 2021 愛について語るときにイケダが語ること

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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