【四條畷市】四條畷、きちんと読めますか?<難読地名>
「四條畷」という地名を、ここまでの記事では何気なく使ってきましたが、この地域になじみのない読者の方、きっちり読めますでしょうか? 特に、「又」が4つもある「畷」は難しいかもしれませんね。
というわけで、ここでクイズです。「四條畷」という漢字はどう読むのでしょうか? 次の4つの中に、正解が含まれています。
(1)しじょうたまた
(2)しじょうしころ
(3)しじょうばさら
(4)しじょうなわて
さあ、どれが正解でしょうか。
正解は、(4)のしじょうなわてでした。
四條畷市の歴史は古く、市内の遺跡からは旧石器時代のナイフ型石器などが出土しているほか、古墳も複数存在。平安時代より京都から高野山への参詣道として使われていた東高野街道も、この地を南北に通っています。
1348(正平3)年、この地を舞台に南朝側の楠木正行(くすのきまさつら)軍と、足利尊氏側の高師直(こうのもろなお)軍との戦いが行われました。「四條畷の戦い」です。この戦いに正行軍は破れ、正行は自害します。
明治時代に入ると、新政府は正行と父の楠木正成(くすのきまさしげ)を忠臣として讃えるようになります。1890(明治23)年、正行およびその一族の将士24人をまつる四條畷神社が飯盛山のふもとで創建されると、その後、この地域に設置された旧制中学、警察署、郵便局は、いずれも神社と同じ「四條畷」という名称を頭に付けました。こうした流れを受けて、この地の甲可村は1932(昭和7)年に四條畷村と改称。1961(昭和36)年に四條畷町、1970(昭和45)年に四條畷市となり、現在にいたります。
筆者にとって四條畷とは、国鉄の駅の西側に商店街とダイエーがある街、というイメージです。小さい頃、母に連れられて近隣自治体にある自宅から四條畷まで歩いたことがあり、その後、筆者が大人になっても母とはよく当時の思い出話をしたものです。母は今も「あそこに何々の店があった」と話します。商店街とダイエーが今も健在なのは、だから筆者にとってはうれしい限りです。
ともあれ、この記事で正しい読み方を知った方、今後ネットや書籍などで「四條畷」という地名に出会ったときには、胸を張って「しじょうなわて」とお読み下さい。
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