Yahoo!ニュース

江戸時代にもあったアイドル商法と男たちを熱狂させた「推し活」の喜び

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(提供:イメージマート)

「男余り」の江戸に花開いた文化

江戸時代の江戸には独身男があふれていた。

徳川吉宗の頃の享保年間では、町人の男は女の2倍の人口がある「男余り」社会だったことは、こちらの記事(地方から若者が集まり結婚もできずに生涯を終える。現代の東京と江戸との酷似点)で紹介した通りだ。

仮に、江戸中の女性が全員結婚したところで、あぶれる男性が出てくるのだから仕方がない。もちろん、離婚も多かったので、再婚女と初婚男とで何度もくっついては離れるという「時間差一妻多夫制」でうまく回っていたのかもしれない。

江戸が多離婚社会だった話はこちら

「3組に1組どころじゃない」離婚大国・日本が、世界一離婚しない国に変わった理由

そんな「男余り」の江戸だからこそ花開いた文化もたくさんある。

そのひとつが食文化でもあったのだが、他にも、江戸時代にもアイドルは存在しており、それを熱狂的に支援するアイドルオタクもいた。

元祖アイドルは茶屋の看板娘

明和年間の1760年代、谷中の笠森稲荷門前の水茶屋「鍵屋」で働いていた看板娘笠森お仙(おせん)が、アイドルの元祖といっていいのではないだろうか。

茶屋の娘なので、要はカフェのウエイトレスなのだが、美人だと評判になり、美人画で有名な鈴木春信が彼女を描いたことで江戸中に拡散、大人気となった。当時、美人画は今でいう写真集のようなものである。

一説によれば、一杯のお茶が現代の価格にして3000円ほどの高額であったにもかかわらず、行列ができるほどの盛況ぶりだったらしい。

鈴木春信の美人画「笠森お仙」(画:メトロポリタン美術館所蔵オープンアクセス素材)
鈴木春信の美人画「笠森お仙」(画:メトロポリタン美術館所蔵オープンアクセス素材)

あまりの人気に、鍵屋の主人も欲が出る。

お茶だけにとどまらず、お仙をあしらった手ぬぐいや絵草紙、すごろくといった所謂「お仙グッズ」を販売した。そして、これがまた売れに売れたというのだから、まさに現代のアイドル商法の物販と同じである。

ちなみに、鈴木春信の描く美人画というのは、抱きしめれば折れそうな手足と幼さの残る顔立ちを特徴としていて、後世の鳥居清長が描いた「9頭身パリコレモデル美女」や、喜多川歌麿の描いた「グラマラス美女」とは違う。現代で言えば、さしずめ、お仙はグラビアアイドルというよりも、乃木坂46や櫻坂46的なイメージなのだろう。

当時、お仙と並んで、浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」の看板娘お藤(おふじ)も人気があり、この二人に、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」の看板娘およしを加えた三人が、「明和三美人」と言われていた。

ストーカー疑惑もあった

ところが、お仙は、人気絶頂期に突然姿を消してしまう。そのため、ストーカーによる誘拐拉致説も流れ、ファンの連中は騒然となった。

『嫉妬に狂った茶屋のオッサンから逃亡したのだが、そのオッサンに見つかり、喉を噛みちぎられて死んだ』という凄まじい俗説までささやかれたそうだ。

こういう噂が立つということは、当時から、アイドルのストーカーがいたという証拠だろう。

が、お仙失踪の真実は、結婚である。

なんのことはない、幕府旗本御庭番で笠森稲荷の地主でもある倉地政之助の許に嫁いだとのこと。今でいえば、将来有望なエリート官僚と結婚して引退したというところだろうか。事実、政之助は幕府の金庫を管理する払方御金奉行にまで出世している。

アイドルオタクたちの純粋な恋が悲しい結末を迎えるのは江戸時代も今も変わらないようだ。

アイドル総選挙まであった

明和の三美人から遅れること約30年、1790年代の寛政年間には、浅草難波屋のおきた(16歳)と両国高島屋のおひさ(17歳)というニューアイドルが誕生し、これに富本豊雛を加えた3人で、今度は喜多川歌麿が「寛政の三美人」画を発表して話題となった。

喜多川歌麿寛政の三美人(画:メトロポリタン美術館所蔵オープンアクセス素材)
喜多川歌麿寛政の三美人(画:メトロポリタン美術館所蔵オープンアクセス素材)

当時はアイドルランキング表も発表されていたという。まさにAKB総選挙。こうしたアイドル旋風は江戸時代からあったわけである。

今から200年以上も前の話だが、何も変わってない!

アイドル市場が成長する背景

現代のアイドルオタクたちが牽引しているアイドル市場は、矢野経済研究所の試算によれば、2019年には2600億円規模にまで膨れ上がった。コロナ禍によって。ライブやイベントが制限・中止されたことにより1400億円まで激減したが、また元通りになれば復活するだろう。アイドルだけに限らない「推し活」市場ともなればもっと大きな規模にまで拡大している。

「宵越しのカネは持たない」といわれていたように、江戸の男たちの消費意欲は旺盛だったが、それは決してモノ消費のような所有価値を重視した価値観ではなかった。むしろ、承認や達成という内面的・精神的価値を満足させようとする意欲が強く、彼らにとって消費行動とはいわば「幸せ感の獲得」という精神的充足の手段だったといえよう(こうした精神価値的な消費は現代における「エモ消費」の原型でもある。「エモ消費」とは、私の造語で、2017年上梓した拙著「超ソロ社会」の中で解説している)。これもまた、現代の「結婚しない男たち」で、かつ「オタク趣味を持つ男たち」に通じるものがある。

このように独身男性が多かった江戸と現代は共通点が多い。デフレの経済環境までそっくりなのである。

石川英輔氏の「大江戸生活事情」によれば、1668年に一杯16文(400円)だった二八蕎麦の値段は、幕末の1865年頃に20文(500円)に値上げされるまで、200年近く値段が変わらなかったそうだ。銭湯の入浴料も1624年から1843年もの長い間、大人6文のまま据え置きだったという。

未婚化や非婚化が進むと「国が亡ぶ」ということをいう人もいるが、日本はすでに一度大きなソロ社会を経験しているとも言えるわけで、だからといって国が滅びたわけではない。むしろ、彼ら江戸の独身男たちは、子孫こそ残せなかったものの、今に続く多くの文化や産業を残したとも言えるだろう。

関連記事(当連載の江戸シリーズ)

婚活ビジネスの発祥は人材派遣業~結婚時の持参金は敷金のようなもので離婚時は返還が必要

居酒屋」誕生秘話。江戸の独身男の無茶ぶりから始まった。

都市への人口集中、女性の社会進出、晩婚化と離婚増で人口減少~現代ではなく江戸時代のお話

-

※当記事使用のメトロポリタン美術館所蔵の画像は、パブリックドメインのオープンアクセス素材である。

独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

荒川和久の最近の記事