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都市への人口集中、女性の社会進出、晩婚化と離婚増で人口減少~現代ではなく江戸時代のお話

荒川和久独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター
(写真:アフロ)

人口減少は江戸時代にもあった

報道では、しきりに「未曾有の人口減少」などと言われるが、江戸時代もまた人口減少が起きていた。歴史上、日本の人口減少・減退期は3度あった。

最初は縄文時代の中後期。次に、平安後期から鎌倉時代にかけて。さらに、江戸中期から後期にかけてである。暴れん坊将軍・徳川吉宗の時代の享保年間から幕末にかけては、ご覧の通り人口はほとんど増えていない。

荒川和久作成
荒川和久作成

そのいずれも直前に人口が大きく増加した後に発生している。そう見れば、今後到来する4回目の人口減少も、歴史の必然と言えるのかもしれない。

人口減少自体を何の問題もないと切り捨てるつもりは毛頭ないが、そもそも現在の1億2千万人以上の日本の人口は適正なのだろうか。

グラフにあるように、明治維新後の急激な人口増加の方が、むしろ異常事態であったと見るべきではないだろうか。わずか100年足らずで3千万の人口が4倍に膨らんでしまったのだ。2100年には6000万人ほどの人口になるという推計がある。それでも明治維新の頃からみたら2倍の人口規模である。

明治以降の日本しか知らないと、未婚化や人口減少を未曾有の出来事だと勘違いしがちなのだが、江戸時代中期以降の日本がまさに今とそっくりな状況だったのだ。都市部(農村から江戸)への人口集中、江戸での男余り現象、労働市場における女性の進出、晩婚化も未婚化も離婚の増加もそっくりである。

江戸の人口集中と男余りについてはこちら参照。

地方から若者が集まり結婚もできずに生涯を終える。現代の東京と江戸との酷似点

江戸期まで日本が離婚大国であった話はこちら参照。

「3組に1組どころじゃない」離婚大国・日本が、世界一離婚しない国に変わった理由

江戸期にもあった人口抑制の動き

さて、では、なぜ、江戸時代に人口停滞期が訪れたのであろうか。

現在、日本の合計特殊出生率は1.3レベルであるが、第一次ベビーブームの起きた1947年には4.54もあった。戦前や江戸時代はさぞもっと出生率は高かったと思うかもしれないが、18世紀の関東~東北の東日本における合計特殊出生率は4.0人を切っていた。

当時は、乳幼児死亡率が非常に高かった時代である。生まれた子の半数しか成人できなかったといわれる。つまり人口規模を維持するためには、少なくとも4.2人程度は産まないとならなかったのだが、それを下回っていたということになる。現代と同じである。

写真:イメージマート

なぜ、そうした少子化が起きたかというと、ひとつにはたびたび起きた大飢饉の影響がある。江戸中期から後期は「小氷期」と呼ばれる世界的な寒冷期でもあり、凶作による飢饉が頻発していた。

少子化は、これは食料自給との関係による「人口抑制」が起きたと考えられている。「間引き」なども行われていた。要するに、これ以上人口が増えると、それをまかなっていくだけの食料不足に陥るというものだ。

どこかで聞いたような話である。1974年の世界人口会議による「子どもは2人まで宣言」と瓜二つである。

日本に存在した「二人っ子政策」についてはこちら。

「子どもは二人まで」国やメディアが「少子化を推進していた」という歴史的事実

女性の社会進出と晩婚化

江戸幕府開府以降、新田開発や技術革新などで農村は右肩あがりに成長してきた。しかし、吉宗の時代に、遂に成長を続けてきた農村の限界をむかえたのだ。農村人口は幕末までほとんど増加していない。その代わり、江戸や大坂などの都市部に人口が流入したものの、1750年あたりをピークに都市部さえ減少基調になる。

江戸時代の人口減少のもうひとつの要因は、主に女性の社会進出とそれに伴う晩婚化ともいわれる。農村では男女関係なくもとから共働きであるが、農夫に対して蚕妻(さんぷ)と言われたように、農村では養蚕業が盛んになり、もっぱら女性が産業を取り仕切っていた。

写真:イメージマート

江戸など都市部でもそのころ女性の社会進出が活発化した。大奥奉公や大名家なとの武家奉公などは、さしずめ現代でいえば国家公務員か大企業勤めにあたるだろう。大奥勤めを勝ち取るために、読み・書きなどの知識はもちろん、各種芸事なども習ったという。現代の女性の高学歴化と一緒である。

江戸庶民文化と商業の発達により、呉服屋奉公も増え、現代の美容師である「髪結業」などは、現代の価格にして1回4万円の報酬を得る高収入職業でもあった。男余りの独身男たち向けには「洗濯屋」などのいわゆる家事代行業もあった。寺子屋の師匠(先生)になる女性も多かった。

提供:イメージマート

このように、女性が自ら職を得て、収入と財産を得るようになると、晩婚化や未婚化が進むというのも、まるで現代の話をしているかのようである。離婚が多かったのも、女性が経済的自立を果たしていたからこそ、離婚が可能だったという解釈もできよう。

経済成長の限界、異常気象、都市部への人口集中、男余り、女性の社会進出と晩婚化、離婚の多さ…。なんだか江戸時代と現代はとてもよく似ている。そう思わないだろうか。

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独身研究家/コラムニスト/マーケティングディレクター

広告会社において、数多くの企業のマーケティング戦略立案やクリエイティブ実務を担当した後、「ソロ経済・文化研究所」を立ち上げ独立。ソロ社会論および非婚化する独身生活者研究の第一人者としてメディアに多数出演。著書に『「居場所がない」人たち』『知らないとヤバい ソロ社会マーケティングの本質』『結婚滅亡』『ソロエコノミーの襲来』『超ソロ社会』『結婚しない男たち』『「一人で生きる」が当たり前になる社会』などがある。

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