頼れる兄貴「カズ兄」こと藤田一也(横浜DeNAベイスターズ)は、チームが苦しいときに力になる
*前回(横浜DeNAベイスターズに「背番号23・藤田一也」が帰ってきた)の続き
■初対戦のピッチャーの難しさ
2012年6月に横浜DeNAベイスターズから東北楽天ゴールデンイーグルスにトレード移籍した藤田一也選手が、古巣に復帰した。
復帰1年目の昨季、スタメン出場したのは2試合(レギュラーシーズン1試合、クライマックス・シリーズ1試合)で、チャンスの場面での代打が藤田選手の主戦場だった。
セ・リーグを離れて10年。対戦するピッチャーは様変わりしており、ほぼ初見のピッチャーばかりだ。
「それが一番しんどかった。ずっと試合に出ていると自分なりのデータというのがある。ピッチャーの球の軌道や特徴、そういうのが全部わかっている。でも、交流戦もここ何年かはそんなに打席に立つことなかったんで…」。
もちろんアナリストからデータはもらうが、それとは違う打席の中で己の肌で感じるデータが重要なのだ。今のセ・リーグのピッチャーについては、それをまったく持たない。そうした中で結果を残すということが、もっとも苦労したと振り返る。
■大きく変わったピッチャーとは…?
とくに驚いたのが阪神タイガースの青柳晃洋投手だったという。CS初戦、スタメンで2打席立ったが、実は2017年に対戦したことがあった。
「(イーグルス時代の)交流戦で戦っているけど、そのときとは全然違った」と当時2年目だった青柳投手が、5年経って別人のように成長していたとうなずく。
「キレも違ったし、うまいことバッターを見ながらタイミングを外してきていた。自分の中でリズムを変えて外してきたのか、たまたまなのかはわからないけど…」。
そのときに感じたことは今季に活かせるよう、自身の中にデータとしてきっちりインプットした。
■チャンスでの代打
今季も自らに求められるのは、大事な場面での代打になるのだろうと心得ている。守備の名手として鳴らした藤田選手にとって、守備からリズムを作ることができないことも、やりづらい一因ではないのだろうか。
しかし藤田選手は、「いや、もうそれはない」ときっぱり否定する。
「すべて経験させてもらったんで。レギュラーも守備固めも代打も。昔はそりゃ守備のほうが自信があるので、ビジターよりホームで、守ってから打席に立つほうがいいなっていうのはあったけど、今はもういろいろな経験をさせてもらったんで、そこは大丈夫」。
腹をくくって、ここぞというところで最大限の力を発揮する。
■バックアップは万全
とはいうものの、藤田選手は「僕がずっと1軍におるようじゃダメ。それじゃチーム力が上がっていかないし、優勝はできない」と冷静に語る。
「僕はチームが苦しいときに力になりたい。たとえば離脱者が出たときにチームの戦力が落ちないように、しっかりバックアップできるような準備はしっかりしておこうと思っている」。
それこそがチーム力であり、優勝するために必要なことだと力を込める。
だから、レギュラーを張っていたときのように守備で出場することが少なくなっても、有事に備えて変わらず守備の基本練習もコツコツやる。
「レギュラーも控えもみんなが自分の仕事、役割をする。チームに必要とされているときに貢献できるように」。すべては「チームの力になる」という、強い思いのもとにやっているのだ。
■イーグルスファンへの思い
ベイスターズに入団が決まってイーグルスを離れるとき、藤田選手には心残りなことがあった。これまで応援してくれたイーグルスファンのみなさんに、お別れの挨拶ができていなかったことだ。最後の年(2021年)は、プロ入りして初めて1軍出場がなかったのだ。
「1軍で、楽天ファンのみんなの前でプレーすることなく別れたし、ファン感にも呼ばれなかったので、みんなにちゃんとしたお別れっていうのができなかった」。
しかし昨年の交流戦で、横浜スタジアムに大勢のイーグルスファンが駆けつけて、数々のボードやタオル、ユニフォームを掲げてくれるのを目にした。
「ユニフォームを着てプレーしているところを、頑張っているところを見てもらって恩返ししたいっていうか、お礼を言いたいなっていう思いでやってきたので、本当に嬉しかった」。
グラウンドとスタンドでしっかりと気持ちが通じ合えたことを感じた。
また、今年の自主トレではたった1日だけの公開日に、遠路はるばる駆けつけてくれたファンもいた。ずっと応援し続けてくれているファンのありがたみを、今年も胸に刻んでプレーする。
■意外に人見知りだという「カズ兄」
「昔から、あんまり自分から入っていかないですよ」と、意外にも自らを人見知りだという。古巣に復帰とはいえ、「僕がいたときとは別のチームに入った感じ」で、かつての在籍時からいる選手といえば田中健二朗投手と「1年目やったんで、一緒にやったのは半年もない」という髙城俊人選手だけだった。
コロナ禍の影響で「外食もできなかったし、食事会場も黙食やったし」と、なかなかコミュニケーションがとりづらく、若い選手がいろいろと聞きにくるようになったのもシーズン終盤になってからだった。
それでもチーム内では「カズ兄」と呼ばれ、後輩たちからはサプライズで誕生日を祝ってもらうなど慕われている。「誰が言い出したのかわからない」という「カズ兄」という呼び名は人生で初だそうだが、「パパよりいいでしょ」と笑う。
「だってもう、パパって呼ばれてもおかしくない年齢の選手もいるから。『お父さんと1歳しか変わりません』っていう選手もいる(笑)」。
最大年齢差が22歳。それだけ長くプレーできていることは素晴らしいし、動きはいまだ若手に負けず若々しい。
■“同志”たちの思いも背負って…
昨年は、一緒にプレーしてきた仲間たちがNPBを引退した。ベイスターズ時代のチームメイトだった内川聖一選手(現大分B-リングス)、イーグルスでともに戦い日本一にも輝いた嶋基宏選手、そして戦友であり自主トレ仲間でもあった福山博之投手。
「やりたくてもできない、引退しないといけない選手もいる。その中で、こうやってまだユニフォームを着させてもらっているっていう感謝の気持ちでプレーしないといけないと思う」。
そして、先に(NPBの)ユニフォームを脱いだ“同志”たちからは、「1年でも長くプレーしてください」と激励された。「その言葉にはしっかり応えたい」と、できる限り長くユニフォームを着続けることを、あらためて誓った。
■現役をともにした三浦監督と石井コーチ
かつて大きな影響を与えてくれた人たちが、今は違う立場で同じユニフォームを着ている。三浦大輔監督からは、ファンをたいせつにすることを身をもって教えられた。石井琢朗チーフ打撃コーチには4つの金色のグラブ(ゴールデングラブ賞の副賞)を見せてもらい、それを目標に頑張ることができた。
「今こうして一緒にできることは、すごく光栄なことで、教えていただいたり期待していただくっていうことは、すごく嬉しい。やっぱりその期待に応えないといけないという思いで去年もやったけど、それが最終的に結果には結びつかなかった。なので、こうして一緒にできていることをしっかり噛みしめて、今年は去年以上に、去年の悔しさをしっかり晴らすというつもりで準備していきたい」。
■チームが苦しいときに力になる
7月に41歳を迎える。「厄年なんですよ」と、正月には地元・徳島で厄除けの寺である「薬王寺」にきちんとお参りし、厄除けもバッチリ済ませた。「最近、すぐ眠たくなる(笑)」とよく寝て、体調も万全に整えている。
自身としては2013年以来の勝利の美酒を味わうために、そしてその喜びを大好きな人たちと分かち合うために―。
藤田一也は今年も、チームが苦しいときに力になれる選手、頼れる兄貴でいる。
(撮影はすべて筆者)