横浜DeNAベイスターズに「背番号23・藤田一也」が帰ってきた!
■背番号23の「ハマの牛若丸」が帰ってきた
横浜DeNAベイスターズに「背番号23・藤田一也」が帰ってきた。
2005年に近畿大学から入団し、2012年6月に東北楽天ゴールデンイーグルスにトレード移籍するまで、「23」を背負ってきた。
「プロに入りたくて、ベイスターズに入りたくて、入って一番初めに着けさせてもらった背番号。やっぱりそのときの愛着もあったので、帰ってくるときに背番号のことは気になっていた。でも23番はオースティンが着けて活躍しているし、3番という本当にいい番号をもらって、それは嬉しかった」。
一昨年末、ベイスターズに復帰が決まったときにもらった背番号「3」を光栄に思っていた。
ところが昨年のシーズン中、オースティン選手から話しかけられた。「23番はフジタの番号だったんだろ?」と。
「オースティンって、先輩後輩かかわらず選手へのリスペクトがすごい。どこからか僕が23番を着けていたって聞いたんでしょうね。『フジタが23番を着けたいなら、俺はもう全然いいよ』みたいな感じで言ってくれた。僕も3番でもよかったけど、オースティンもケガが続いてたし、お互いちょっと気分転換に背番号を替えるのもいいよねって、世間話というか冗談半分で話していたのがトントン拍子に…」。
話が進み、お互いに心機一転、新背番号で臨むことが決まった。復帰2年目の藤田選手は再び「23」を、しかもオースティン選手の気持ちもこもった「23」を背負う。
■引退という決断をしなくてよかった
復帰1年目の昨季は、なんとかチームに貢献したいと必死だった。4月には出場2試合連続(19日、21日)でタイムリーを放ち、お立ち台で「ただいまぁ~!」と声を張り上げてベイスターズファンを喜ばせた。
「初打席(同13日)から、ファンのみなさんの雰囲気というか空気はすごかった」と、ユニフォームを着て試合に出られることに、身震いするほどの喜びを感じた。
何年か前から「引退」は常に頭にあった。一昨年はとうとう、それが現実のものになろうとした。イーグルスからは選手以外でのオファーがあり、それを受けるのか、はたまた受けずにほかの仕事をするとしたらどんな仕事があるだろうか、などとさまざまなことを考えた。
しかし「自分的にはまだやりたい、やれるという気持ちがあった」と、現役への執念の炎は消えてはいなかった。
そんなときにベイスターズから声がかかり、今の自分がある。「あのとき、引退という決断をしなくてよかった」。ファンの声援を聞きながら、藤田選手はしみじみと思った。
と同時に、「チームが苦しいときに少しでも力になりたいと考えていたので、力になれてよかった」とホッと胸をなでおろした。というのも、レギュラー陣にコロナ陽性者が増え、「特例2022」で昇格したからだ。
だから自分の結果に喜ぶ以上に、チームの力になれたことのほうが嬉しかった。それも「ほんとに少しだけどね」と控えめに、だ。
■なんとしても優勝したいという強い思い
7月に抹消となり、9月に再昇格した。「チームに貢献したい」と懸命だった藤田選手にとって、シーズン最後の試合は今も忘れられない。
クライマックス・シリーズのファーストステージでの阪神タイガース戦、九回裏1死満塁の場面で、二ゴロ併殺打に打ち取られた。必死のヘッドスライディングも及ばず、一塁ベースに倒れ込み、しばらく立ち上がれなかった。
「僕、あんまり引きずらないタイプだけど、あれはかなり引きずりましたね…」。
自分だけのことではないからだ。「あれで決まってしまったし、やっぱりシーズンからあそこまでみんなで繋いできて、それを終わらせてしまったっていう責任感をすごく感じた」と唇を噛む。今もあのときの光景は、脳裏に鮮明に残っている。
「だからこそ」と、今年に懸ける思いはひとしおだ。
「リーグ優勝がしたいというのが強い。2位とか3位でクライマックスを勝ち上がるんじゃなくて、ファイナルステージで待ち受けるようにしないといけない」。より強く優勝を誓う。
■若手と同じ本数を走る
1月の自主トレではじっくりと体を作った。今年は京都市内から滋賀県大津市の球場に場所を移したが、弟子入りを希望する若手選手たちを受け入れるのはいつもと同じだ。
今年はイーグルス時代の後輩・小深田大翔選手、山崎剛選手、埼玉西武ライオンズの呉念庭選手に加えて、チームから蝦名達夫選手も志願してきた。
内容は例年とほぼ変わらず、走る量は多い。いや、「いつもは、その日の本数を自分で決めて走ってるけど、今年は最後まで若い選手と同じ本数を走ろうと思ってやった。走れない日もあったけど、極力最後まで走るっていうのを心がけていたので、去年よりは走る量は増えていたかなと思う」と、今年はより追い込んだ。
昨年はキャンプ序盤にコンディション不良になったこともあり「飛ばしすぎないように心がけて」と、より慎重に、しっかりと体の準備を整えてキャンプに臨んでいる。
■守備練習にテニスボールを導入
守備練習も変わらず、基本練習をひたすら繰り返す。2年ほど前から取り入れているのがテニスボールを使ってのゴロ捕球だ。その意図を「硬球よりバウンドが出て弾む。それと硬球より軽いので、柔らかくグラブを使わないと弾きやすい。体もグラブも柔らかく使うように」と説明する。
使用球場が土のグラウンドなので、硬球だとあまり弾まない。試合での人工芝も想定した守備練習をするためだ。
「基本練習っていうのは、常に同じリズムで捕るっていうのもある。だからバウンドしないときのリズム、バウンドがあるときのリズムをどちらも同じようにするために、硬球もテニスボールも使う」。
テニスボールでさまざまなバウンドのゴロ捕球をしたあと、硬球でも行う。
さらに藤田選手が考案した練習法がある。「2」「3」「1」などとランダムに数字を言いながらボールを投げてもらい、言われた数字のバウンドで捕球する。これもテニスボールだと自在にバウンドがつけられるからできることだ。
「バウンドの数に合わせて捕球しようと思ったら、前に出ないといけないとき、引いて捕らないといけないとき、普通に正面で捕らないといけないとき、いろいろある。その打球によっての体の使い方を染みつかせる。バウンドが変わっても、速い打球でも遅い打球でも難しい打球でも、どんな打球でも常に同じリズムで捕るっていう練習法でもある」。
さまざまなバリエーションの打球を想定したテニスボールを、一定のリズムで捕るというのはかなり至難で、後輩たちはたまにバウンドが合わなくて「あーっ!」などと声を上げている。それを事もなげにやってのけるのが藤田選手だ。
同じリズムで軽やかに柔らかくボールを扱う。そういえば昔、「生卵を扱うように」と表現したこともあったが、それを言うと「さすがに卵では練習できないんで」と笑っていた。
さらにおもしろい練習も披露する。左右の手それぞれにテニスボールを持ち、2コ同時に相手にふわっと投げ、捕った相手がまた投げ返すというキャッチボールだ。これをリズミカルに何往復もする。
「試合中は、捕球にいきながらもランナーや周りの動きも見えていないといけない。打球だけに視線を集中せずに、ぼやっと全体を広く見るための練習」。
これまた藤田選手はリズムよく投げてキャッチして、ときにクロスにして投げるなど器用にこなすが、後輩たちはけっこう苦戦していた。1点集中でなく広く見ることがいかに難しいか。
これも実戦を想定した練習だ。
■“匠の技”の伝承
それにしても、こんなにもいろいろな練習法をよく思いつくものだ。
「山崎にしてもこぶ(小深田)にしても自主トレに来て4年目、3年目なんで、今までどおりのことも必要やし、ちょっとずつレベルも上げていかないといけないんで、レベルアップしたメニューも入れるようにしている」。
経験から得たものを自分なりに研究し、「あの練習を取り入れたら、こういうふうに役立つんじゃないか」などと豊富な引き出しから、より実戦に即した練習になるようにと工夫して後輩たちに伝授している。自身を慕ってきてくれる後輩たちに、上達してほしいと願うがゆえである。
後輩たちをしっかり見ながらも自身の体もきっちりと仕上げ、今、プロ19年目の春季キャンプに臨んでいる。
次回はイーグルスファンをはじめ、さまざまな人たちへの思いを藤田選手が明かす。⇒(藤田一也はチームが苦しいときに力になる)
(撮影はすべて筆者)