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中日ドラゴンズ ドラフト5位・濱将乃介と7人の人物 そして福井への思い

土井麻由実フリーアナウンサー、フリーライター
仮契約後の会見にてドアラのぬいぐるみと(撮影:筆者)

 中日ドラゴンズにドラフト5位で入団した濱将乃介選手。会見やテレビ出演などでの“ぶっ飛んだ発言”に、ドラゴンズファンの注目が集まっている。そこで濱選手自身の好きな、または縁(ゆかり)ある7人の人物について語ってもらい、濱選手へのさらなる理解を深めていただこう。

■明石家さんまさん

 「好きな芸能人は誰ですか」と訊かれたときに、真っ先に名前を挙げるのは明石家さんまさんだ。こういう質問には、たいてい女優や女性アイドルを挙げることが多いが、これもまた濱選手らしい。

 そのわけを「さんまさん、『生きてるだけで丸儲け』って言うてはるじゃないですか。僕もそのとおりやと思うんですよ」と語る。

 たとえば試合でヒットが出なかった日も、「生きてたらいいや」で済ませるという。もちろん振り返って打てるように努力はするのだが、変にくよくよと落ち込まず、すぐに切り替えができるのだ。

 「いつでも笑ってはるし、さんまさんの記事で『人に腹立たない』って言うてはったんですよ。『あぁ、こいつ、アホなんやな、って俺は済ませる』みたいな。それだけ心が広い人なんやな、僕もそういうふうになりたいなって思います」。

 明石家さんまさんの番組も好きでずっと見ていて、なによりその人柄に惹かれている。いつかは会ってみたいと願っている人物だ。

担当スカウトの音重鎮氏と(撮影:筆者)
担当スカウトの音重鎮氏と(撮影:筆者)

■亀田史郎さん

 ドラフト指名直後、新聞社の名鑑用プロフィール欄に記入した「好きな著名人」は、亀田史郎さんだった。これがさまざまなところで爆笑を生んだ。

 「いつも(亀田さんの)YouTubeを見てるんですよ。やっぱすごいじゃないですか、息子3人を世界チャンピオンにして。YouTubeで史郎さんのお好み焼きの作り方とかも見て、家で作ったりしてます(笑)」。

 超リスペクトしているのだ。その亀田さんに先日、会うことができた。友人と食事のあと、馴染みのバーに行くと、その店のオーナーから「見たよ、里崎チャンネル」と話しかけられた。

 元プロ野球選手で野球解説者、評論家である里崎智也氏のYouTube番組「里崎チャンネル」で、濱選手がプロフィール欄に亀田史郎さんの名を明記したことが取り上げられていたのだ。

 「そのオーナーが史郎さんと仲いいらしくて、たまたま史郎さんが用事でこっちまで来るっていうから店に呼んでくれて…。一緒に飲みましたよ。めっちゃおもしろい人でした(笑)」。

 濱選手がファンだと告げると亀田さんは気さくに「あぁそうか。嬉しいな」って喜んでくれたという。そして、「まだここからやで。入るだけじゃなくてな」と金言も授けてくれた。

 さらには、活躍したら食事に連れていってもらう約束までとりつけた。それもまた、濱選手のモチベーションになっている。

亀田史郎さんと3150!(写真提供:濱将乃介)
亀田史郎さんと3150!(写真提供:濱将乃介)

■新庄剛志さん

 野球選手では、子どものころはずっと新庄剛志選手に憧れていた。阪神タイガースのファンだった濱選手だが、新庄選手は濱選手が生まれた年にタイガースを退団し、海を渡った。帰国し、北海道日本ハムファイターズに所属した3年間は、濱少年が4歳から6歳の年だ。

 リアルタイムで試合を見てはいなくとも、その存在を知っていた。そのわけは「家に新庄さんのDVDがあったんですよ。お父さんが買ってきてくれて」と、そのファインプレー集の映像を何百回と見ていたからだ。

 「それ見て、『かっこいいな』『こんなふうになりたいな』って、ずっと思ってました。使っていたグローブとかも新庄モデルでした」。

 もちろん代名詞である赤いリストバンドを着け、新庄選手を真似た。ただ、真似たのはフォームではなく「かっこつけて歩くことだった」というから、濱選手らしい。

 来季用に新たに作ったグラブも「ほとんど赤と黒で新庄さんの色っすね」と、他球団の監督である今も「プレーも人としてもかっこいい。スター性がある」と憧れの存在であることには変わりないという。

 今年1年、部屋には「お母さんが買ってきてくれた」という新庄剛志氏の日めくりカレンダーを飾り、そこに綴られた“新庄語録”に励まされてきた。

 とくに好きなのは「苦労が楽しさに変わるまで苦労する。努力と思わない努力をする」と書かれたページだ。濱選手も、楽しめるようになるまで苦労を厭わないつもりだ。

新庄剛志さんの名言が書かれた日めくりカレンダー(写真提供:濱将乃介)
新庄剛志さんの名言が書かれた日めくりカレンダー(写真提供:濱将乃介)

■糸井嘉男さん

 リアルタイムで見て好きだった野球選手は糸井嘉男選手だ。いや、濱選手の野球人生での目標は、ずっと糸井選手だった。

 糸井選手がプロ入りした2004年は4歳だった濱少年。小学6年まではファイターズの糸井選手を、中学1年から高校1年まではオリックス・バファローズの、そして高校2年から今年まで大好きなタイガースのユニフォームを着た糸井選手を応援してきた。

 「体も大きいし、打てて肩も強いし足も速いし、走攻守すべてにおいてすごい。すべてが一流。ずっとそういう選手になりたくて。小っちゃいときからテレビで見てて、ゲームでも糸井選手が当たったら嬉しかった」。

 球場に見に行ったこともある。「オリックスんときかな。そんときも一人だけ体が違って、デカッみたいな(笑)」と“ナマ糸井”に衝撃を受けた。そしてますます惚れ込んだ。

 中学3年のときだ。知り合いから糸井選手本人のスパイクをプレゼントされたことがあったという。

 「めちゃくちゃ嬉しくて、テンション上がりました」。

 今も宝ものとして実家にたいせつに置いてある。実は履いてみたい気持ちもあったのだが、小学6年ですでに30cmというデカ足の濱選手に対して、糸井選手のスパイクは28.5cm。意外にも糸井選手のほうが小さくて履けなかったのだ。

 そんな大好きな糸井選手は今季限りでユニフォームを脱いだ。その引退試合、福井県では地上波放送はなく、CS放送の契約をしていなかった濱選手は「近くのドン・キホーテのテレビで見ました」と明かす。

 「ずっと立って見てましたね。いや、もう、かっこよかった。憧れやった選手が引退するのを見てるわけじゃないですか。レフト前にヒットも打って…。ドンキのテレビの前で拍手しちゃいました(笑)」。

 NPBの世界では入れ替わりとなったが、糸井選手のような一流選手になるべく汗を流す。

糸井嘉男選手のような走攻守三拍子そろった選手になる(撮影:筆者)
糸井嘉男選手のような走攻守三拍子そろった選手になる(撮影:筆者)

■和田一浩さん

 続いて、ドラゴンズの1軍打撃コーチに就任した和田一浩氏だ。中学3年のときに「両手投げのスーパー中学生」としてテレビ出演した濱選手。そのときに対戦することになったのが、当時現役だった福留孝介選手、和田選手、井口資仁選手だった。(詳細記事⇒独立リーグナンバー1の野手

 福留選手はファーストゴロに抑えたが、和田選手にはヒットを許し、そこで対決は終了となった。

 「向こうはガチじゃないんですけど、中学生の僕からしたら本気。和田さんに打たれて悔しくて、『このままやったらプロに行かれへん。もっと頑張ろ』って思いました(笑)」。

 いわば“負けじ魂”に火をつけてくれた、まさにその人がこれから師となる。なんという縁だ。

 福井時代の師匠だった西村徳文氏からは、すでに「濱っていうのが行くからよろしく」と和田コーチに電話が入っている。

 「お会いしたら、走って笑顔で挨拶しにいきます」と、濱選手も“再会”に胸を膨らませている。

仮契約にて(撮影:筆者)
仮契約にて(撮影:筆者)

■小田幸平さん

 ドラゴンズの小田幸平2軍バッテリーコーチとは四国アイランドリーグplus時代、チームは違うがよく会話を交わした。今年7月、日本海オセアンリーグ選抜メンバーとしてナゴヤ球場に試合に行ったとき、久しぶりに顔を合わせた。

 「小田さん、僕のことをドラゴンズ内で『いい選手やから』って言いふらしてくれてたんですよ」。

 ヒットを打って二塁に到達したときだ。守っている京田陽太選手(現横浜DeNAベイスターズ)に「小田さんからいい選手だって聞いてるよ」と言われ、嬉しくなった。それでますます気合が入り、対ドラゴンズ2連戦で9打数5安打1本塁打)と打ちまくり、大いにアピールすることができた。

 「あのとき、(高校の先輩である)高橋周平選手もいて、二人ともめちゃめちゃかっこよかったですね。もう野球少年の気持ちになってました(笑)」。

 そしてドラゴンズに入団できた。小田コーチには感謝の思いでいっぱいだ。

なぜかドアラを懐に忍ばせる(撮影:筆者)
なぜかドアラを懐に忍ばせる(撮影:筆者)

■西村徳文さん

 最後は恩師・西村徳文氏だ。「西村さんには感謝しても感謝しても、しきれないですね」と、ドラフト指名されるまでに成長させてくれたことに深謝している。

 「とても優しくて、人としてすごいですね。監督をされたのも人柄だと思う。昔は厳しかったらしいけど、僕らにはめちゃめちゃ優しいんですよ」。

 食事にも何度も連れていってもらい、いろいろな話をしてもらった。ドラフト指名直後にはすぐ祝福の電話ももらった。

 西村氏からはNPB入りにあたって、「キャンプで飛ばしすぎるな」と教示されている。もちろんアピールはしなければならないが、ケガをしては元も子もない。その頃合いを計れるようになるのもプロだ。

 今後も事あるごとに自分から連絡するつもりだ。離れても、永遠に心の師である。

永遠の師匠・西村徳文氏との食事(写真提供:濱将乃介)
永遠の師匠・西村徳文氏との食事(写真提供:濱将乃介)

■福井への思い

 すでに福井での住まいは引き払った。年明けには「昇竜館」に入寮する。1年未満ではあったが、福井県が大好きだと濱選手は語る。

 「おすすめのスポットがいっぱいあるんですよね。まず、海がきれい。僕、海が好きで、オフの日に潜ったりしてました。それと敦賀に『日本海さかな街』ってあって、海鮮とか食べられるんですよ。僕、魚はダメやけど、ホタテとか牡蠣とか海鮮は好きなんです。いくら丼とかもあります。あと、福井の街並みが好きなんです。田舎すぎず都会すぎずみたいな。静かっすね」。

 そのほか、「ヨーロッパ軒」のソースカツ丼がおいしいから、ぜひ食べるべきだと紹介してくれた。

 そして、結びにこんな思いを明かす。

 「福井ネクサスエレファンツのボランティアの方々にすごくお世話になりました。ホームの試合では朝早くから一生懸命に動いてくれていた。本当に感謝の気持ちが大きいですね。球団が潰れてみなさん、ショックを受けている。僕もショックです。淋しい気持ちもありますけど、中日の試合もテレビで映ると思うので、引き続き僕のことを応援してくれたら嬉しいですね。福井のファンの人たちも」。

 受けた恩は決して忘れない。「いろんな人の思いも背負って、僕は頑張ります!」と固く誓った。

レギュラーを獲る!!(撮影:筆者)
レギュラーを獲る!!(撮影:筆者)

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阪神タイガース・ファームとの練習試合

元盗塁王・西村徳文氏の愛弟子

6ツールプレーヤー

独立リーグではナンバーワン野手

「チームカラーは青色」

NPBでも盗塁王を獲る!師匠と同じくドラフト5位

母が語る濱将乃介の原点

フリーアナウンサー、フリーライター

CS放送「GAORA」「スカイA」の阪神タイガース野球中継番組「Tigersーai」で、ベンチリポーターとして携わったゲームは1000試合近く。2005年の阪神優勝時にはビールかけインタビューも!イベントやパーティーでのプロ野球選手、OBとのトークショーは数100本。サンケイスポーツで阪神タイガース関連のコラム「SMILE♡TIGERS」を連載中。かつては阪神タイガースの公式ホームページや公式携帯サイト、阪神電鉄の機関紙でも執筆。マイクでペンで、硬軟織り交ぜた熱い熱い情報を伝えています!!

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