能登のため、輪島のために―。阪神の育成D4位・川﨑俊哲(石川ミリオンスターズ)は故郷のために光り輝く
■球団の端保聡社長からのハグ
苦節5年…。
石川ミリオンスターズ(日本海リーグ)の川﨑俊哲選手は、輪島高校から入団して5年目の今秋、ようやくNPB入りの夢をかなえた。
10月24日のドラフト会議の日、食い入るようにじっと中継画面を見つめていた。隣に座る岡﨑太一監督からは「めっちゃ水飲むやん(笑)」とツッコまれるくらい、緊張が頂点に達していた。調査書をもらい、ドラフト候補選手として待つのは初めての経験だからだ。
「長い…。ものすごく長くて、だんだん下位指名になってって、不安もありました」。
だが各球団が選択を終了する中、調査書をもらった球団の指名はまだ続いている。そして、育成4巡目になったときだ。コールされる自身の名前が耳に入ってきた。
「阪神、川﨑俊哲、内野手、石川ミリオンスターズ」―。
ホッとした、その瞬間だった。左前方から飛んできた人物に握手とともにギュッと抱きしめられた。球団の端保聡社長だ。石川に入団した5年前の春、端保社長は父に約束してくれていた。「必ずNPBに入れます!」と。
「この5年間という、ほかの選手より長い期間、社長も一緒にやってきたんで、それほど嬉しかったんじゃないかと思います(笑)」。
監督より先にハグしてくれた社長の気持ちがひしひしと伝わり、喜びが増幅した。
■「最後くらいの気持ち」で今年に懸けた
「1年目から4年目までは苦しいシーズンでした」と、川﨑選手は振り返る。野球センスは評価されながらも、思うように結果は出ず、過去4年は調査書が届くこともなかった。
それでも諦めるつもりはなかった。いや、諦めたくはなかった。独立リーグではだいたい大学卒で2年、高校卒では3年というリミットを決めている選手が多い中、川﨑選手は「自信があった」と、5年目の今年も夢を追う決意をした。
ただし、「最後くらいの気持ちで。年齢も年齢なので、勝負の年だと思っていた」と今年に懸ける意気込みでシーズンに臨んだ。
そんなときに出会ったのが、タイガースから派遣されてきた岡﨑監督だ。「監督はすごくコミュニケーションを取ってくれる」と、面談で弱点などすべてを打ち明け、取り組み方や克服法などを指導してもらった。
「岡﨑監督のおかげで、こうして指名されるところまで成長できたと思っています」。
自分の人生を変えてくれたと、感謝は尽きない。
■岡﨑太一監督の教え
岡﨑監督も昨秋、就任が決まるとすぐに日本海リーグの試合映像をすべて見て、各選手の課題を洗い出し、川﨑選手に関しては「ムラが多いのかな」とチェックしていた。
自分でその欠点はわかりながらも、どうすればいいのかがわからなかった川﨑選手に、岡﨑監督はわかりやすく、滾々と説いた。たとえばミスをしたときの対処の仕方だ。
「やっぱり人間だからミスもするし失敗もする。でも、その後が大事なんだよって、ミスした後にどういう振る舞いができるかということを話した。野球って生きものなのでずっと動いている。『エラーした!あー!』って言っていたら、そこにとどまっちゃう。試合は進んでいるのにね。だから、それはやめようと。クソーッと思ってもすぐに試合に戻って、反省は終わってからなんぼでもすればいいっていう話をして」。
岡﨑監督からの数々の言葉は川﨑選手の心に響き、以降、それを心がけることで安定してプレーすることができた。
また、キャッチャー目線でのバッティングを学び、内野手としてすべきことなども岡崎監督の指導で変化していった。
「内野の中心になって、いいタイミングでピッチャーに声をかけてくれた。そこは全体的に試合やチームを見て動いてくれたなって、本当に感じますね」と、岡﨑監督も愛弟子の成長に目を細める。
(岡﨑監督からの指南など詳細記事⇒「《2024ドラフト候補》NPB入りして故郷・能登に明るいニュースを! 川﨑俊哲(石川)、5年目の決意」)
■両親に、そして故郷に恩返し
川﨑選手にはどうしてもNPBに行きたい理由がある。もちろん野球が好きで、野球を仕事にしたいというのは小さいころからの夢ではあるのだが、今年はなんとしてもその夢をかなえなければならないと、自分自身に課してきた。
出身の輪島市は、石川県の能登半島に位置する。今年の元日、大地震に見舞われた。幸いにも自宅は築浅であったため、倒壊は免れた。だが、ライフラインはストップし、生活は困難を極めた。さらに9月末には記録的な豪雨によって、自身の町も甚大な被害を被った。
「暗いニュースばかりで、なんとか僕が明るいニュースを届けたい」。そんな思いで能登に、輪島に、吉報を届けて喜んでもらおうと必死に野球に打ち込んだのだ。地元からのNPB選手誕生こそ、最も明るいニュースだろうと信じて―。
そしてそれはまた、家族にとっての夢でもあった。父・哲史さんは地震発生直後にもかかわらず、「野球を頑張れ」と金沢に戻してくれた。
輪島塗りの製造販売をしている父は、幼いころから息子の夢を尊重してくれ、家業を継いでほしいとは一度も口にしたことはなかった。地震が起きても、「こっちは大丈夫だから」としか言わなかった。
ドラフトの日、家族は祈るように中継を見ていたという。指名された瞬間、急いで自分から家族のグループLINEに「やったぞ」と打ち込むと、大喜びしてくれた。後で聞かされたのは、両親が大号泣していたこと。その光景を思い浮かべると、胸が熱くなった。
「あぁ、これで少しは恩返しできたかな、と。いや、でもここからが本当の勝負。もっともっと恩返しできるようにしないと」。
ますます頑張ろうと、決意を新たにした。
■地獄を知る男・岡﨑太一監督からの言葉
岡﨑監督は愛弟子に「これから“地獄”に飛び込むわけやから、苦しんでこいよって思いますね」と、生き馬の目を抜くようなプロ野球界で16年間も飯を食ってきた男ならではの厳しい言葉を贈る。
「NPBに行って、まず度肝を抜かれると思うんですよ。いろんな環境とかいい面も含めてですけどね。自チームだけに限らず他チームのすごい選手たちを見て、そこからがスタートですね。そこで『うわ!これ、俺もう無理や』って思ったらそこまで。じゃあ、このすごい世界で生き残っていくために自分はどうしなきゃいけないか。こうなりたいという自分があるのなら、毎日どういうことをすべきかというのを感じて、それを行動に移して、積み重ねていくだけ。あとはもう、なるようにしかならないですから」。
タイガースのファーム施設も新たに生まれ変わる。整った環境に、「言い訳できるものは何もない」と口元を引き締めた。
■「楽しみ」を連発するわけとは
川﨑選手はしかし、今はとにかく喜びが優っており、師匠の言葉をどこまで現実味をもって受け止めているのかわからない。会話をしていても「楽しみ」という言葉が何度も何度も口をついて出てくる。
いや、それも無理はない。5年という長きにわたって必死で追い求めてきたものが、手に入ったのだから。
しかも、これからは食事や練習施設など待遇のすべてが充実している。川﨑選手としては、これまでの不遇な環境から脱却して、野球に思う存分打ち込めることが嬉しくてしかたないのだ。
「今まで練習できる施設が全然なくて。高校のときも雨が降ったら柔道場でとかだったし、雪の中でバッティング練習をすることもあったし、独立でも…。いい環境の中でやってこられてないんで、またいい環境に行ったら自分がどうなるかっていうのは、本当に楽しみ」。
とことん野球漬けになれる環境に身を置いた自分が、どれほど成長できるだろうかと胸を高鳴らせているのだ。
■藤川球児投手の火の玉ストレートをモノマネ?
楽しみといえば、新指揮官もそうだ。「雲の上の存在」という藤川球児監督が就任したのだ。
かつてピッチャーをしていた川﨑選手は、「素晴らしいストレートが魅力の投手」だと思った藤川投手の投げ方を、真似てみることがあったという。
「あんな投げ方になりたいって思ったんです。それくらいきれいな投げ方で回転数も多くて…。中学生くらいのときだったんですけど、やっぱり力不足でなかなか難しかったです(笑)」。
藤川監督のもとに行くにはまず、支配下選手にならねばならない。一日も早くと、より力が入る。
そしてタイガースといえば、ユニフォームがタテジマである。石川もブルーのタテジマで、さらに「小学生のときもタテジマだったんで、赤の。だから正直、タテジマには馴染みがありますね(笑)」と言い、バッチリ着こなせそうだと胸を張る。
■ほかの選手を追い越せるという自信
入団に向けて、気持ちが昂揚している。
「本当に楽しみなんです。NPBの2軍とは試合をさせてもらって、そこで通用できたんで。また1軍に上がったら相手のレベルも上がるんですけど、僕、全然いけると本当に、どこから来るのかわからないけど自信があって、やれるんじゃないかと思っています」。
本人も根拠はないというが、その自信は揺らがないと明かす。
「NPBの選手と競い合えるってことが楽しみで。負けたくないっていう気持ちが強いんで、そこの競い合いがとにかく一番楽しみです。一番下位指名じゃないですか。一番下からの這い上がりなんで、下はない。上がっていくだけ。マイナスなことはなくてプラスなことしかない。本当にもう、ほかの選手を追い越せるっていう、その気持ちが強いんですよ」。
やはり「楽しみ」を強調する。川﨑選手と話していると、岡﨑監督が言うところの“地獄”を味わうことなく順調に上っていくかもしれないと思わされる。それくらいポジティブに言葉を紡ぐのだ。
■「誰かのために頑張ることが、一番力を発揮する」
川﨑選手がそこまでポジティブになれるのには、わけがある。今季、片田敬太郎コーチからある言葉を授けられたのだ。
『誰かのために頑張ることが、一番力を発揮する』
入団した5年前の自分を「悪ガキだった」と振り返る川﨑選手にとって、ときに厳しく、ときに優しく指導してきてくれた片田コーチへの恩は、語り尽くせない。片田コーチも「トシにはNPBに行ってほしい」と切に願い続けてきた。
そんな片田コーチからシーズン中にずっとかけられていたというこの言葉は、能登出身の川﨑選手にとって頑張る道標になった。結果が出ないときも、片田コーチがこの言葉を言ってくれると活力が湧き、また頑張ろうと思えた。
そしてその思いはこれからも、NPBに行っても持ち続ける。故郷がまた活気を取り戻せるように…。石川のため、能登のため、輪島のために―。
誰かのために、川﨑俊哲は頑張り続ける。
【川﨑俊哲(かわさき としあき)*プロフィール】
2001年5月2日(23歳)
173cm・82kg/右投左打
輪島高校
石川県出身/内野手/背番号1
【川﨑俊哲*今季成績】
39試合/打席151/打数117/安打33/二塁打2/三塁打5/本塁打3
四球27/死球5/三振25/犠打0/犠飛2/併殺打4
打点25/得点24/盗塁15/盗塁死3/失策8
打率.282/出塁率.430/長打率.462/OPS.892