“アフリカの春”はきているか?――世界屈指の高インフレ地帯で広がる政治変動
- 南部アフリカのボツワナで、58年にわたる長期政権が生活不安や汚職への批判を受けて、選挙で初めて敗れた。
- 生活不安を背景とする抗議デモや政権交代は各国で広がっていて、これを“アラブの春”になぞらえて“アフリカの春”と呼ぶメディアもある。
- ただし、地域一帯に政変が広がった2011年当時の中東・北アフリカと現代のアフリカの状況には違いもある。
生活不安とともに政府批判が高まるのは先進国の専売特許ではなく、貧困国の多いアフリカでも同様である。
“民主主義のモデル国”の異変
アフリカ研究者は南部アフリカのボツワナをよく“アフリカの民主主義のモデル国”と呼ぶ。1966年に独立して以来、一度も内戦やクーデタを経験したことがなく、自由で公正な選挙が実施されてきたからだ。
この安定を可能にした一因は、この国が世界屈指のダイヤモンド産出国であることだ。豊富な資源収入を背景に、一人当たりGDPが7250ドルと、貧困国の多いアフリカでは数少ない中進国の一つである。
ただし、この国では民主党が独立から一貫して政権を握ってきた。つまり、政権交代は実現していないが、それはあくまで自由かつ公正な選挙の結果とみなされてきたのだ。
だからこそ10月30日のボツワナ総選挙は目をひいた。民主党が初めて敗れたからだ。
モクウィツィ・マシシ大統領は敗北を認め、野党「民主的変化のためのアンブレラ」を率いるドゥマ・ボコ議長に政権移譲の手続きに入ると約束した。
民主党政権が瓦解したきっかけはダイヤモンド価格の急落による経済停滞だった。それにともない長期政権への不満が一気に高まり、初の政権交代が実現したのである。
アフリカでは選挙結果への不満から暴力的な衝突が発生することも珍しくない。
その意味で、敗者が敗北を認め、比較的スムーズに政権が引き継がれたこと自体、ボツワナが“民主主義のモデル国”であることを改めて裏書きしたともいえる。
アフリカに広がる政権批判
ただし、変化はボツワナだけではない。
南アフリカでは6月の総選挙で、与党アフリカ民族会議(ANC)が1994年から初めて議席の過半数を割り込み、連立政権の発足を余儀なくされた。
セネガルでも3月の大統領選挙で、現職マッキー・サル大統領の後継者が野党系候補に敗れた。
政府批判は抗議デモという形で噴出することもある。
ケニアでは7月、デモ隊と治安部隊の衝突で数十人の死者を出した。発端は、ウィリアム・ルト大統領が推し進めた財政再建計画が大幅な増税案を含むことへの反発だった。
この他、モザンビーク、ウガンダ、アンゴラ、エスワティニ、ナイジェリア、ガーナなどでも今年に入って抗議活動が広がっている。そのなかには長期政権のもとで(民主的かどうかはともかく)政治的に安定しているとみられていた国も少なくない。
多くの場合、政府批判が噴出したきっかけはボツワナと同じく生活不安にあった。
2020年のコロナ感染拡大は、先進国以上に低所得国の経済にダメージを与えた。2022年からのウクライナ侵攻にともなう食糧・エネルギー価格の高騰も同様である。
その結果、地域別でみてアフリカのインフレ率は平均15%を超えている。これは世界屈指の水準だ。
こうしたなか失業などのリスクに直面しやすい若年層、いわゆるZ世代がSNSなどを駆使して抗議活動の中心になっている点でも、各国の状況はほぼ共通する。
抗議活動が拡大した国の一つ、モザンビークでは警官隊との衝突も増えていて、10月24日からだけで16歳の少年も含む11人が死亡した。
“アフリカの春”はきているか
一部のメディアや論者はアフリカ各国で広がる抗議デモと政治変動を“アフリカの春”と呼ぶ。2010年から2011年にかけて中東・北アフリカ一帯で広がった“アラブの春”のアナロジーだ。
当時、中東・北アフリカではリーマンショックのあおりを受けて物価が乱高下していた。インフレが政変を招いた点では現在のアフリカにも共通する。
とはいえ、“アフリカの春”という呼び方を疑問視する意見もある。
地域一帯の各国に、ほぼ例外なく連鎖反応的に抗議活動が拡散した“アラブの春”と異なり、現在のアフリカでは目立った政変が発生していない国も少なくない。
また、当時の中東・北アフリカでは事実上の軍事政権や専制君主支配のもと、選挙による政権交代が不可能な国も珍しくなかった。そのため、抗議活動がエスカレートして、なかにはシリアやリビアのように内戦にまで発展したケースもあった。
これに対して、現在のアフリカでは選挙と結びついた抗議活動も少なくない。
与党や現職系が選挙で敗れたボツワナ、南アフリカ、セネガルでも、投票に先立ってデモが各地に広がっていた。
抗議デモとクーデタの共通項
ただし、アフリカでも選挙が形骸化している国は少なくない。そうした場合、“アラブの春”当時の中東・北アフリカと異なり、クーデタに至るケースも目立つ。
アフリカでは2020年以降、西アフリカを中心に7カ国でクーデタが発生しているが、そこにも経済停滞を背景に、汚職に塗れた政府への批判が広がっていたことは無視できない。
先進国では「クーデタ=悪」のイメージが強い。さらに近年のアフリカでは、クーデタをきっかけにロシアが勢力を伸ばしていることもあって、なおさら警戒を招きやすい。
しかし、一部の軍人に多かれ少なかれ政治的野心があったとしても、ほとんどのクーデタは多くの国民から支持された。そこには政府批判が軍への期待に転化するメカニズムが鮮明である。
とすると、“アフリカの春”という呼称が妥当かどうかはさておき、アフリカで政権批判がかつてないほど広がっていること自体は間違いない。
それは先進国にとっても無縁ではない。“アラブの春”の教訓の一つは、先進国と深い関係にある、しかし国民から不人気な政府が抗議活動によってもろく崩れた場合、関係の再構築に多くの労力を必要とすることだった(例えばエジプト)。
その意味で先進国には、アフリカ各国政府との関係を維持するとしても、それぞれの国の一般国民との関係をいかに築けるかが、改めて重要な課題になっているといえるだろう。