66年愛された「仙人のラーメン」 十条の町中華が暖簾を下ろす日
昭和32年創業の老舗「玉屋」が閉店
東京都北区東十条。閑静な住宅街の中心を貫くように流れる「十条富士見銀座商店街」の一角に、ひときわ目につく古い佇まいの店がある。モルタル仕上げの外壁と風になびく古びた暖簾。昭和32(1957)年に創業した町中華『玉屋』(東京都北区十条仲原2-3-8)だ。
創業者の田沼昭三郎さんは20代の若さでこの店を開き、亡くなる88歳まで厨房に立ち続けた。その後は奥様の志津江さんと娘の千佳さんが店と味を守り続けてきたが、2023年3月19日(日)をもって閉店することとなった。
『たとえ一度でもご賞味いただける機会を大切に、お客様の味の記憶に少しでも口福が残りますようにと、祈りにも似た気持ちでございます。そうした一度のご縁でも、その刹那に永遠は宿ると信じております』
告知をしたのは閉店する10日前の3月10日のこと。閉店のお知らせと地元の方たちへの感謝が綴られた小さな紙がそっと店頭に貼られただけだったが、その噂を聞きつけて地元の常連客が次々と店へやって来た。あまりにも急な告知だった。
閉店の主な理由は「店舗の老朽化」と「店主の高齢化」。これは戦後復興期や高度成長期に創業した多くの店が必ずぶつかる課題だ。店舗を改装するか移転するか、代継ぎをして店を続けていくか、あるいは暖簾を畳むか。『玉屋』は閉店という道を選んだ。
ダブルスープの深みあふれる「仙人ラーメン」
生前の昭三郎さんはその風貌から「仙人」と呼ばれていたという。そこから名付けられた『玉屋』の看板メニューが「仙人ラーメン」だ。見た目は昔ながらの懐かしさを覚える「ノスタルジックラーメン」だが、味は今のラーメンに負けず劣らずの深みのある味わいを持っている。
スープは豚骨、鶏ガラを早朝から仕込んだものに、煮干しやカツオ節などを別取りして最後に合わせる。今でこそ多くのラーメン店で見られる「ダブルスープ」の手法に早くから着手していた昭三郎さん。ラーメン作りでもその仙人ぶりを感じさせるではないか。
豚や鶏などの動物系素材の旨味に、煮干しやカツオ節の魚介系素材の旨味が合わせられ、相乗効果によってより深い味わいを生み出している玉屋のスープ。そのレシピは昔から変わっていない。懐かしい味わいでありながら力強さもあるスープは、昭三郎さんが亡きあとも健在だ。
「主人は原価とかを気にする人ではなかったので、昔から材料はたくさん使っていました。『美味しいものを出していればお客様はやってくる』と。直接手ほどきを受けたわけではなくて、作っていたのを見ていたので真似ているだけなんです。同じ味になっているか、娘と確認しながら作っています」(玉屋 店主 田沼志津江さん)
「母と二人でゆっくり過ごしたい」
「おかげさまでコロナ禍でもたくさんのお客様に来て頂けていたんです。ただ店舗も老朽化して母も高齢ですし、一度は私が代替わりして移転して続ける道も考えたのですが、それよりもいったんお店を閉めて母と二人でゆっくり過ごす方が良いのかなと思い、閉店することにしました」(玉屋 田沼千佳さん)
志津江さんは半世紀以上にわたりこの店に立ち続けた。まだまだ元気ではあるものの、高齢なので時には千佳さんの介助も必要になる。元気なうちにお店以外の世界も見せてあげたいという親心。寂しくひっそりと店を畳むよりも、花があるうちに閉めたいという思いもあった。
「本当に毎日たくさんのお客様に来て頂けているんですよ。なのでもっと続けたい気持ちはあるのですが、こればかりは仕方ないですね。これだけ長く続けられたのもお客様があってこそなので感謝しています」(玉屋 店主 田沼志津江さん)
『玉屋』の営業は2023年3月19日(日)まで(営業時間:11:30〜15:00)。66年愛され続けた味をぜひ最後に味わって頂きたい。
※写真は筆者によるものです。
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