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伝説の店『中村屋』が休業へ 天才ラーメン職人が思い描く新たな夢とは?

山路力也フードジャーナリスト
ラーメン界に数々の革命を起こして来た中村栄利さん。

『中村屋』が日本での営業を一旦終了へ

23年の歴史に一旦終止符を打つ『中村屋海老名』(神奈川県海老名市)。
23年の歴史に一旦終止符を打つ『中村屋海老名』(神奈川県海老名市)。

 1999年に神奈川県大和市で創業、2007年に海老名市に移転後も業界のトップランナーで在り続けたラーメン店『中村屋』(神奈川県海老名市中央2-5-41)が、2月13日をもって営業を終了し、無期限休業に入ることが決まった。今後はアメリカ・ニューヨークのラーメンダイニング『NAKAMURA』のみでの営業となる。

 今年に入ってすぐに公式SNSで『中村屋』の休業が告知され、店主の中村栄利さんもアメリカから緊急帰国し、毎日厨房に立ちラーメンを作っている。20年以上にわたり日本のラーメン界のスターシェフで在り続けた、中村さんの日本での最後の勇姿を目に焼き付けたい、中村さんが作る一杯を食べておきたいというファンが殺到し、連日『中村屋』は大行列となっている。

ラーメン業界に革命を起こし続けた存在

独特なスタイルの湯切りは「天空落とし」と呼ばれ、『中村屋』のアイコンとなった。
独特なスタイルの湯切りは「天空落とし」と呼ばれ、『中村屋』のアイコンとなった。

 1999年9月。『中村屋』の登場はあまりにも衝撃的だった。神奈川県大和市という都心から離れた場所にオープン。若干22歳の若者が独学でたどり着いたという一杯は、すぐにラーメンマニアたちの話題となり県外から多くの客が訪れた。そして追随するようにメディアがこぞって取り上げた。その後、数々の雑誌やテレビ番組のランキングを総なめ。ラーメンブームの真っ只中において、中村さんは間違いなく「時代の寵児」だった。

 さらに、2004年にはラーメンを新たな概念で再構築したレストラン『中村屋 essence』を開業。2007年には温泉街の屋台文化を残すべく、長野県で移動式ラーメン店『中村屋キャラバン』をスタート。そして2009年からはアメリカに渡り、ラーメン文化の土壌作りから尽力。2016年には念願となる自身のラーメンダイニング『NAKAMURA』をニューヨークで開業するなど、常に時代の最先端を走り続けているラーメン職人が中村さんだ。

 いち早くラーメンのスープに「出汁」という概念を取り入れ、麺とスープだけの「かけそば」を提供した。それまで冷たかったチャーシューを、目の前で炭火を使って炙る手法を取り入れた。左手を高々と上げて一気に振り下ろす、独特の湯切りスタイルは「天空落とし」と呼ばれた。中村さんは数々の革新的なアプローチでラーメン業界を驚かせて来た。『中村屋』の登場によってラーメンの進化のギアが一段も二段も上がったのは間違いない。

最先端よりも「町中華」のような存在でありたい

2016年にアメリカ・ニューヨークで開業した『NAKAMURA』(写真提供:中村屋)
2016年にアメリカ・ニューヨークで開業した『NAKAMURA』(写真提供:中村屋)

 1990年代後半から2000年代初頭は、空前のラーメンブームだった。あらゆる雑誌がラーメンの特集を組み、テレビでは長時間にもおよぶラーメン特番が次々と組まれていった。さらにラーメンのみならず作り手のラーメン店主にもスポットが当たり、次々とスターシェフが生まれていく中で、「若き天才」と呼ばれた中村さんは一際目立っていた。

 「時代が良かったんだと思います。先輩たちのお店がラーメンブームの助走をつけてくれていたお陰で、僕らの時代でバーンとジャンプ出来た。だからあの頃は他とは同じものは出したくない、という個性的な店主さんばかりでしたよね。ラーメンがどんどんエンターテインメントになっていく過程で必要な役者が揃っていたというか。当時『ご当人ラーメン』という言葉もありましたが、僕もそう思われていたのでしょうし、一人一人がその役割を背負っていた気がしますね。あの頃の僕はとにかく最先端、最先端というキャラクターで。特に『中村屋 essence』なんてギンギンだったじゃないですか。

 僕は今でもアメリカでは『新しいものを出してやる!』と常に考えていますけれど、日本では『中村屋』が創業してから20年以上も経っていて、当時小学生だったお客さんが社会人になり『思い出の味なんです』『懐かしくて食べに来ました』なんて言われるような店になって来て、日本での僕の意識は変わった気がしますね。最先端というよりも、老若男女に愛される『町中華』のような存在として、この店を一旦終えたいと思うようになりました。そういう意味では、こういう味のラーメンを作っていて良かったなと思っています」(中村さん)

ひっそりと美味しいものを出して終わりたい

自慢の具材が全て乗る「特中村屋」と、麺とスープだけで味わう「だしかけ」。
自慢の具材が全て乗る「特中村屋」と、麺とスープだけで味わう「だしかけ」。

 中村さんはアメリカから帰国後、ホテルでの隔離期間を経て、2月5日から毎日店の厨房に立っている。1日500杯ものラーメンすべてを中村さん一人で麺上げしているのだ。スタッフの完璧なオペレーションもあって、長い行列でありながらもスムーズにラーメンが提供されているのはさすがだ。

 「お客さんが最後に『天空落とし』を味わいたいだろうと、スタッフも気を遣って誰も麺上げに手出しをしないんですよ。自分が最後に麺上げして最後の中村屋を味わって頂きたいというのもあったので、僕がずっと麺上げをやっています。慣れるまでの最初の2日間はやはりハードでしたが、最後にこうして一人一人のお客さんの顔を見ながらラーメンを作れるというのはとても幸せなことで、職人冥利に尽きると感じますね」(中村さん)

 淡々と、粛々と、黙々と。時折別れを惜しむお客さんと記念撮影する光景が見られるものの、普段と変わらぬ雰囲気の中でひたすらラーメンを作り続けている中村さん。開店前から閉店まで、その行列は途切れることがない。なぜ『中村屋』を閉めてしまうのだろう。

 「今回の閉店は施設の老朽化による取り壊しで、実は5年ほど前から決まっていたことなんです。コロナ禍によって1年ほど伸びましたが、その時から『中村屋』をどうやって一旦終わらせるかについては考えていて。最後はやはり自分らしく、自分の思うように終わらせたいなと。きっと3か月くらい前から『中村屋クローズしまーす!』と言えば、ビジネス的には良かったのでしょうが、そんなお祭り騒ぎにするのではなくて、ひっそりと美味しいものを出して終わりたいなと。

 僕はニューヨークにもお店がありますし、僕のラーメン人生がこれで終わるわけではないので、今回のような形になりましたが、閉店の告知も1か月前でしたし、最後にこんなにお客さんに来て頂けるとは思っていなかったので、正直驚いています」(中村さん)

日本のラーメン文化や食文化をアメリカでもっと広げたい

ラーメンを含めた日本食にはまだまだポテンシャルがあると語る中村さん。
ラーメンを含めた日本食にはまだまだポテンシャルがあると語る中村さん。

 中村さんは2009年に渡米した時、当初の夢であったラーメン店の開業はせずに、その土壌作りに専念した。日本と違ってアメリカではラーメン店を開業するための環境が整っていなかったのだという。

 「アメリカに行ってラーメン屋さんをやる前にやらなければいけないことがたくさんあることに気づいたんです。日本ではラーメン屋をやるためのインフラが揃っているじゃないですか。アメリカにはそのインフラが全くなかったんです。製麺屋さんもほとんどなかったですし、肉屋さんも鶏ガラや豚骨をよく分かっていなかった。そこで一年に30軒以上のラーメン店をプロデュースしながら、同時に材料屋さんを教育してインフラを整備していきました」

 日本のラーメン文化や食文化を多くのアメリカの人たちに伝えたい。アメリカに渡ったことで、中村さんの夢はさらに大きくなった。そして今はニューヨークで自分自身のラーメン店『NAKAMURA』を営みながら、店舗プロデュースや食品製造会社の商品開発など、日本の食文化の伝道師としてその活躍の場を広げている。

 「今、多くの日本の企業がアメリカに来たがっていて、そういう人たちのサポートもやっています。レストランだけではなくて、工場などを作りたいという企業のお手伝いですね。日本でカップラーメンを作った時にも感じたのですが、自分がお店でラーメンを千食作ったとしても、企業が一瞬で作る何万食には敵わないんですよ。アメリカで日本食のポテンシャルはまだまだあるので、それを大きなレベルで広めていきたいと考えています。まだまだ僕の役割はあると思うので、ニューヨークに戻ってこれからも自分のやれることをしっかりとやっていきます」

 ラーメン界に数々の革新をもたらして来た『中村屋』は、2月13日に日本での22年半に及ぶ営業を終えて、一旦その歴史に幕を下ろす。私たちが再び中村さんのラーメンを日本で食べられる日は来るのだろうか。

 「アメリカでとことんやったらまた日本に戻って来て、自分の楽しみとしてラーメンが作れたら良いなと思っています。ただ、その時は今のような大きな店ではなくて、お客さんとゆっくりお話が出来るような店をやりたいですね。僕はお客さんと話すのが何よりも大好きなんですよ。まずはお茶を出して、BGMは何にするか相談して決めたり、それでお客さんとたくさんお話しして、最後に僕がラーメンを作って一緒に食べちゃうような。そんなお店がいつか日本でやれたらいいですね」

※写真は筆者によるものです(出典があるものを除く)。

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フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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