独学で生み出された滋味あふれる一杯 『びぜん亭』が46年の歴史に終止符
飯田橋の名店『びぜん亭』が惜しまれつつ閉店へ
飯田橋駅から歩いて5分。「東京のお伊勢さま」として知られる『東京大神宮』に程近い路地裏にある一軒のラーメン店。1976(昭和51)年創業の『びぜん亭』(東京都千代田区富士見1-7-10)は、近隣の住民やオフィスワーカーたちに愛されている人気店だ。
そんな地域密着型の人気店が、2023年3月31日をもって閉店することとなった。創業して46年。店頭と店内に張り出されたお知らせに驚く客も少なくなく、別れを惜しむ客やラーメンファンたちが連日店を訪れている。
「自分が美味しいと思うものを作るだけ」
店主ならぬ「亭主」の植田正基さんは、25歳の時にこの店を構えた。修業経験もなければ料理経験もゼロ。誰にも習うことなく独学でラーメンを完成させた。「自分が美味しいと思うものを作る」という思いで辿り着いた一杯は、多くの人を魅了し続けて来た。
すっきりとした透明な醤油味のスープに縮れ麺。「支那そば」と呼ばれる一杯は、東京のノスタルジックなラーメン。豚骨をベースに香味野菜などを加え、鶏脂でコクを出したスープに、しっかりと煮込まれたチャーシューの煮汁をタレに使うのがポイント。あっさりとした見た目ながら、奥深い味わいが広がる一杯だ。
「毎日でも食べられる味」という形容があるが、毎日でも食べられる味の多くはあっさりとしていてどこか物足りなさがあり、逆にしっかりとした味わいのものは毎日食べると飽きがくる。しかし『びぜん亭』の「支那そば」は、あっさりとしてしつこさはないのに、しっかりとした旨味にあふれ物足りなさがない。まさに毎日でも食べられる、毎日でも食べたくなる味なのだ。
その味の肝となるのがチャーシュー。実は亭主の植田さんは、ラーメンのチャーシューがどうにも好きになれなかった。チャーシューは嫌いだが、奥様が作る角煮は好きだった。ならばチャーシュー嫌いの自分が食べられるものを作ろうと、奥様の和子さんのアドバイスも受けながら「自分が美味しいと思うチャーシュー」を完成させた。
ラーメンのスープよりも長い時間かけて煮込むチャーシューは『びぜん亭』の名物となり、「ちゃあしゅうそば」が人気のメニューになった。さらには酒の肴としてチャーシューをつまんだり、持ち帰り用の一本チャーシューを買って帰る人も少なくない。
「今店を閉めたら格好良いかなと思ってさ」
『びぜん亭』はいつも笑顔があふれている店だ。狭い店内ではいつも植田さんと客が会話を楽しんでいる。人が大好きだという植田さんは、常連客も一見客も分け隔てなく気さくに声をかける。だから誰もが植田さんのことが好きになる。休みの日には仲の良い常連客と一緒に遠出をして山遊びや土いじりを楽しむ。植田さんは常に人生を楽しんでいるのだ。
46年続けてきた店を閉めるというのは大きな決断だ。しかし植田さんは飄々としている。最後の一杯を食べに来たという客に「今日閉めるわけじゃないんだから、まだ何回か来られるだろ」と笑う。閉店すら楽しんでいるように客に見せているのは、植田さんの照れ隠しでもあり優しさなのだろう。
「コロナの時もお客さん来てくれたしさ、おかげさまでお店も順調なんだよな。お客さんが来なくなって閉めるよりも、今閉めたら格好良いかなと思ってさ。全国行きたいところもあるし、やりたいこともまだまだたくさんあるからな。これからは今まで出来なかったことを楽しもうと思ってるんだ」(びぜん亭 亭主 植田正基さん)
※写真は筆者によるものです。
【関連記事:66年愛された「仙人のラーメン」 十条の町中華が暖簾を下ろす日】
【関連記事:70年愛された日本一のラーメン 笹塚の老舗「最後の一日」】
【関連記事:亡き父の味を守り続けたい 創業38年目の「閉店」】