米同時多発テロから19年。ニューヨークに住む人々にとって911はどんな日だったのか(前編)
2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件(911)が発生し、今年で19年が経とうとしている。秋晴れの美しい火曜日の朝、テロにより大勢の人々が一瞬にして命を奪われた。
あの日のニューヨークを生きた人々にとって、911とは何だったのか?遠い昔の記憶を振り返ってもらった。今一度、平和について考えるきっかけになれば幸いだ。
911それぞれの記憶「テロ現場をすぐそばで目撃」
松村京子(けいこ)さん・50代・コーコラン勤務
2001年、私は前職の証券会社を辞め、6月から不動産ブローカーとして新たなスタートを切っていた。不動産業は初めのころ忙しくなかったのでワン・チェイス・マンハッタン・プラザ(One Chase Manhattan Plaza)*の中にある日系の証券会社で、午前9時から午後5時までのアルバイトをしていた。世界貿易センターから徒歩3分ほどの場所だった。
- 冒頭の写真の中で先がブルーグリーン色の尖った鉛筆型ビルの右側に立つ、長方形の高層ビル(60階建て)
ブルックリンの自宅からアルバイト先までは1駅の距離で、駅直結なので外に出ることなく58階にあるオフィスまで行くことができた。毎朝オフィスビル前のカートでコーヒーを買って出社するのが日課だったが、その日はいつも乗る電車を逃したため少し焦っていた。
駅に到着しいつものカートに目をやると、店の人と客が空を見上げて一瞬動きが止まっているように見えた。なんとなく時間がかかりそうだったので、一度デスクに着こうとエレベーターに向かった。
しかしその朝に限って、なかなかエレベーターが来てくれない。ヤキモキしながら待っていたら、やっと降りてきた人たちが皆口をそろえて「上には行かない方がいい」と私に忠告した。第1機目がビルに突入したため、人々は避難しようとしていたのだ。しかしそのときの私は一度も外に出ていなかったため事態を飲み込めていなかったのと、「遅刻はできない」一心でエレベーターで58階に上がった。
そこで初めて、何が起こっているのかを知った。
オフィスの窓から、感覚的に「目の前」で爆発、炎上する世界貿易センターを見て思ったこと。それは「え、ちょっと待って。映画の撮影?!」ということだった。
その後すぐに「飛行機大きいよね。というかこんな大掛かりな撮影を朝っぱらからするの?」「どこからどこまで撮影?」「映画の撮影にしちゃリアル過ぎない?」「ビルの上がまるで崩れたケーキのようにグニャってなるもの?」「と言うか、ここ何階だっけ??」と、脳が混乱した。
時間は大して経過していなかったと思うが、「これ、本当に起こっている!」と気づくまでそう時間はかからなかった。
それから、私は2機目がビルに突入するのをそこから見ている、と思う。多分・・・。同僚と「あそこだよね」と言っているときに突入したと思う。「多分」と言うのは、そこらへんの記憶が実はだんだんと曖昧になっているから。出来事があまりにもウソっぽくて(映画のようにリアルさがないという意味)、はっきり思い出せない・・・。
証券会社なのでオフィスにはテレビモニターがたくさんあり、飛行機事故の様子が映し出されていた。そしてこの日以降、私はテレビニュースで同じような映像を何度も繰り返して観てきたので、今考えると、あの2機目のシーンは私のこの目で目撃したものだったか、テレビで観たものだったか、一体どの部分を実際に見たのか、年月の経過と共にわからなくなっている・・・というのが正直なところ。
ただはっきり覚えているのは、青い空だったこと。9時始業には間に合い、2機目の突入(9時3分)のときに私はオフィスにいたこと。そして58階のオフィスの窓から、こうやって(体を捻って)事故現場を見上げたこと、この辺の記憶に曇りはない。
それから、事故現場がすぐ側だったという感覚もはっきり覚えている。ツインタワー(世界貿易センタービルの愛称)と私のビルは徒歩3分の距離で、私のビルから視界を遮るビルがほかになく、ツインタワー自体が通常のビルと比べてもとても大きく、そこに大きな旅客機が北棟93〜99階の7フロア、 南棟77〜85階の9フロアにかけて突入し爆発、炎上したのだから、その光景は私のビルの58階から「ものすごく近く」に見えた。
「撮影ではない・・・ということは外に避難しなければ」となり、ノロノロと稼動するエレベーターで地上に降りて行った。オフィスにいたのは10分ほどのことだが、記憶の中では長い時間だったような気もする。
ビルから外に避難したら、焦げたような匂いが充満していた。またツインタワーから紙の束がピャ〜と宙を舞って無数に降ってきた。人々はキャーキャー泣き喚き、半狂乱状態だった。それからツインタワーから人がどんどん飛び降りる音が聞こえた。自分の目で見たかもしれないけど、実を言うとこの辺もあまり記憶がない。ただドーンというものすごく大きな音がずっと続いたのだけは、はっきり覚えている。
- 少なくとも200人以上が炎上するツインタワーから飛び降りたとされている
とにかくここから離れようと思い、まだ地下鉄が動いていたので電車に飛び乗って(イースト川を越え)自宅のあるブルックリンに戻った。川を渡ったら何となく安心感が増した。不動産業のオフィスに行き、何が起こったか同僚らに話したが、テレビを観ていない人はまだ事の重大さがわかっていなかった。人によっては「えぇ?」という反応だったりで、マンハッタンとは温度がまったく違った。
何が起こったのか、今であればすぐにグーグルで調べることができるが、当時の私の自宅にはコンピュータもインターネットもなかったような気がする。通話のためのガラケーはあってもスマホはない時代だ。「ググる」時代の前の情報収集の主流であるテレビニュースを、朝から晩までずっとチェックした。ツインタワーが倒壊するのもテレビで観た。
実は私は、世界貿易センター爆破事件* も経験している。そのテロが起こったのは、私が北棟にオフィスがある日系の証券会社に入社したばかりの金曜日だった。カフェテリアでカレーを買ってデスクに戻ったら、ビルが揺れた。上司に言っても「揺れてないよ。フロアが高いからね」で終わった。
- 1993年2月26日、世界貿易センター北棟の地下駐車場が爆破され、死者6人、負傷者1042人を出したテロ事件。犯行は911と同様に、イスラム原理主義のアルカイダが関与したと見られている
アメリカ人は皆、北棟からいなくなったが、私の上司は「東京の指示があるまで帰っちゃダメだ」と言い、結局午後5時(日本時間の翌朝)までオフィスで働いた。外に出ると周囲の人々の顔がススだらけで事の重大さに初めて気づいた。そんなわけで、翌週もアメリカ人はオフィスに来なかったが、日本の会社の社員である私たちだけ、その後も変わらずに出社した。
911やその爆破事件で、学んだことがある。それは「何かあればその場から逃げる、以上」。ツインタワーで亡くなっているのは、逃げるのが遅れた人が多いと言われている。ビルの外にいた人の中にも、「知り合いがあそこで働いているから助けなければ」とか「歴史的な出来事だから目撃したい」などと言いながら事故現場に向かっている人もいたが、私には信じられなかった。止血や人工呼吸ができるのであれば別だが、一般の人が正義感で事故現場に行っても救出活動の足手纏いになって、迷惑をかけるだけ。誰から教わったわけでもないが、何かあればそこからなるべく離れるべきだと思った。とにかく自分の命を守るということが大切。
もう一つ、あの出来事を通して思ったのは、自分はどこまでも日本人だということだ。911の出来事は、確かに自分の人生で起きた危機の中で大変なものだったが、なんとなく自分はアメリカにゲストとして住んでいる日本人だと思った。少し冷たいように聞こえるかもしれないけど「あぁこの国が。どうしよう」という不安や恐怖心はなかったし、泣いたりすることもなかった。アメリカという国はこれまでどうにかなってきているから、こんな大事件が起きてもなんとかなるだろうという気持ちがどこかにあった。それより私には東日本大震災の時の方が「私の国はどうなっちゃうの。神様助けてください」という気持ちが強かった。人が津波に流されるのを見て涙も出た。
またポジティブな点として、あの事件を通して、私はアメリカのすごさをつくづく感じた。911を通して、逆に「これからもっとみんなで力を合わせて頑張ろう」と、人々の結束が強くなったのを間近で見て、ニューヨーカーって素晴らしいなという気持ちが芽生え、アメリカがますます好きになった。
ただ個人的なことだが(新型コロナウイルスの初の感染者が確認された)今年3月ごろ、私がエレベーターに乗ると周りが「え?」となる雰囲気を感じたりすることがあり、誰に何を言われたわけではないが「私は無関係です」という顔をしたい時期があった。911から少し後になり、アメリカで(無関係の)イスラム教徒への敵意が広まり、ムスリムの人々が差別されるようになったことを思い出した。
「頑張ろう」という気持ちのエネルギーは、今回の新型コロナ騒動より911の時の方がもっとあった気がする。
2020年の主な記念式典 in NY
- 毎年9月11日には、世界貿易センター跡地の「グラウンド・ゼロ」で追悼式典が行われ、遺族らが犠牲者の名を一人ひとり読み上げ、飛行機がビルに突入した同時刻に黙祷を捧げている。しかし今年は新型コロナ対策で人の密度を少なくするため、事前に録画した内容を流すなど新たな試みがなされる。ほかに、規模を縮小した追悼イベントが個々で行われる予定。
- 世界貿易センターに見立てた2本の青い光が夜空を照らす毎年恒例の「トリビュート・イン・ライト」は、予定通り行われる。
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(Text and interview by Kasumi Abe) 無断転載禁止