今季で現役引退のくふうハヤテ福田秀平、18年間のプロ野球人生を支えたソフトバンク時代の「原点」
福岡ソフトバンクホークス、千葉ロッテマリーンズを経て、今季は新たにウエスタン・リーグに参加した新球団、くふうハヤテベンチャーズ静岡でプレーする福田秀平。プロ生活18年目、35歳のベテランが8月1日にチームのホームグラウンドであるちゅ~るスタジアム清水(略称ちゅ~るスタ)で会見を行い、今シーズン限りでの現役引退を発表した。
腱板断裂に骨の変形…「これ以上、現役では厳しいなと」
「引退を決めたのは5月ぐらいですかね。昨年(在籍した)ロッテの終盤でちょっと右肩のほうが少しずつ良くなってきたっていう感覚があったので、もう1年、もう1回勝負しようと思って臨んだこの1年だったんですけども、春先ぐらいからちょっと肩の状態がまた悪化しまして。病院を受診したところ、腱板が断裂していたりとか骨の変形が多くあったりとか、そういうのも含めてこれ以上、現役では厳しいなというところがあったので、その辺りで家族とも相談して、現役引退を決めました」
会見の冒頭、自身の「プロ野球人生」にピリオドを打つ決心をするに至った経緯をそう説明した福田。多摩大聖ヶ丘高から高校生ドラフト1巡目で入団したソフトバンクでは、5年目の2011年に自己最多の22盗塁をマークするなど主に外野手として活躍した。だが、2020年に国内フリーエージェント(FA)権を行使してロッテに移籍すると、その年の開幕直前に行われた練習試合で死球を受けて右肩甲骨を骨折したことが尾を引き、思うような成績を残せないまま昨年限りで戦力外通告を受けた。
「元どおり投げれるかって言われたらそれは難しいところもありますけど、痛みなく、ある程度投げれる状態にはなったので、もう1回トライしたいなっていう思いです」
今年1月のくふうハヤテの合同練習初日に、そう言って踏み出した新たな“挑戦”。開幕から1カ月ほど過ぎた頃には「今は思い切り野球ができてますね。その喜びをかみしめながら毎日やってます」と語っていたこともある。引退会見で「(くふう)ハヤテに来て、一番よかったなと思うのはあの試合」と話した4月19日の阪神タイガース戦(ちゅ~るスタ)ではサヨナラ安打を放ってヒーローになったこともあったが、その「喜び」も右肩の状態悪化により長くは続かなかった。
「僕も(ホークスの)こういう先輩になりたいなっていう思い」
くふうハヤテの赤堀元之監督も「朝、起きた時に激痛が走ったと言ってたこともありますし、それを隠しながらやってきたと思うのでね。本当に大変だったんじゃないかなと思います」とその心中を慮る。福田がケガに苦しみながらも表面には出さないようにしていたのは、ロッテ時代からだったという。
「その部分はかなり意識してましたね。僕もホークスで若い時は、その日の気分が乗らなかったりとかしたら練習態度にも出たこともあって。やっぱり人間だから気分のムラはあると思うんですけど、その時にホークスにいた先輩たちから『それじゃあこの世界で長くやっていけないよ』っていうふうに言っていただきましたし、当時、斉藤和巳(現ソフトバンク投手コーチ)さんとか馬原(孝浩)さんとかが毎日黙々とリハビリをやる姿を見て、僕もこういう先輩になりたいなっていう思いがあったので」
福田は以前、そんなふうに話したことがある。引退会見では、そうしたソフトバンク時代の記憶なども含めさまざまな思いが去来したのか、冒頭から何度も声を詰まらせ涙を浮かべた。その中でも実に福田らしいなと感じたひとコマがある。それはプロ野球人生での思い出について問われた時だ。彼の答えは──。
「2度とそういうことがないように、自分に言い聞かせて励んできた」
「思い出のあるプレーはですね、4年目の時にプロ初スタメン(2010年5月22日、広島東洋カープ戦)でセンターを守ってたんですけど、ピッチャーが和田毅さんで。センターにライナーが飛んできて転んでしまいまして、それで僕も途中交代で、和田さんもその場で降板した出来事がありまして。転んでしまったところからのスタートだったので、もう2度とそういうことがないようにと、自分に言い聞かせて自分なりに励んできたつもりですけども、そのプレーがやっぱ最初だったので、今でも心に残ってます」
スカパー!サヨナラ賞に輝いた2017年6月25日の埼玉西武ライオンズ戦での逆転サヨナラ本塁打のような華々しいシーンではなく、チョイスしたのは自身のプロ野球選手としての、いわば“原点”。「エラーというのはピッチャーに迷惑がかかるし、チームにも迷惑がかかる。だから練習しなきゃいけない」と痛感し、打つだけでなく守備、さらに走塁でも必死に練習に汗を流した。ベテランと呼ばれる年齢になってもなお「『秀平さんは毎日こんなに練習してるんだから、秀平さんがエラーするんだったらしょうがない』って思われるぐらいの姿勢を常に見せておかないといけない」と、ひたむきに取り組んだ。
「ホントに僕のような選手がここまでできるとは思ってませんでしたし、最初入った時には王(貞治)監督(現球団取締役会長)含めレジェンドの方たちがたくさんいる中で、1年ですぐクビになるなっていうふうに思い知らされたプロの世界だったので。その中でも先輩たちに追いつき追い越せの気持ちで、何とかしがみついてやってきたのかなというふうに思ってます」
引退会見でそう振り返った18年間のプロ野球人生。「もう2度とそういうことがないようにと、自分に言い聞かせて自分なりに励んできた」きっかけをつくったソフトバンク時代の「原点」が、それを支えてきた。
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