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元ヤクルト飯原誉士氏から”愛弟子”に継承されたあの曲と「レッツゴー、ダイキ!」コールが呼んだ“奇跡”

菊田康彦フリーランスライター
富山太樹はくふうハヤテでは”師匠”の飯原氏と同じ背番号9でプレー(筆者撮影)

♪Let‘s say I love you it’s so easy~

 今年からプロ野球(NPB)の二軍、ウエスタン・リーグに参加したくふうハヤテベンチャーズ静岡のシーズンも、残すところ2試合となった9月28日。曇り空のホームグラウンド、ちゅ~るスタジアム清水に野球好き、とりわけ東京ヤクルトスワローズのファンならば思い入れがあるであろう女性シンガー、BoAの『AGGRESSIVE(アグレッシブ)』が流れ、続いて「レッツゴー、ダイキ!」のコールがあの耳慣れたトーンで響いた。

 そう、この曲はかつてヤクルトに在籍した飯原誉士(いいはら・やすし)氏が打席に入る際に使用していた登場曲、いわゆる出囃子であり、その頃はスタジアムDJのパトリック・ユウ氏が「レッツゴー、ヤスシ!」と合いの手を入れるのが定番だった。だが、なぜくふうハヤテの試合でこの曲が流れ、「レッツゴー、ヤスシ!」ならぬ「レッツゴー、ダイキ!」のコールが響いたのか?

くふうハヤテの富山太樹が「飯原さんの曲」を出囃子にしたワケ

 この時、打席に入っていたのは昨年は独立リーグ、BCリーグの栃木ゴールデンブレーブスでプレーしていた富山太樹(とみやま・だいき、24歳)。トライアウトを経て、今季は新生・くふうハヤテに入団した左投げ左打ちの外野手である。シーズン当初はSMAPの『オリジナルスマイル』を使用していた彼が出囃子を変えたのは、6月11日に静岡草薙球場で行われた読売ジャイアンツとのファーム交流戦からだった。

「相手(巨人)に同じ曲を使ってる人がいたんで、他に何かないかなって考えた時に『栃木魂』じゃないですけど、飯原さんの曲にしようかなって。全然、本人に許可は取ってないんですけど(笑)」

 富山がそう話していたように、ヤクルト退団後にコーチ兼任で栃木に入団してからも飯原が出囃子にしていた『AGGRESSIVE』は、まさに「飯原さんの曲」。しかも栃木県出身で、BCリーグ加盟2年目の栃木にコーチ兼任で入団して二足のわらじを履きながら、2019年にはチームの初優勝に貢献した飯原は、栃木にとって「特別な存在」なのだという。

 いわば「ミスター・ゴールデンブレーブス」のような存在であり、富山にとっては栃木に在籍していた昨年、チーフ総合コーチとして熱心に指導してもらった“師匠”。その飯原の登場曲を借りることで、己を鼓舞しようという意図もあった。

BoAの『AGGRESSIVE』は「宮本慎也さんが……」

 もっとも飯原にとってこの『AGGRESSIVE』は、最初はそこまで思い入れのある曲ではなかったという。昨年限りでユニフォームを脱ぎ、現在は栃木のチームディレクターを務める飯原が、この曲を出囃子にした経緯を述懐する。

「(ヤクルトで)2年目の時かな? 宮本慎也さんが自分の登場曲を選ぶのに『AGGRESSIVE』ともう1つの曲で迷ってて、僕に『どっちがいい?』って聞いたんですよ。僕が『AGGRESSIVEのほうがいいです』って言ったら、慎也さんは『じゃあオレ、こっち使うわ』って違うほうを使ったんですよね(笑)。『じゃあ、これ僕が使っていいですか』ってなって、そこからずーっと使わせてもらった感じです。だからもともとの思い入れってあんまりないんですけど、パトさん(パトリック・ユウ氏)のおかげでファンの人が盛り上がるようになったりとか、ずっと使っていく中で愛着が湧いてきた曲だったんですね。今でもどこかで聞こえたりすると心拍数が上がるというか、ちょっとドキドキしますよ」

 8月には栃木での愛弟子である富山と宜保優の激励にくふうハヤテの試合を訪れた飯原は「えっ、使ってるんですか? 全然いいですよ、そんなん(笑)。打席に入る前に力になるものがあるっていうのが一番いいことなんで」と、愛着ある曲を富山が使うことを快諾。ゆくゆくはかつての自身の打席のように「レッツゴー、ダイキ!」のコールが入り「そうやって(ファンが)盛り上がってくれるといいですね」と期待を寄せていた。しかし、なかなか「その時」は訪れなかった。

 昨年はBCリーグで規定打席に到達も、58試合の出場で打率.236、3本塁打、6盗塁という成績だった富山は、初めて挑んだNPBのリーグでも思うような成績を残せずにいた。シーズン最終カードとなる阪神との3連戦を前に、打率は.176までダウン。ホームランもまだ出ていなかった。

初めて球場に響いた「レッツゴー、ダイキ!」の声の主は……

 9月27日の阪神との初戦、9回からレフトの守備に就いた富山は、その裏の先頭で回ってきた打席でライト前にヒット。すると、翌日の2戦目に8番・右翼でスタメン起用される。2回の第1打席で『AGGRESSIVE』と共に、パトリック・ユウ氏を思わせるトーンで耳に飛び込んできたのが「レッツゴー、ダイキ!」のコールだった。声の主はこの日、くふうハヤテのスタジアムMCを務めていた河東優(かとう・ゆう)氏である。

「(コールは)絶対に入れなきゃダメだと思いました。使命だと思ってましたね(笑)。僕は2019、20(年)と栃木のスタジアムDJをさせてもらって、『レッツゴー、ヤスシ!』は(飯原氏の打席で)積極的に入れてたんですよ。大学生の時は神宮でずっと客席から(ヤクルトの試合を)見てたんで、パトリックさんの『レッツゴー、ヤスシ!』も聞いてましたし、もう代名詞というかBoAの『AGGRESSIVE』は飯原さんのモノっていうのが頭の中にずっとあったんですよね」

 河東氏は京都府高野連で公式記録員を務めていた時代に、当時は京都・乙訓高校のエースだった富山の活躍も見ており、栃木での飯原と彼の関係も分かっている。だからくふうハヤテのMCを担当するようになって、富山が出囃子を『AGGRESSIVE』に替えたことを知ってからは常にコールを入れるチャンスをうかがっていたという。ところが自身が担当する試合で富山がスタメン出場する機会は、なかなかやってこなかった。

「あの日(9月28日)は正直『やっと来た!!』と思いました。球団の人には『あれ何ですか?』って言われましたけど(笑)、たぶん知ってる人は『待ってました!』ってなるんじゃないかなって。あのコールは、(栃木時代の)『レッツゴー、ヤスシ!』もそうなんですけど、完全にパトリックさんのモノマネです。リスペクトですね。だってパトリックさんが言ってなかったら、たぶん誰も言ってないわけですし」

シーズン最終戦、最終打席で飛び出した今季初本塁打

 もっともその9月28日の阪神戦、富山のバットから快音は響かず、3打数ノーヒット、2三振。9回はサウスポーの岩田将貴がマウンドに上がると、代打を送られてベンチに下がった。“奇跡”が起きたのは翌29日のシーズン最終戦、富山にとってシーズン最後の打席。奇跡といったら失礼かもしれないが、そうとしか思えないようなシーンが訪れる。

 4対4の同点で迎えた7回裏、1死走者なし。マウンドには前日は対戦することのなかった変則左腕の岩田。富山はこの日もそこまで2打席凡退だったが、赤堀元之監督は代打を起用することなくそのまま打席に送り出した。その初球、肩口から入ってくるスライダーに思い切りよくバットを振り抜くと、打球は右翼手がフェンスにぶつかりながら伸ばしたグラブを越え、前日から開放されていたライトスタンドに飛び込んだ。くふうハヤテに入って初めての一発は、勝ち越しのソロホームラン。富山は一塁ベースを周ったところで拳を突き上げ、少しだけスピードを緩めてベースを一周した。

 試合後は「いやー、微妙だったですね。入るかなどうかな、みたいな」と苦笑してみせた富山だが、その表情には充実感が滲んでいた。

「ずっと打ってなかったんですよね、あの阪神の岩田っていうピッチャーから。自分の中では前の打席(4回の右飛)でちょっと詰まった反省を生かして、突っ込まないように我慢して我慢してっていう意識が、たまたま肩口から入ってきたんで飛んでいったのかなと思います。自分でもまさかですよ。登場曲でも『レッツゴー、ダイキ』で……僕、何も言ってないんですけど(笑)」

「夢をかなえる場所でもあるけど、夢をあきらめる場所でもある」

飯原氏いわく、栃木時代から「練習の鬼」。試合後の居残り練習が終わっても、外野で1人黙々とバットを振る(筆者撮影)
飯原氏いわく、栃木時代から「練習の鬼」。試合後の居残り練習が終わっても、外野で1人黙々とバットを振る(筆者撮影)

 あの登場曲と河東氏の「レッツゴー、ダイキ!」が後押ししたかのような一発で試合が決まっていれば、間違いなく富山は試合後のヒーローインタビューに呼ばれていただろう。だが、現実は甘くない。5対4で迎えた9回表、2点を失ったくふうハヤテは土壇場で逆転負けを喫し、7連敗でシーズンを終えることとなった。

 今季の富山の成績は出場91試合で183打数33安打(打率.180)、1本塁打、3打点、4盗塁、OPS.450。「独立リーグは夢をかなえる場所でもあるけど、夢をあきらめる場所でもあるというのは言われてて、そこは(くふうハヤテも)一緒だと思う」と覚悟を持って臨んだシーズンだったが、10月24日のNPBドラフト会議で名前を呼ばれることはなかった。

 筆者は今年、くふうハヤテの試合に何度も足を運んだ。そのたびに「他人(ひと)よりも劣ってるんで」と、試合後の居残り練習が終わっても外野でバットを振り、屋内ブルペンで打ち込む富山の姿を見た。現在は秋季教育リーグのみやざきフェニックス・リーグで汗を流す彼の努力が、どんな形であれ実を結んでほしい──。そう願うばかりである。

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フリーランスライター

静岡県出身。小学4年生の時にTVで観たヤクルト対巨人戦がきっかけで、ほとんど興味のなかった野球にハマり、翌年秋にワールドシリーズをTV観戦したのを機にメジャーリーグの虜に。大学卒業後、地方公務員、英会話講師などを経てフリーライターに転身した。07年からスポーツナビに不定期でMLBなどのコラムを寄稿。04~08年は『スカパーMLBライブ』、16~17年は『スポナビライブMLB』に出演した。著書に『燕軍戦記 スワローズ、14年ぶり優勝への軌跡』(カンゼン)。編集協力に『石川雅規のピッチングバイブル』(ベースボール・マガジン社)、『東京ヤクルトスワローズ語録集 燕之書』(セブン&アイ出版)。

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