ノートルダム大聖堂火災から今日で丸3年。パリが海だった時代の石灰岩を再建に。
2019年4月15日、世界中に衝撃が走ったパリ・ノートルダム大聖堂の火災から、今日でちょうど3年が経ちました。
現場では日々修復作業が進行中です。
火災から3年になる今年、先月にはドキュメンタリー的な要素もふんだんに盛り込んだ『Notre-Dame brule(ノートルダムが燃えている)』という映画が公開されましたが、ここ数日はさらに修復関連の話題がフランスのメディアを賑わせています。
再建プロジェクト最高責任者であるJean-Louis Georgelin(ジャン=ルイ・ジョルジュラン)将軍が、France2の朝の人気番組「Télématin(テレマタン)」のインタビューの中で明言したところによると、2024年に作業を完成させるという驚くべき目標は今も健在です。
2024年といえばパリオリンピックが開催される年。その時に華々しくお披露目なるか? と期待しますが、夏のタイミングで一般公開となるのは無理だとしても、2024年中の修復完成を目指しているとのことです。
再建用の石灰岩供給地が決定
焼け落ちた屋根の再建では、21世紀の現代ならではのデザインが採用されたり、新建材を使うのかという議論もありましたが、これについては、火災前の状態に復元するという決定がすでに行われています。
鉛の屋根、それを支える骨組みは木材。つまり、800年以上前の創建時に使われていた材料と技術を永続させるということで、フランス全土の森からオーク材が集められる予定ということは以前の記事でご紹介しました。
そしてさらに、修復に使われる石の産地も選定されました。
(えっ? 屋根は落ちたけれども、建物本体は大丈夫だったのでは?)
と思いますが、強烈な火災の熱にさらされた建物ですから、アーチ型の天井部分や壁など、石を入れ替えたり足したりしなくてはならない箇所が少なくないのです。
フランスには現在およそ3500箇所の石切場が稼働しているといわれます。今回の石材の供給元として選ばれたのはパリの北東およそ85キロメートルのところにあるオワーズ県Bonneuil- en-Valois(ボヌイユ・アン・ヴァロワ)という村に位置する石切場Croix Huyart(クロワ・ユヤール)。ここからは特に堅牢な石灰岩が出るのだそうです。
中世の昔、ノートルダム大聖堂の創建では、パリ地方の地下から切り出された石灰岩が使われました。その時代からずっと、パリの街づくりには石灰岩が多用されてきて、石灰石独特の乳白色の建物が並ぶ街並みがパリらしい象徴的な景観と言えるでしょう。
パリ地方の石灰岩は、このあたりが海だった4500万年前の堆積物でできたものです。たとえば、セーヌにかかる石の橋ポンヌフの表面をよく見ると、貝殻の化石の跡があったりします。
さて、ノートルダム再建用の石も創建時に使われた石と同様の地質ゾーンにあることが必須で、なおかつ、尋常ではない重さに耐えるものでなくてはならないということで、堅牢なボヌイユ・アン・ヴァロワの石が選ばれたというわけなのです。
女性の地質学者が現場で活躍中
被災した石の調査と再建石材の選定で要となる役割を果たしているのが、女性の地質学者Lise Leroux(リズ・ルルー)さん。フランス文化省の歴史建造物研究所(LRMH)の第一人者です。この研究所には、国内のモニュメントや石切場の石の標本が6000種あるそうで、1940年代から収集されてきたその膨大なレパートリーが今回の再建でも大いに役に立っているとのこと。
切り出される石はおよそ640m3。ひとつが6から15トンのブロックは隣県の工場に運ばれてカットされ、洗浄。さらに検査を経た上でノートルダムの石になるのだとか。改めて、ノートルダム修復という世紀のプロジェクトには、フランスの伝統を受け継ぐあらゆる分野の層の厚いエキスパートたちが関わっていることを物語っています。
ちなみに、火災の原因は何だったのか? という問いを誰もが抱くことでしょう。冒頭で触れた映画は、さまざまな可能性を示唆するシーンで始まりますが、真相は未だ闇の中。先のインタビューのジョルジュラン将軍の答えも、現状では「司法に委ねている」というところのようです。
※これまでご紹介してきたノートルダム再建の記事は、こちらからご覧ください。
新型コロナ“戦時下”のパリから ー外出制限5週目のレポートー(2020/4/21)
ノートルダム大聖堂その後 新設計コンペは行わず元のシルエットに復元(2020/8/13)