ノートルダムが燃えている
午後8時02分、この日はジレ・ジョーヌ(黄色いベスト)危機を受けて、8時からマクロン大統領のテレビ会見が予定されていたので、私も多くのフランス人と同じようにテレビをつけた。だが、大統領の代わりに映し出された画像に目を疑った。にわかには信じられない光景。これはいったい現実のことなのか。
一瞬錯綜する感覚は、東日本大震災、ニューヨーク9.11の映像を目にした時と同じだ。
6区の我が家、東側の窓に走り寄れば、確かに空には高く灰色の煙が上がっている。
さっき脱いだばかりのコートを着込み、歩いてノートルダムを目指す。
ポン=ヌフにさしかかった時、橋の途中で道は完全にブロックされていた。ビニールテープが張られ、屈強な警官ががっちりガードしているその先には誰一人入れない。シテ島の友人の家を目指そうとするが、住人であっても入れない。
サンミッシェルの噴水広場も横切って進むのに難儀するほどの人だかり。ここでもシテ島につながる橋には全く近づけない。
迂回してサンジェルマン大通り伝いにモベールミュチュアリテまできた時、暮れてきた空に火花を散らしながら、バラ窓の上に上がる火の手が見え、足が止まった。呼吸が乱れ、涙がこぼれた。
パリはセーヌ河の中州、シテ島から始まっているが、その中心にあるのがノートルダム大聖堂。ゴシック建築の至宝にして、800年余りの年月の間には、ナポレオンの戴冠式、シャルルドゴールをはじめとする国家元首の葬儀など、フランス史の節目の舞台になってきた。世界遺産に登録されていることは言うまでもなく、年間来場者は1300万人を数える。パリの道路元標もノートルダムの前に置かれていることが象徴するように、カトリックの宗教施設という意味を超え、あまねく人々にとってのノートル・ダム(我々の聖母)なのである。
我らの聖母が燃えている。
午後10時、ゴシック建築の華である飛梁の下、そして内陣の上空を染める朱赤色からは、建物が内に抱える火がまだまだ激しいことがわかる。周囲の人垣に目を移せば、呆然と、あるいは目を濡らしながら、皆が同じ方向を見ている。熱心な信者たちが繰り返す賛美歌の他には、意外なほどに声はない。だが、無人になった目の前の道路に時おり消防車が通ったり、消防士の姿が見えると、拍手と歓声がわく。
火事場に野次馬はつきもの。しかし、これは違うと思った。はじめのうちこそ、掲げられるスマホの数が多かったが、時間が経つに従って、ただただ無言で皆がことの次第を見つめていた。
対岸の私たちに直接的な身の危険はない。だが、心を削られるような思いで、いたましい「我らの聖母」の姿を見ていた。
11時を過ぎ、歯の根が合わなくなってきた。ここ数日のパリは、芽吹いた木々の彩りとは裏腹に真冬に戻ってしまったような陽気だ。
鎮火には至らないが、火の勢いが確実に弱まってきたことを見届けて家路につく。そして再び自宅でテレビをつけると、焼失を免れた正面の塔を背景に、マクロン大統領がいた。
Notre Dame, c'est notre histoire.
Nous la rebatirons.
ノートルダムは私たちの歴史そのもの。
ふたたび築こう。
明日からまた、さまざまなニュースが世界をにぎわすだろう。
とにかく前へ前へと進んでゆくだろう。
だが今夜は、我らが聖母が光を失ったこの夜は
巻き戻すことができない時間への愛惜が募るばかり。
あたりまえのように思っていたことが、実はあたりまえではない。
有難きもの。