2024年3月5日、パリに新しい日本料理のレストランが誕生しました。
その名は「Hakuba」。
LVMHグループが手掛けるホテル「シュヴァル・ブラン パリ」の4つ目のダイニングレストランで、パリの寿司店「仁」をミシュラン一つ星にした渡邉卓也さんが、LVMHグループとコラボレーションする形で実現したものです。
同ホテルのレストランとしてはアルノー・ドンケルシェフ率いる「プレニチュード」がまずあります。これは開業早々、いきなりミシュラン三つ星を取ってしまうという快挙を成し遂げたレストランで、今パリで最も予約の取りにくいレストランと言っても過言ではないでしょう。
「Hakuba」は、「シュヴァル・ブラン パリ」全体のヘッドシェフでもあるドンケル氏と渡邉シェフ、さらに、メゾン全体のシェフパティシエ、マキシム・フレデリックさんという3人のビッグネームがタッグを組んでクリエイトするというドリームプロジェクトです。
私は開店早々に「Hakuba」を体験する機会に恵まれました。
パリで極上のお寿司が食べられるようになったという感慨深さはもちろんですが、日本の超一流に追いつき追い越せではない、別の料理世界への扉が開かれたという感動すら覚えました。
その体験はこちらの動画の後半でご紹介しています。どうぞ併せてご覧ください。
伝統的な日本料理とパリの最先端のフランス料理とのコラボレーション。その夢のようなプロジェクトが一体どうやって実現したのか。
私はそれを知りたくて渡邉さんにインタビューを申し込みました。彼は非常に忙しいスケジュールの中で時間をとってくれて、気さくにそして非常に正直にこれまでの経緯を話してくれました。
なるほどそういうことがあったのか。と感心することしきりのこのインタビューを多くの方々と分かち合いたいと思いましたので、少し長くなりますが、ここでご紹介したいと思います。
渡邉卓也さん プロフィール
1976年 北海道ニセコ生まれ。少年時代は自然と家族の菜園の食材などと親しみながら育つ。料理の道を志し、修行時代を経て27歳で独立し、札幌に日本料理店を開業。
2013年 パリでニナ・ニックーとともに「仁(JIN)」を開業。フランス・欧州でとれる魚を使った本格的な寿司と日本酒が楽しめる店として評判を呼び、翌年にはミシュラン一つ星を獲得。
2022年 ロンドンに「メイフェア・タク レストラン」開業。
2023年3月 パリにカジュアルな寿司レストラン「Kaito」を開業。
2024年3月 「Hakuba」開業。
誕生秘話
そもそも「Hakuba」のプロジェクトは何がきっかけだったのでしょうか。
そこからは、渡邉さんとホテル「シュヴァル・ブラン パリ」のトップたちとのミーティングが続きます。「Hakuba」は、開業時から地上階にあった「Limbar」の代わりに入ることになりました。とはいえ、カフェ程度の設備しかなかったキッチンを日本料理の本格的な厨房にできるのかなど、解決すべき問題は少なくありません。
一方、「シュヴァル・ブラン パリ」自体、開業してから間もないこともあり、各部署がまだ固まっていない時期でもありました。その中での新たな「Hakuba」プロジェクトです。
「プレニチュード」のアルノー・ドンケルシェフがホテルのレストラン部門全体を統括しているので、「Hakuba」はその傘下に入ることになります。ですが、彼らも自分たちのことで手一杯。自分たちのシステム、チームがまだしっかりと出来上がってない時期に、まったく違うジャンルの日本料理を受け入れることは相当な労力とリスクを伴います。
一旦は白紙に戻るかに見えたこのプロジェクト。けれども、もう一度息を吹き返したのには、デルフィーヌさんをはじめ、ベルナール・アルノーファミリーの思いの強さによるところが大きいのでは? 渡邉さんのお話を聞いていて、私はそう感じました。
そもそもデルフィーヌさんが「仁」の上客で、渡邉さんの今後の展開をとても気にかけていたことはすでに述べましたが、LVMH会長のベルナール・アルノー氏自身も「仁」に一度食事に訪れたことがあり、食後、渡邉さんに「一緒にチャレンジしよう」と言っていたのだそうです。
そんな紆余曲折がありつつ、「Hakuba」プロジェクトは実現に向けてもう一度動き出すのです。
三ツ星フレンチのシェフとのコラボレーション
「Hakuba」のプレスリリースを見ると、「Four-Hands Cooking」とあります。そのココロは、渡邉シェフとドンケルシェフ2人による料理。日本料理と三ツ星フレンチが一緒になるとこうなる、というものを「おまかせ」の形で提供しています。
と、言葉にしてしまえば簡単ですが、まずこの出発点に立つこと自体簡単でないことは想像がつきます。全く異なるバックボーンと個性を持った2人のシェフが一つのレストランの料理を作るのですから。
具体的に料理のコースを組み立ててゆくにあたっては、数えきれないくらい試作と試食を繰り返したと渡邉さんは言います。
ところで、私が体験したコース料理の中で、一番印象的だったのが卵料理。実はこれにも誕生秘話がありました。
「Hakuba」はデザートも充実しています。渡邉さんは「仁」の時代からのパティシエをこのレストランにも伴ってきましたが、そこに「シュヴァル・ブラン パリ」のシェフパティシエであるマキシム・フレデリックさんのアイディアと技が加わりました。
“化学反応”が生まれる
醤油差しがない寿司店
渡邉さんに私はこう尋ねました。「Hakuba」が目指しているのは、和食のグランメゾンになることでしょうか? すると渡邉さんからはこんな言葉が返ってきました。
ちなみに、「Hakuba」には、「プレニチュード」からの精鋭たちが送り込まれています。アルノー・ドンケルさんの右腕であるスーシェフがオープン時の「Hakuba」の厨房に入ったことをはじめ、女性のサービスのトップやソムリエの方々も「プレニチュード」から「Hakuba」に。
どおりで、全く新しいレストランでありながら、最初からレベルの高さを感じさせる雰囲気がお店全体にみなぎっていたはずです。
また、食材はできるだけ現地のものを使う渡邉さんですが、これだけは日本のものでなくては、というのがあります。その筆頭が「お酢とお海苔」。さらにいえば、日本酒、そして焼物など日本の伝統工芸品にも「Hakuba」では重きを置いています。「日本のいいものを世界に発信したい」という思いが、渡邉さんにはあります。
渡邉さんが使うのは、「飯尾醸造」の富士酢。醤油は秋田の「石孫本店」。スタッフのユニフォームやワインリストの装丁には、京都「細尾」の西陣織の生地が使われています。また、見事な器は唐津の隆太窯、伊万里の文祥窯、京都の骨董商、梶アンティークからというふうに、「シュヴァル・ブラン」の美意識に沿う一流の品々が集められているのです。
「プレニチュード」と同じように、「Hakuba」も予約困難なレストランになる日が遠くないのでは、と、私は想像します。
日本からパリを訪ねる方ならば、「せっかくパリで食事をするのなら、日本料理ではなくフレンチがいい」ときっと思われることでしょう。レベルの高い日本料理なら、日本でいくらでも食べられるのだから、と。その気持ちはわかります。けれども、食通の方なら、今パリで何が起こっているのかをここ「Hakuba」で体感することの意義は大きいはず。進化する日本料理の歴史の証人になれるのではないか、と思います。