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【パリ】異次元の日本料理の誕生「Hakuba」渡邉卓也シェフインタビュー

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
「Hakuba」シェフ渡邉卓也さん(中央)写真/Caroline Dutrey

2024年3月5日、パリに新しい日本料理のレストランが誕生しました。

その名は「Hakuba」

LVMHグループが手掛けるホテル「シュヴァル・ブラン パリ」の4つ目のダイニングレストランで、パリの寿司店「仁」をミシュラン一つ星にした渡邉卓也さんが、LVMHグループとコラボレーションする形で実現したものです。

同ホテルのレストランとしてはアルノー・ドンケルシェフ率いる「プレニチュード」がまずあります。これは開業早々、いきなりミシュラン三つ星を取ってしまうという快挙を成し遂げたレストランで、今パリで最も予約の取りにくいレストランと言っても過言ではないでしょう。

「Hakuba」は、「シュヴァル・ブラン パリ」全体のヘッドシェフでもあるドンケル氏と渡邉シェフ、さらに、メゾン全体のシェフパティシエ、マキシム・フレデリックさんという3人のビッグネームがタッグを組んでクリエイトするというドリームプロジェクトです。

パリの中心部、ポンヌフのたもとにそびえる「シュヴァル・ブラン パリ」。「Hakuba」はこの中の4つ目のレストランとして地上階に開業した。写真/筆者撮影
パリの中心部、ポンヌフのたもとにそびえる「シュヴァル・ブラン パリ」。「Hakuba」はこの中の4つ目のレストランとして地上階に開業した。写真/筆者撮影

左から、アルノー・ドンケルシェフ、渡邉卓也シェフ、マキシム・フレデリックシェフ。写真/Caroline Dutrey
左から、アルノー・ドンケルシェフ、渡邉卓也シェフ、マキシム・フレデリックシェフ。写真/Caroline Dutrey

私は開店早々に「Hakuba」を体験する機会に恵まれました。

パリで極上のお寿司が食べられるようになったという感慨深さはもちろんですが、日本の超一流に追いつき追い越せではない、別の料理世界への扉が開かれたという感動すら覚えました。

その体験はこちらの動画の後半でご紹介しています。どうぞ併せてご覧ください。

伝統的な日本料理とパリの最先端のフランス料理とのコラボレーション。その夢のようなプロジェクトが一体どうやって実現したのか。

私はそれを知りたくて渡邉さんにインタビューを申し込みました。彼は非常に忙しいスケジュールの中で時間をとってくれて、気さくにそして非常に正直にこれまでの経緯を話してくれました。

なるほどそういうことがあったのか。と感心することしきりのこのインタビューを多くの方々と分かち合いたいと思いましたので、少し長くなりますが、ここでご紹介したいと思います。

渡邉卓也さん プロフィール
1976年 北海道ニセコ生まれ。少年時代は自然と家族の菜園の食材などと親しみながら育つ。料理の道を志し、修行時代を経て27歳で独立し、札幌に日本料理店を開業。
2013年 パリでニナ・ニックーとともに「仁(JIN)」を開業。フランス・欧州でとれる魚を使った本格的な寿司と日本酒が楽しめる店として評判を呼び、翌年にはミシュラン一つ星を獲得。
2022年 ロンドンに「メイフェア・タク レストラン」開業。
2023年3月 パリにカジュアルな寿司レストラン「Kaito」を開業。
2024年3月 「Hakuba」開業。

「Hakuba」入り口。(以下、写真はすべて筆者撮影)
「Hakuba」入り口。(以下、写真はすべて筆者撮影)

「Hakuba」店内
「Hakuba」店内

「Hakuba」のカウンターに立つ渡邉卓也さん
「Hakuba」のカウンターに立つ渡邉卓也さん

コース料理の最初に出されたサバの料理
コース料理の最初に出されたサバの料理

誕生秘話

そもそも「Hakuba」のプロジェクトは何がきっかけだったのでしょうか。

LVHMグループの会長ベルナール・アルノー氏の長女で、現在は「ディオール」の社長であるデルフィーヌ・アルノーさんからのオファーです。
もともと彼女は「仁」のお客様でした。月に1、 2回はいらしてくれる常連さんでした。
「この先どうするの?」と、彼女は僕の将来を気にかけてくれていたのですが、コロナ禍になってしまい、メールでのやり取りくらいになっていました。
コロナ禍やその後の時期は、みなさん自分の今までのキャリアを見つめ直したりしたと思いますが、料理界でもそのような流れがあったと思います。
僕もパリで10年経ち、ロンドンに行こうかという気持ちになっていました。
「メイフェア」の店の前にも、2軒ほどロンドンでプロデュースしていたこともあって、自分はロンドンに合っているなと思ったんです。ロンドンは、どこか東京っぽいと思います。ヨーロッパの名残りもありながら、ちょっとニューヨークのエッセンスが入っている。
パリが変わらない街だとしたらロンドンは常に進化して行く。その方が僕には合っているのではないかと感じたので、ロンドンに行こうと思っていたんです。
そんな時期、デルフィーヌさんとやり取りしていたら、もう一度「この先どうするの?」と尋ねられました。それなら、彼女に話を聞いてもらおうと思いました。
「私のオフィスに来られる?」と彼女。
当時、彼女は「ルイ・ヴィトン」の社長だったので、「ルイ・ヴィトン」本社の彼女の部屋に呼ばれて、もう、ありのままを話しました。
「もう10年経った『仁』を辞めて次のステップに行こうと思っているけれど、具体的に何かが決まっているわけじゃない」という話をしたら、「私たちと一緒に何かプロジェクトをやりませんか?」と言われました。オファーというか、まあ僕もこちらからも何かやりたいっていう気持ちを伝えに行こうと思っていましたし、彼女もそれを汲んでくれたのかどうか…。
「じゃあ、一緒に何か私たちのビジネスをやりましょう」となりました。

マグロの赤身の刺身。アリソンマリティムという名前の潮風を感じさせる花と一緒にいただく
マグロの赤身の刺身。アリソンマリティムという名前の潮風を感じさせる花と一緒にいただく

そこからは、渡邉さんとホテル「シュヴァル・ブラン パリ」のトップたちとのミーティングが続きます。「Hakuba」は、開業時から地上階にあった「Limbar」の代わりに入ることになりました。とはいえ、カフェ程度の設備しかなかったキッチンを日本料理の本格的な厨房にできるのかなど、解決すべき問題は少なくありません。

一方、「シュヴァル・ブラン パリ」自体、開業してから間もないこともあり、各部署がまだ固まっていない時期でもありました。その中での新たな「Hakuba」プロジェクトです。

「プレニチュード」のアルノー・ドンケルシェフがホテルのレストラン部門全体を統括しているので、「Hakuba」はその傘下に入ることになります。ですが、彼らも自分たちのことで手一杯。自分たちのシステム、チームがまだしっかりと出来上がってない時期に、まったく違うジャンルの日本料理を受け入れることは相当な労力とリスクを伴います。

正直言うと、この話は一度、ダメになっているんです。
僕がロンドンにいた2023年の年明けころ、LVMH全体で大きな人事があって、プロジェクトの引き継ぎがとても難しい様子でした。最終的な契約の話になった時、ホテル側としては、今は受け入れられない状況なので、延期にしたいと言う申し入れがありました。
僕としても、ホテルで打ち合わせを重ねている時、現場の状況を見ていて難しさを想像していましたから、仕方のないことかな、とは思いました。

一旦は白紙に戻るかに見えたこのプロジェクト。けれども、もう一度息を吹き返したのには、デルフィーヌさんをはじめ、ベルナール・アルノーファミリーの思いの強さによるところが大きいのでは? 渡邉さんのお話を聞いていて、私はそう感じました。

そもそもデルフィーヌさんが「仁」の上客で、渡邉さんの今後の展開をとても気にかけていたことはすでに述べましたが、LVMH会長のベルナール・アルノー氏自身も「仁」に一度食事に訪れたことがあり、食後、渡邉さんに「一緒にチャレンジしよう」と言っていたのだそうです。

そんな紆余曲折がありつつ、「Hakuba」プロジェクトは実現に向けてもう一度動き出すのです。

鮑の一品。左上に添えた温かい出汁、さらに、鮑の下にはリゾットが忍ばせてあり、魚介の旨みを存分に楽しめる
鮑の一品。左上に添えた温かい出汁、さらに、鮑の下にはリゾットが忍ばせてあり、魚介の旨みを存分に楽しめる

三ツ星フレンチのシェフとのコラボレーション

「Hakuba」のプレスリリースを見ると、「Four-Hands Cooking」とあります。そのココロは、渡邉シェフとドンケルシェフ2人による料理。日本料理と三ツ星フレンチが一緒になるとこうなる、というものを「おまかせ」の形で提供しています。

と、言葉にしてしまえば簡単ですが、まずこの出発点に立つこと自体簡単でないことは想像がつきます。全く異なるバックボーンと個性を持った2人のシェフが一つのレストランの料理を作るのですから。

アルノーとしては、僕の料理を尊重したいけれど、このホテルで自分の傘下でやるということを理解してほしい、というのがまずあったと思います。僕がやりたいようにやらせてほしいと言って衝突してしまうことを、彼はすごく懸念していたと思います。最初の頃、彼は僕ととても慎重に話をしていました。
けれども、正直なところ、僕にはそういう固執はもうありませんでした。日本の寿司ってものをパリで手に入る食材を使って表現して、パリの人に伝えようとしてきたのが「仁」の10年。僕の中で、それはもう終わりにしてもいいと思っていました。それよりは何か新しい料理の形を作りたいと思っていたんです。
もちろん僕のエッセンスを取り入れてもらいたいというのはありましたけれども、このホテルのカラーに沿った形でやるという気持ちでいました。
ここまで来る上で、なんと言っても一番大きかったのは、彼の人間性だと思います。
僕らって年も一緒なんですよ。彼は77年の早生まれで僕は76年の7月。日本で言うと同級生なんです。彼も言っていたことですが「会ってすぐって感じじゃないような気がする。20年ぐらい一緒にいたような気がする」。僕も、彼じゃなかったらここまでできなかったと思います。

筆者が体験した時、幸運にもアルノー・ドンケルシェフ(左)自らがカウンターに立つというシーンに遭遇した。彼がこのレストランにいかに真剣に取り組んでいるかが伝わってきた
筆者が体験した時、幸運にもアルノー・ドンケルシェフ(左)自らがカウンターに立つというシーンに遭遇した。彼がこのレストランにいかに真剣に取り組んでいるかが伝わってきた

具体的に料理のコースを組み立ててゆくにあたっては、数えきれないくらい試作と試食を繰り返したと渡邉さんは言います。

サバにしても、マグロにしても、一回作って盛り上がって、「これでいいね」って言っても、「じゃあ、明日また同じのを作ろう」となります。で、また明日同じものを作って食べる。
そうしていると、マグロの部位によってもちょっとした違いがあるじゃないですか。その違いをマイナスにとるんじゃなくて、「じゃあ今日のこのマグロだったら、このソースにしてみよう」とか、常に常にちょっとずつ小さい進化をするんです。本当に小さなことの積み重ね。そしてそれが「オッケーだね」となっても、「また同じものを作ってみよう」。そういうことが、永遠に続くような感じでした。
でも、それが自分達を作っていて、自信になるし、ぶれなくなる。
日本の寿司屋だと、例えば、マグロを切るところを見せるのが華で、良いように言えばマグロによって毎日その大きさを変えたり、厚みを変えたりするのが職人技みたいなところがありますが、アルノーは同じことを毎日積み重ねようとするのです。
それが僕らのここでのテーマ。マグロの部位によって多少切り付けとかを変えることがあっても、基本的には同じサイズの同じものを同じように提供しようっていうのが根底にあります。それは日本料理にはないところだなと思いました。

ところで、私が体験したコース料理の中で、一番印象的だったのが卵料理。実はこれにも誕生秘話がありました。

寿司屋といえば、食事の最後のデザート代わりに甘い卵焼きが出るのが一般的ですが、「仁」では卵焼きを出していませんでした。フランス人は卵焼きを食べたとしても、デザートが出るまで帰らないんですよ(笑)。だから、「仁」ではパティシエを入れて、デザートを出していました。アルノーも、「その流れはすごくいい。日本料理だけれども、ちゃんとしたデザートを出そう」ということで、僕のスタイルを取り入れてくれました。
けれども、卵焼きをコースの途中で出してはどうか、ということになりました。そこで僕は色々な種類の日本の卵焼きを焼いてみせました。寿司屋では普通だし巻きを使いませんが、「こういうのもある」と、僕が作ってみせたら、「すごくいいね」と、アルノーが言いました。「この卵焼きの上に『プレニチュード』で出しているシャルキュトリーを載せて寿司に見立てたらどうかな」となりました。そういうアイディアは僕にはない発想だったので、本当にすごいなと思います。

だし巻き卵の上に特製のシャルキュトリーを載せた一品
だし巻き卵の上に特製のシャルキュトリーを載せた一品

イカ、アンチョビ、海藻を層状にしてスライスしたシャルキュトリーは、まず凍った状態でプレゼンテーションされる
イカ、アンチョビ、海藻を層状にしてスライスしたシャルキュトリーは、まず凍った状態でプレゼンテーションされる

出来立てほやほやのだし巻き卵の熱で、シャルキュトリーがみるみるうちに溶けてゆく
出来立てほやほやのだし巻き卵の熱で、シャルキュトリーがみるみるうちに溶けてゆく

「Hakuba」はデザートも充実しています。渡邉さんは「仁」の時代からのパティシエをこのレストランにも伴ってきましたが、そこに「シュヴァル・ブラン パリ」のシェフパティシエであるマキシム・フレデリックさんのアイディアと技が加わりました。

デザートもお寿司の流れで行くということで、米がテーマになっています。それならまず「リオレ」(註・米を牛乳で煮たフランスの伝統的なスイーツ)を作ろうとなりました。料理で使うのと同じ米を使ってそのリオレを作ることになったのですが、おそらく100回以上は試作をしたと思います。僕も何回試食をしたかわからない。それがアルノーのスタイルなんです。
フュージョンではないという点では、僕もアルノーも共通しています。「Takuの寿司はみんながこう認める美味しいお寿司だから、そこの部分は僕は手を出したくない」とアルノーは言います。もっと味を濃くしてほしいとか、そういうのもありません。
彼は淡い酸味が好きなのか、毎日ここに来てシャリを食べます。
彼は味見だ、味見が大事なんだって言ってるけど多分本当に好きで食べてると思います。のりをかけたり、マグロがあったらちょっとマグロで巻いてあげたりとかしますけど、基本的にボウルにシャリをちょっと入れて、そこに出汁をかけてみたり。そこで何か新しい発見ももちろん考えてると思うんですけど。彼は本当に純粋に僕のシャリが好きなんです。厨房に来たら、とりあえずシャリ。

リオレを中に忍ばせたデザート。花びらのような細工も黒米を使ったもの
リオレを中に忍ばせたデザート。花びらのような細工も黒米を使ったもの

二つめのデザートは、Mochiのアイスクリーム。美しい器に小さなお寿司を載せたようなプレゼンテーションで
二つめのデザートは、Mochiのアイスクリーム。美しい器に小さなお寿司を載せたようなプレゼンテーションで

“化学反応”が生まれる

ディナーのコースの最後には太巻きを出しますが、旬のアスパラとかんぴょう、そこにちょっとフュメ(スモーク)香をつけたラングスティーヌ(手長海老)を入れようというアイディアが出ました。「プレニチュード」でも使っているラングスティーヌがすごく美味しいんです。
日本の寿司屋でも手長海老を使いますが、ただ茹でただけだとやっぱりちょっと弱いんですよね。ラングスティーヌやオマールは、何かしらソースだったりがあって味が引き立つ食材です。フレンチだとちょっとソテーしたり、バターのソースがかかっていることで美味しくなります。うちでは、ラングスティーヌを蒸したものをちょっとフュメして、最後に少し炭で炙って焼いて太巻きに入れます。
試作の時、最初はアスパラをロティにしてみました。スタッフはすごく大変なんですが、バターかけながら少しずつ茶色く仕上げていく。けれども、それをテイスティングした時、僕にはアスパラの風味が何も感じられなかったのです。これはフランス料理のマイナスな部分かもしれませんが、食材の味がわからない、何を食べているかわからないことってありますよね。僕としてはそうではなく、アスパラを感じられるものにしたかった。そこで、別の方法を考えました。アスパラはくたくたに茹でずに8割ぐらい茹でて、余熱でちょっと火を入れて、軽く食感が残っている感じにする。そこに炭で少し焼き目をつけてから、土佐酢に2、 3時間ぐらい漬ける。アスパラのピクルスみたいなものです。それとラングスティーヌ、マグロ、かんぴょう。日本の太巻きの材料が入ってるけど、口の中での印象はアスパラが一番強いんです。それを提案したら「プレニチュード」でも使えるな、と、アルノー。そういう“化学変化”が生まれるから、すごく面白いなぁ、と思います。
奇を衒った料理を作りたいわけでもないですし、小さいジャンルにもこだわっていません。フレンチと日本料理のフュージョンでもないし、日本料理っていうのをやっているという感覚も僕にはないです。だから、お客様はいろんな角度で楽しめると思います。お寿司屋さんだと思って来店して、「日本料理っぽくないよね」っていう人もいるし、「仁」を知っている方は特にそう思うでしょう。けれども、それを超えるものを出しているので、最後はすごく喜んで帰ってくれます。

贅沢な具材をたっぷりと入れる「Hakuba」の太巻き
贅沢な具材をたっぷりと入れる「Hakuba」の太巻き

醤油差しがない寿司店

アルノーから「なんで同じ組み合わせでしか出さないの」と尋ねられました。シャリ、わさび、魚、醤油という組み合わせは、寿司の基本的な部分だから、彼はおそらくとても気を遣いながらその質問をしたと思います。
そこに対して普通の寿司職人だったら、「いや寿司ってそういうもんだから。醤油とわさびで、それぞれの魚の味の違いを楽しむもんだよ」と答えるかもしれません。けれども、僕自身、こちらの舌に慣れてきているからなのか、何年か前から、日本に帰って寿司を食べると飽きてしまうようになっていました。もちろんそこにお酒やワインがあったりして、リフレッシュして次のものに行くっていうのがあるんですけど、同じ味の繰り返しに疲れてしまう。
だから、醤油でも白身魚なら白醤油を使ったり、オマールの握りには煎り酒を元々使っていましたし、牡蠣はわさびよりもかんずりの方がアクセントになると、変えています。
理想は、寿司それぞれに違う醤油、ソースとか薬味で食べていただくようにしたい。そのルーツだったりバックグランドをしっかりと理解した上で、スタッフのみんなにも、面白いものがあったら提案してほしいと言っています。
とはいえ、最初にお出しするパジョ(小鯛)はわさびとお醤油。パジョの味を存分に味わってもらいたいからなのですが、それ以外の魚は違った薬味。握りの流れの中にも、ストーリー性があると、お客様も喜ばれるでしょうし、まずは、アルノーを喜ばせるのが僕の楽しみ。とても楽しいです。伝統的になくてはならない寿司の部分というのはあると思います。すし酢をバルサミコで作るとかそういうことはしないです。けれども、進化はし続けなければいけない。その進化も大幅に変えるんじゃなくて、小さい変化の積み重ねでいいなと僕は思っています。

オマール海老の握り。醤油ではなく、煎り酒でいただく
オマール海老の握り。醤油ではなく、煎り酒でいただく

渡邉さんに私はこう尋ねました。「Hakuba」が目指しているのは、和食のグランメゾンになることでしょうか? すると渡邉さんからはこんな言葉が返ってきました。

いや、和食じゃないですよね。もう。和食のグランメゾンを目指してるとかじゃなくて、10年後、20年後にこのスタイルが一つのジャンルとして主流になっていけばいいな、と思っています。
10年前、パリで寿司屋を始めて、今これだけ認知されるものを作ったという自負があります。おまかせもあれば、大衆的なものも、ファストフード的なものもある。10年前に始めた甲斐があったなと思います。
今度は、フレンチでもない和食でもない、新しいジャンルの料理がここから世界に発信できるかな、と思ってやっています。
ここでの形が主流になるといいと思いますが、それができないとしても、皆さんがとても触発されるのではないかと思います。

ちなみに、「Hakuba」には、「プレニチュード」からの精鋭たちが送り込まれています。アルノー・ドンケルさんの右腕であるスーシェフがオープン時の「Hakuba」の厨房に入ったことをはじめ、女性のサービスのトップやソムリエの方々も「プレニチュード」から「Hakuba」に。

どおりで、全く新しいレストランでありながら、最初からレベルの高さを感じさせる雰囲気がお店全体にみなぎっていたはずです。

また、食材はできるだけ現地のものを使う渡邉さんですが、これだけは日本のものでなくては、というのがあります。その筆頭が「お酢とお海苔」。さらにいえば、日本酒、そして焼物など日本の伝統工芸品にも「Hakuba」では重きを置いています。「日本のいいものを世界に発信したい」という思いが、渡邉さんにはあります。

渡邉さんが使うのは、「飯尾醸造」の富士酢。醤油は秋田の「石孫本店」。スタッフのユニフォームやワインリストの装丁には、京都「細尾」の西陣織の生地が使われています。また、見事な器は唐津の隆太窯、伊万里の文祥窯、京都の骨董商、梶アンティークからというふうに、「シュヴァル・ブラン」の美意識に沿う一流の品々が集められているのです。

ワインリストの中の日本酒のページ。各地の蔵元からの銘酒が取り揃えられている
ワインリストの中の日本酒のページ。各地の蔵元からの銘酒が取り揃えられている

「プレニチュード」と同じように、「Hakuba」も予約困難なレストランになる日が遠くないのでは、と、私は想像します。

日本からパリを訪ねる方ならば、「せっかくパリで食事をするのなら、日本料理ではなくフレンチがいい」ときっと思われることでしょう。レベルの高い日本料理なら、日本でいくらでも食べられるのだから、と。その気持ちはわかります。けれども、食通の方なら、今パリで何が起こっているのかをここ「Hakuba」で体感することの意義は大きいはず。進化する日本料理の歴史の証人になれるのではないか、と思います。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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