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【パリ五輪】セーヌ源流の女神が迎えた聖火リレー

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
7月12日セーヌ源流の女神像の前で聖火リレー(以下記載のない写真は全て筆者撮影)

いよいよパリオリンピックの開幕が秒読みとなりました。

今回のオリンピックの最初のスターはセーヌ川です。

ここで開会セレモニーが行われ、競技の会場にもなるはずです。

パリ市長アンヌ・イダルゴさんが7月17日、実際にセーヌ川で泳いだニュースを聞いた方も少なくないのではないでしょうか。このニュースからは、パリ市がどれほど、セーヌ川でのオリンピックシーンを成功させたいと思っているか、その本気度が伝わってきます。

2024年7月17日、パリのセーヌ川を泳いだアンヌ・イダルゴパリ市長
2024年7月17日、パリのセーヌ川を泳いだアンヌ・イダルゴパリ市長写真:ロイター/アフロ

聖火リレー大成功

フランス国内では、5月8日からパリオリンピックのムードが現実味を帯びて来ていました。ギリシャから帆船を使ってフランスに運ばれたオリンピックの聖火は、その日にマルセイユに上陸。そこからフランス全土、海外県も含む形で聖火リレーが繰り広げられてきました。

それぞれの地方がお国自慢の名所を転々と結ぶ形で聖火を迎えるというもので、ビジュアル的なインパクトは抜群。例えばパリなら、ルーヴル美術館の中を聖火が通り、ドラクロワの『民衆を率いる自由の女神』の絵の前で聖火ランナーがポーズをとり、バスティーユのオペラ座前では、バレエダンサーたちが聖火を掲げ、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間も聖火リレーの舞台になるという具合。

プレゼンテーション能力に長けたフランスならではの数々の演出には、さすがと思わせるものがありました。

2024年7月14日午後、修復中のノートルダム大聖堂前での聖火リレー(筆者撮影)
2024年7月14日午後、修復中のノートルダム大聖堂前での聖火リレー(筆者撮影)

大火災から大聖堂を救った消防士たちが妙技を披露しながら聖火を迎えた(筆者撮影)
大火災から大聖堂を救った消防士たちが妙技を披露しながら聖火を迎えた(筆者撮影)

同日午後、サンジェルマンデプレの交差点を通過する聖火ランナー(筆者撮影)
同日午後、サンジェルマンデプレの交差点を通過する聖火ランナー(筆者撮影)

全国各地を回った聖火リレーはさながら「ツール・ド・フランス」のようで、連日地元の人々が熱狂的な盛り上がりで聖火を迎えるというムーブメントが起きました。それによって首都パリだけでなく、フランス全体でオリンピックを迎えるのだというムードの醸成に成功したのではないかと思います。

ちなみに、毎年7月は「ツール・ド・フランス」の月。ゴール地点はパリのシャンゼリゼ大通りと決まっています。けれども今年は異例のこととして、南フランスのニースがゴール地点になり、レースがパリを通過することはありませんでした。

オリンピック開幕を前にして、パリ市内ではあらゆるところで大掛かりな準備が行われ、道路の通行止め、メトロの駅の閉鎖など、セキュリティ対策のための厳戒態勢が敷かれています。そんなパリでのファイナルはありえないことだったのです。

7月14日、革命記念日のパレードも然り。シャンゼリゼ大通りではなく凱旋門から逆の方向に伸びる大通りが舞台になるというのは、歴史的にもごく稀なこと。それほど異例づくしの中で、パリは百年ぶりのオリンピックを迎えます。

セーヌの源流での聖火リレー

ところで、パリに聖火がやってきた7月14日の前々日、12日に、私はとある場所で聖火リレーを見ていました。その場所はセーヌ川の源流です。

セーヌ川の源流がどこにあるのか。それを言い当てられる人はフランス人でも半数に満たないのではないかと思うほどマイナーな場所です。

答えはブルゴーニュ地方のコートドール県。ディジョンの北、50kmほどのところにある森の中にセーヌの源流はあります。

自治体の区分で言うとSource Seine(ソースセーヌ)村。訳してセーヌ源流村(人口65人)なのですが、源流域の一角が19世紀以来、パリ市の飛び地になっています。

セーヌの源流域、19世紀に築かれた祠の中に女神像がある。聖火リレーを迎えるためにオリンピックロゴの入った綱が張り巡らされた(筆者撮影)
セーヌの源流域、19世紀に築かれた祠の中に女神像がある。聖火リレーを迎えるためにオリンピックロゴの入った綱が張り巡らされた(筆者撮影)

聖火リレーを迎えるにあたっては、村人たちをはじめ、近隣の市町村の人たちもボランティアで会場の準備をしました。普段はとても静かな場所で、ツーリストが数分滞在するか、長くても一時間以内で立ち去る場所なのですが、その日ばかりはどこからこれだけの人が湧いてきたのだろうと思うほど、数百人の人が集い、警察官が何十人も出動して警備に当たるという異例の光景が繰り広げられました。

とはいえ、この上なく和やかで心温まるような雰囲気の中で、聖火リレーは行われました。

聖火リレー前日、村の人たちによる会場準備(筆者撮影)
聖火リレー前日、村の人たちによる会場準備(筆者撮影)

聖火ランナーは、サンセーヌラベイ村に暮らす女性エマさん。彼女のお父さんは地元の消防隊長(筆者撮影)
聖火ランナーは、サンセーヌラベイ村に暮らす女性エマさん。彼女のお父さんは地元の消防隊長(筆者撮影)

この歴史的瞬間に立ち会うために、私もパリから現地に向かいました。聖火リレーの様子、そしてそれを迎える村人たちの様子は、こちらの2本の動画で紹介していますので、どうぞご覧になってみてください。

セーヌ源流の女神の前で聖火リレーが行るシーンは、パート2の動画の22分くらいのところにあります。

冒頭で書いた「今回のオリンピックのスターはセーヌ川」。

これは私が作った言葉ではありません。源流域での聖火リレーのためにこの地を訪れたパリ市助役、ピエール・ラバダンさんがいみじくもおっしゃった言葉です。

かつてラグビーのナショナルチームで活躍した彼は、現在パリ市のスポーツ、オリンピック部門担当助役として、非常に重要な働きをしています。

彼の担当部門はもう一つ「セーヌ川」。この役職の分担を見ても、今回のオリンピックがセーヌ川と切っても切り離せないものであることがわかると思います。

源流での聖火リレーの後、スピーチをするパリ市助役ピエール・ラバダンさん(左から2番目)。担当はスポーツ、オリンピック、セーヌ川
源流での聖火リレーの後、スピーチをするパリ市助役ピエール・ラバダンさん(左から2番目)。担当はスポーツ、オリンピック、セーヌ川

ラバダン氏の仕事のメンバーで、具体的に現地と密接にコンタクトをとりながら、プロジェクトを進めてきたスタッフの一人、フレデリックさんも源流に来ていました。その彼から私はこんな話を聞きました。

「源流域は当初、聖火リレーのコースには入っていませんでした。けれどもパリ市長アンヌ・イダルゴさんが強く希望したのです。『聖火がその近くを通るなら、是非、源流もコースに加えたい』と」。

人口65人、森の奥深くの村での聖火リレーはそのような経緯で実現したのです。もっとも、厳密に言えば、その場所もまたパリ市ではあるのですが…。

左から、源流の家に生まれ育ち、両親から譲られたその家を守り暮らしているマリー=ジャンヌさん、ピエール・ラバダンさん、ソースセーヌ村長のソフィーさん、ラバダン氏のチームで働くフレデリックさん
左から、源流の家に生まれ育ち、両親から譲られたその家を守り暮らしているマリー=ジャンヌさん、ピエール・ラバダンさん、ソースセーヌ村長のソフィーさん、ラバダン氏のチームで働くフレデリックさん

私はかつて、セーヌ川全流域を泳ぎきった男性の話を紹介しました。こちらの記事です。

セーヌを泳ぐ。パリ市長の息子が源流から河口まで全長780キロ達成(2021年8月発信)

記事のタイトルにある通り、挑戦者はパリ市長の息子さんでした。

今回、パリ市長が是非とも源流に聖火をと希望したのは、単なる思いつきではない、と私は思います。

息子の出発の前夜、彼女は公人ではなく挑戦者の母親として実際にこの地を訪れ、源流域に一軒だけある家に泊まり、土地の空気を呼吸し、生まれたての水の流れを見ました。

そして、源流が太古の昔には聖域であったこと、19世紀にパリ市がこの土地を購入し、パリのビュット・ショーモン公園を設計したのと同じ建築家によって祠が築かれ、象徴的な場所になっていることを体感したはずです。

その経験があったからこそ、彼女は強い意志を持って、セーヌ源流での聖火リレーを希望したのだと思います。

源流の女神像の前で、アレクサンヌさん(右の女性・ディジョン在住)からエマさんへの聖火リレー
源流の女神像の前で、アレクサンヌさん(右の女性・ディジョン在住)からエマさんへの聖火リレー

イダルゴ市長の右腕であるラバダンさんは、スピーチの中でこのようにも言いました。

「セーヌ川。それは長いヒストリーです」。

漠として、けれどもとても含蓄のある言葉です。

現地時間7月26日夜、パリのセーヌ川はまさに世紀のイベントのスターとして全世界の注目を集めることでしょう。その華々しい光景の上流には、実はこのような、どこかおとぎ話のような世界もあるのです。

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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