【パリ五輪】気球の聖火台。夢とメッセージを乗せた挑戦
気球はどこへ行った?
パリオリンピック開会式のハイライトとして、皆さんさまざまなシーンを思い浮かべることでしょう。中でも聖火台が夜空に浮き上がった時、驚き、そして感動すら覚えたのは私だけではないのではないでしょうか。
さて、あの気球はどこへ行ったのでしょう?
ご心配なく。あの場所に今もちゃんとあります。
ルーヴル美術館から続くチュイルリー公園。つまりパリのまん真ん中と言える場所に気球の聖火台はあり、オリンピック期間中ずっと炎が絶えることはないはずです。
水と電気の「炎」
とはいえ、この聖火は、私たちがイメージする火の炎ではありません。
水と電気によって作られている画期的な聖火なのです。
輪の形をした聖火台は直径およそ7メートル。そこに、400万ルーメン相当の光出力を持つ40個の投光器と200個の高圧ミストノズルが設置されているのだそうです。
霧状の雲を出現させたところに強力な光を当てることで、生き生きとした温かみのある炎を作り出すという、門外漢の筆者にとっては、なにか途方もない技術に思えます。
この触れても火傷しない炎は、パリオリンピックのプロジェクトとして、Électricité de France (フランス電力。通称E D F)のチームがおよそ3年がかりで開発したと言います。
聖火はまた、化石燃料を使わない炎でもあります。
地球温暖化の時代、これにはとても強いメッセージ性があります。今回のオリンピックは現代社会への提言がさまざまな形で盛り込まれていることを感じます。この水の炎の聖火台もまたかなり象徴的。開会式の舞台はセーヌ川でしたが、聖火台のテーマもやはり水。そして電気なのです。
空に浮かぶ聖火台
日中、気球の聖火台は公園の噴水の上に設置されていますが、日没と共に気球は地上60mの高さまで上昇し、夜中の2時までパリの街を見下ろしています。
燃料が水と電気の炎というだけでも驚きですが、それが宙に浮くとはまさに前代未聞のこと。誰かがこんなアイディアを口にしたら、「ちょっと頭おかしいんじゃない?」と言われるくらい、突拍子もないことに違いありません。
けれどもその奇想天外な発想は一蹴されることなく、挑戦する価値のあるものとなりました。
デザインは、トーチと同じデザイナー、マチュー・ルアヌールさん。
気球本体の素材はアルミニウムで、航空工学の要件に匹敵する軽量、安全、完璧さを追求。しかも気球が空中に浮いている時であっても聖火台に高圧の電気と水を保証することができる技術も開発されたそうです。
最初は突拍子もないように思えたアイディアがひとたびこうして現実のものになると、それは多くの人に夢とロマンを与え、さらに、「夢は実現可能なのだ」というメッセージをも伝えてくれる気がします。
夢をあきらめなかったパイオニアの系譜
ところで、気球の聖火台がチュイルリー公園にあるのは、それがパリの真ん中だからという単純な理由からではありません。
人類が気球の有人飛行に初めて成功したのは1783年のこと。場所はフランス、パリでした。その最初の成功の数日後、まさに今チュイルリー公園があるその場所で、水素を燃料にガスで膨らませる気球が飛び立ちました。これらの快挙にパリっ子が唖然としたのは、ルイ16世とマリー=アントワネットの時代でした。
それからおよそ百年後には、フランス人のエンジニアによって発明された係留気球がやはりこのチュイルリーで披露され、大成功をおさめたそうです。
2024年7月、オリンピックの聖火、それも水と電気の炎を搭載した気球が上がったことも間違いなく、歴史の1ページを飾る快挙。その目撃者に私たちはなったのです。