ノートルダム 悲しみから再建へ
Bonjour la tristesse.(悲しみよこんにちは)
4月16日、ノートルダム火災の翌朝テレビをつけると、フランソワーズ・サガンの小説の題名としても有名な言葉から、ニュースキャスターのコメントが始まった。
主だったチャンネルは番組編成を変え、ニュース専門のチャンネルは一日中、大惨事を報道している。
どんよりとした雲が空を覆ったこの日、セーヌ河を挟んでシテ島を眺める右岸、左岸、そしてサンルイ島には、世界中のプレスがひしめき、パリっ子も旅行者もみな一夜にして変わり果てた大聖堂をカメラに、スマホに収めている。
火災の夜、ノートルダムのあるシテ島に通じる全ての橋は完全にブロックされていたが、翌朝になると通行止の範囲は縮小され、一般の立ち入り禁止区域でも、住人や仕事場のある人などは証明書を提示することで徒歩でのみ入れるようになった。ただし、大聖堂北側の通り沿いでは退去を余儀なくされた建物もある。友人の家は退去を免れてはいても、一般の立ち入り禁止エリア。証明書を提示して警察の検問を突破しなくてはならない。
午前10時頃、そのエリアに足を踏み入れる。すると、周囲の喧騒とは打って変わってあたりは静まり返り、まるで島が孤立してしまったよう。人の心と同じく、パリの真ん中にぽっかりと穴があいたかのようだ。
対岸(左岸、モンテベロ通り)で火災を見ていた時もそうだったが、匂いをほとんど感じない。蛇行する放水ポンプが火災の後を物語っているが、道そのものは清浄だ。
尖塔と屋根を失ってしまったノートルダム。だがしかし、二つの塔と石の骨格は以前と変わらずに力強くそびえ立っている。
次々に映し出されるニュース画像の中、廃墟と化した堂内で十字架が光を受けて立っていたのは文字通り、闇の中の光明。
大聖堂の宝物や絵画などの多くが対岸のパリ市庁舎に運び出されていたのも不幸中の幸いだった。
宝物の中には、キリストの荊の冠もあるが、それも無事だった。
しかし、崩落した尖塔のてっぺんには鶏の銅像があり、炎と90メートルの高さゆえ、これはさすがに焼失してしまっただろうと予想されていた。ところが、瓦礫の中から元の色のまま、形状がきちんと確認できる状態で発見された。
鶏はフランスの象徴、しかもこの銅像には荊の冠の棘が3つ収められていたというのだから、「奇跡」と連呼されるのも無理はない。
前夜、火の勢いは治まったものの鎮火には至っていない現場でマクロン大統領は言った。
Nous le batrirons, tous ensemble.
皆が一緒になって再建しよう。
そのあと、時間を追うごとに献金が増えていったのはご承知の通り。
フランソワ・ピノー氏のケリンググループ(グッチ、サン・ローラン、ブシュロンなどを所有)が1億ユーロ(約125億円)と名乗りを上げたのに始まり、ライバルのLVMHは倍の2億ユーロを、そしてやはりフランスを代表する企業のロレアルも2億ユーロと、いずれも巨額の献金を発表した。
一方、再建にかかる年月について言えば、どの局の報道でも数十年と報じていた。
建築に1世紀以上を要したモニュメントであること、また第一次世界大戦中に破壊されたランスのノートルダムの再建にはほぼ半世紀の歳月が必要だったことを考えれば、その数字は残念ながらもっともなことだろう。
(生きている間に、また美しいノートルダムを見ることはないのだ)
私を含め、多くの人がそう考え、消沈していたに違いない。
そして火災発生からほぼ24時間後、16日夜8時のマクロン大統領のテレビ演説に静かに耳を傾けた。
惨事に勇敢に取り組んだ消防士たちの活躍だけでなく、警察や関係者、報道などは仕事を通じて、また富の大小に関わらず献金を申し出た人々、心を寄せた人々、それぞれの立場で最善の行為をとったことをまず讃えた。
そして、これまでフランス人は常に建築者で、創造し、破壊された後にも必ず再建してきた歴史があり、「この惨事は皆が一つになれる機会と信じる」と語り、痛みと希望を分かちあいたいと結んだ。
それは外国人の私にとっても、感動的な演説だった。
ただ、「5年で再建する」と聞こえた時には一瞬耳を疑い、隣のフランス人の目を覗き込んだ。
それが聞き違いでないとわかると、信じがたい数字とは思いつつも、明らかに心が晴れるのを感じないではいられなかった。
5年後。つまりパリで100年ぶりのオリンピック、パラリンピックが開催される年に照準を合わせているのだ。
5年後に本当に再建が叶うのかどうか、それはまだ誰にもわからないし、短期間で行う再建の是非は大いに物議をかもすことになるだろう。
ただ、この時点で大事なことは、大多数の人が自分の物差しを重ねられる年数を国家元首が明言したことだと思う。
問題を先送りにせず、すぐさま行動に移さねばならないと誰もが考える数字。それによって、生きているうちに再び美しいノートルダムを見ることが夢ではないのだと、多くの人が希望を抱くことができる。
ノートルダムの鐘は沈黙し、イルミネーションも消えた。
だが、夜中の堂内からチラチラと漏れる明かりからは、再建へ向けた具体的な行動がたゆまず進んでいるのがわかる。
たゆたえども沈まず
セーヌの中州、シテ島から始まったパリの標語が、この町のいまの気運を見事に言い当てている。