【パリ】ノートルダムその後 ロックダウンで修復にブレーキ?
「そういえば、パリのノートルダムはいまどうなっているの?」
今日はその問いにお答えしたいと思います。
コロナ禍 火災後のノートルダム
2019年4月15日に発生した大火災から1年半以上が経ちましたが、その間、溶けて飛散した鉛への対応、2度のロックダウンなど修復工事にはたびたび大きくブレーキがかかりました。けれども現在、このコロナ禍にあっても毎日着々と作業が進んでいる様子です。
記事の終わりに11月のノートルダムの動画を添えました。
また、過去に公開した記事はこちらからご覧ください。
ノートルダムが燃えている(2019年4月16日)
ノートルダム 悲しみから再建へ(2019年4月19日)
新型コロナ《戦時下》のパリから ―外出制限5週目のレポート― 火災から1年後(2020年4月21日)
ノートルダム大聖堂その後 新設計コンペは行わず元のシルエットに復元(2020年8月13日)
8月13日付けの記事でもご紹介しましたが、今年とりかかっていた修復工程は、火災前にあった工事の足場を取り除く作業でした。
そもそも大聖堂では、尖塔の修復作業のために屋根の上におおがかりな鉄骨の足場が設けられていたのですが、火災で肝心な尖塔を失ったかわりに、足場だけが残ってしまいました。鉄パイプの数は4万ピース、総重量は200トン。それが火災の熱によって複雑に溶接されたような塊になって、地上40メートルのところにとり残されてしまったわけです。
この撤去作業は当初9月末までを目標にしていましたが、先日、11月24日にようやく作業が完了したようです。
崩落の危険と隣り合わせの作業
屋根が焼け落ちたところに残った不安定きわまりない巨大な鉄骨の塊。それが作業中に崩れて落下してしまっては大事故につながります。
現場の総責任者が新聞のインタビューに語ったところによると、「大聖堂崩落の危険はまだ存在する」のです。
鉄骨除去作業ではまず、新しく鉄骨の足場をかけました。そのうえで、焼けた鉄骨には安全ベルトを施し、上空に水平の鉄梁を設置。そこに固定したロープにぶら下がるようにして、作業員が焼けた鉄骨をカットしてゆきます。
そして、外された鉄骨は高さ80メートルのクレーンを使って地上に下ろすというもので、まるでアクロバットのような作業がパリの真ん中で日々繰り返されていたのです。
11月24日、作業完了の日には、女性の文化大臣ロズリン・バシュロ氏もクレーンの先のゴンドラに乗って現場を視察。作業にあたる人たちをねぎらいました。
次なる課題
とりあえず再建の足かせになっていたものが取り除かれたわけですが、今話題になっているのはコンテンポラリーアートを新しくノートルダムに盛り込むのかどうかということです。
尖塔はかつてと同じように再建されるという決定は過去記事でお伝えしたとおりですが、大聖堂の内部に新しいデザインを採用するのかどうかということがいま議論されています。
たとえばステンドグラス。あの有名なバラ窓は大火災でも無傷でしたので、再建完成の暁には、ふたたびあの美しいステンドグラスが見られることは確実です。ですが、それ以外で被害を受けているものについてはどうなるのか…。
ちなみに、フランスの歴代の王様の戴冠式が行われたランスの大聖堂。これもパリの大聖堂と同じくゴシック建築の粋を極めたもので、世界遺産に登録されていますが、第二次世界大戦で爆撃され、再建されています。
その際、あらたにシャガールのステンドグラスなどが取り入れられたのは象徴的で、果たしてパリのノートルダムでもそういったことがあるのかないのか、という議論です。
今のところステンドグラスについては、かつてあったのと同じように修復して伝統文化を継承するという方針を文化大臣が表明しています。
ただし、内陣の細工やオブジェなどについてはまだまだ議論の余地がありそうですので、今後もなにかと話題になるのではないかと思います。
いずれにしても、パリオリンピックが予定されている2024年に修復完成という目標は依然として保たれていますので、おおいに期待しつつ、工事を見守ることにしましょう。