【国富町】この古墳、下積み1900年:剣柄稲荷神社を支え続ける縁の下の力持ち
《本庄古墳群シリーズ》
( 2 ) 38号墳 (剣塚古墳)
毎年8月に開催される夏祭りで有名な剣柄稲荷神社ですが、古墳の上に鎮座していることでも知られています。今回はこの神社を約1900年近く支えている本庄古墳群38号墳、そして神話や神社との関係の謎について紹介します。
・神社が先か、古墳が先か:神話の謎
38号墳が造られた正確な時期は不明ですが、本庄古墳群全体は4世紀後半から6世紀にかけて造られたとされています。一方、この古墳の上に建つ稲荷神社は、一般には約1900年前、すなわち2世紀に建てられたと言われています。しかし、これでは古墳よりも神社が先に建てられたことになります。
この問題のポイントは、この神社が建てられたとされる景行12年が西暦何年に当たるのか、という点です。いくつかの解釈の中で、それは4世紀(西暦349年)とする説があります。これだと古墳と神社の建てられた時期がほぼ一致することになります。
ただ、日本書紀、紀年論が絡んだとても難しい話で、突き詰めるとこれだけでこの記事が終わってしまいます。なので、これ以上深く考えないことにしましょう。ここでは「1900年前に38号墳の上に稲荷神社が建てられた」ということで話を進めていきます。ただし、正確な年代については諸説あることをご了承ください。
・本庄古墳群38号墳(剣塚古墳)
全長56mの前方後円墳ですが、前方部(四角い部分)はほとんど削られて残っていません。丸い丘の上に神社が建っているという感じです。
古墳にまつわる数々の伝説
案内板によると、さまざまな伝説が残っているようです。その中の一つ、ヤマトタケルの話について、現代風に書いてみました(日本書紀ベースに脚色しています):
神話と伝説の時代。景行天皇は、息子のヤマトオグナに、川上タケル(かわかみのたける)率いる抵抗勢力の討伐を命じました。この時、オグナはまだ15、6才。彼はその命を受け、敵の地へと向かいます。
彼がアジトの洞窟に行くと、その周辺は鉄壁の警護で固められており、容易に突破できるとは思えませんでした。そこで宴が開かれることを聞きつけたオグナは、それまで待つことにしました。やがて宴が開かれると、オグナは女装して紛れ込みます。
タケルはオグナを見て、その美しさに目を奪われました。
「おい、そこの女!こっちに来て酒を注げ!」
そう言ってオグナを横に添わせ、酒盛りを続けます。タケルは次第に酔い、完全に油断しています。その機を逃さず、オグナは短剣でタケルの胸を一突きします。タケルは地面に崩れ落ちました。
そしてタケルは息を引き取る前、オグナの強さに敬意を表して、こう言いました。
「まさか俺より強い男がいるとは……これからは俺の名…タケルを名乗るとよい……」
ヤマトタケル(日本武尊)誕生の瞬間です。
このとき使われた剣の柄がこの38号墳に埋められていると言われてます。剣塚古墳、剣柄稲荷神社の名前はここからきています。
なお、川上タケル(梟帥)は日本書紀での名前。古事記ではクマソタケルとなっており、物語も少し違います。古事記でのヤマトタケルは少し猟奇的で、タケルから名をもらった後、とどめとばかりに縦に真っ二つに切ってしまいます……
古墳を周る:南・東・西の表情
では、さっそく古墳を見てみましょう。
南側
神社の入り口。やはり鳥居からスタートしたくなります。階段が境内へと続いてます。この写真だと完全に神社の写真ですが、右に進むと……
「三十八号」と書かれた標識柱があります。間違いなく38号墳です。
東側
日当たりが良く、古墳の全体像が良くわかります。なんとなく古墳らしさがあります。
西側
東側と対照的に木が覆い茂り、森の中という感じです。西と東、陰と陽。どちらも魅力的です。木々が神社を取り囲み、結界を張っているようにも見えます。
今度は稲荷神社から見てみましょう。
境内から
それほど高くなないものの、急な勾配なので、ダイナミック感があります。
・剣柄稲荷神社
神社への階段。数年前に左足を骨折したとき、初詣で松葉杖を使ってこの階段を登った思い出があります。意外とすんなり登れた記憶があります。むしろ降りるのが大変でした。
この色が美しいです。
うつ伏せの男が!
境内には樹齢700~1000年近くの大きなクスノキがあり、その前には看板が建てられています。
それによると、木の根っこで、たくましい男の人がうつ伏せをした形があり、それを探してくださいとのこと。頭を撫でて不老長寿を祈りましょうとも書いてあります。もちろん家族で探しました。
ひょっとして……これでしょうか?
多分これだ、ということにして、頭を撫でてみました。もし違ったら……別の方法で長生きすることにします。
・38号墳は周りから眺めて堪能するタイプ
以前紹介した34号墳は実際に墳丘に立って、古墳であることを実感しましたが、38号墳は周りから眺めて実感する古墳です。剣柄稲荷神社に来た際は、神社を支え続けているこの古墳を、よ~く眺めてみましょう。神さまだけでなく、38号墳のことも感謝してあげると古墳も喜ぶでしょう。1900年間、ひっそりと縁の下の力持ちを続けているのですから。
取材協力:
中野正裕様 (くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
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