【国富町】旧石器時代から現在まで発見の宝庫~国富町総合文化会館で歴史を巡る旅
2024年8月3日と4日に歴史ある本庄稲荷神社夏祭りが開催されます。その前に国富の歴史を知りたいと思い、国富町総合文化会館に行ってきました。総合文化会館は国富町役場の敷地内にあります。存在は知っているけど訪れたことはない人が多いのではないでしょうか?私も初めて訪れました。
・歌舞伎人形と出会うはずが
まずは今回の目当ての一つ、等身大の六日町歌舞伎人形のブースへ。江戸時代から作られていたという歌舞伎人形は歌舞伎の名場面を再現しています。現在も六日町伝統歌舞伎人形保存会によって作り続けられ、祭りでは会場周辺に飾られるそうです。さて、見てみようと思ったら……ありません!
祭りも近くなり、持ち出されているようです。空のブースも考えようによっては貴重な光景です。小さい人形は展示されていたので、こちらは写真に収めることができました。祭り本番ではどのように人形が使われるのか、まだ分からないとのこと。当日が楽しみですね。毎年、お祭りで披露された歌舞伎人形は、その後1年間文化会館に展示されるようです。
これで帰るのはもったいないし、興味深いものがたくさん展示されていたので、いろいろ見て回ることにしました。職員の長友さんが一つ一つ丁寧に説明してくれました。
・旧石器時代から近代まで
国富町は古墳で有名ですが、実は旧石器時代までさかのぼる豊富な遺物が発見されています。ここで日本の古代の時代区分を簡単に振り返ってみましょう。
- 旧石器時代:約3万年前~紀元前14000年頃
- 縄文時代:紀元前14000年頃~紀元前10世紀頃
- 弥生時代:紀元前10世紀頃~3世紀中頃
- 古墳時代:3世紀中頃~7世紀頃
となっています(諸説あります)。
旧石器時代は今から1万年以上前にさかのぼるため、古墳時代はごく最近のように感じられてしまいます。この時代区分を見ると、発掘された遺物がいかに日本の長い歴史を物語っているのかがよく分かります。
・注目の展示物
興味深いものがたくさん展示されていますが、その中のいくつかを紹介します。
打製石斧(だせいせきふ)
旧石器時代、土を掘り起こしたりするのに使用されたそうです。最初見たとき、武器かと思いました。しかし日本で人間同士が土地を巡って戦争を始めたのは、ずっと後の弥生時代に入ってからです。
埴輪
古墳の多い国富。埴輪も展示されています。写真はよく知られる人形型ではなく、円筒の埴輪です。古墳に並べて置かれ、亡くなった方の権力を誇示する意味もあったとか。故人の指示だったのか、古代人が自分たちの意思でそうしたのか分かりませんが、どちらにしてもドラマを感じます。
長友さんの話によると、農作業や建物の建設工事中に、地中にあった穴に落ちて偶然発見された遺跡も多いそうです。ちょっとしたアクシデントで発見されることもあるんですね。
べし見能面
室町時代に作られたこの能面は、祈祷の際に使われたものです。医学が発達していなかったこの時代、病気で亡くなる人は多かったはず。祈祷によって病魔を追い出すという考えは当時としては自然なものだったでしょう。
顔無し仏像
いくつか顔がくり抜かれた仏像があり、衝撃的でした。明治時代、仏教を排斥しようとした廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の政策の痕跡です。
鎖帷子(くさりかたびら)
侍の時代、これを兜の下に着て戦っていたのでしょう。多くの兵士は平和に過ごしていた農民が無理やり駆り出された人たちでした。家族もいたでしょう。本当は戦いたくなかったのではないでしょうか。
写し霊場順道図
写し霊場とは四国の八十八箇所などの巡礼地に倣って作った霊場です。指定された札所を巡礼することで、本場の八十八箇所を巡った時と同じご利益が得られると言われています。江戸時代、本庄の各庄屋たちは巡礼地から札所に埋める土を持ち帰り、本庄に八十八箇所の写し霊場を作ったそうです。
・身近だからこそ、知らないことがたくさん
いかがでしたか。歌舞伎人形を見るために訪れたのに、国富の長い歴史を体験できました。これも長友さんの丁寧な説明があったからこそです。一つ一つの展示物について説明もしてもらえます。展示物から当時の人たちの物語を感じ取ることができます。ぜひ足を運んでみて、国富の長い歴史を感じ取ってください。
国富町総合文化会館
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄4820 (国富町役場敷地内)
電話番号:0985-75-3111
開館時間:9:00~17:00
入館料:無料
休館日:毎週月曜日、年末年始 (12月28日~1月4日)
※都合により臨時休館することがあります。
駐車場:役場併設の駐車場を利用
WEB:国富町役場