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【国富町】子どもたちを見守る4基の古墳~小学校を囲む28~31号墳が伝える古代の風

omi地域ライター/パフォーマー (綾町・国富町・西都市)
31号墳(京塚)

《本庄古墳群》

( 8 ) 28号墳(前堀塚)、29号墳(下長塚)、30号墳(濵の面塚)、31号墳(京塚)

28、29、30、31号墳の4基は本庄小学校を囲むように立地しています。もちろん古墳が先にあったので、古墳の間に後から小学校が建てられました。

本庄小学校敷地 引用画像:GoogleMap
本庄小学校敷地 引用画像:GoogleMap

・28号墳(前堀塚)

前方後円墳で、校庭の東南側に隣接しています。南側はかつては畑だったようで、それが堀のように見えたために、前堀塚という別名がつけられたと考えられています。

北側からの風景
北側からの風景

墳丘から
墳丘から

左上のネット裏に30号墳
左上のネット裏に30号墳

住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄 (地図)

・29号墳(下長塚):円筒埴輪が出土した古墳

全長約60mの前方後円墳。校庭の東北側に隣接しています。

後円の墳丘から前方部の光景
後円の墳丘から前方部の光景

この古墳からは円筒埴輪の一部が採取され、国富町総合文化会館に展示されています。円筒埴輪は古墳に並べて置かれ、亡くなった方の権力を誇示する意味があったとされています。

国富町総合文化会館に展示されている円筒埴輪
国富町総合文化会館に展示されている円筒埴輪

円筒埴輪については、以前の記事も参照してください。

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【国富町】旧石器時代から現在まで発見の宝庫~国富町総合文化会館で歴史を巡る旅

住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄 (地図)

・30号墳(濵の面塚):校庭内にある古墳

校庭のネット裏にある円墳です。長い年月を経て周りを削り取られているため、原形は不明です。削られた部分は現在、校庭の一部となっています。

古墳前の傾斜した木々が不思議な印象を与えます
古墳前の傾斜した木々が不思議な印象を与えます

墳丘に標柱が建っています
墳丘に標柱が建っています

墳丘から見た光景
墳丘から見た光景

住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄 (地図)

・31号墳(京塚):おそらく円墳

学校の北側、小学校講堂に隣接しています。小学校講堂建築のため南側を、旧町役場建築のために西側を切り取られたため、原形をとどめていません。円墳とされていますが、これは古い記録からの推察です。南北約35mの古墳ですが、本来はもっと大きな円墳だったのではないかと言われています。ちょっと残念ですね。

左奥に講堂が見えます
左奥に講堂が見えます

墳丘の大きな木が印象的です
墳丘の大きな木が印象的です

墳丘から見える綾川総合土地改良区の敷地
墳丘から見える綾川総合土地改良区の敷地

地下式横穴墓(ちかしきよこあなぼ)

31号墳は南九州特有の地下式横穴墓です。地面に竪坑(たてこう)と呼ばれる縦穴を掘り、そこから横に玄室(埋葬スペース)を作る構造が特徴です。通常、地下式横穴墓には墳丘がないのですが、31号墳を初めとする本庄古墳群のいくつかは、珍しく墳丘を持つ地下式横穴墓として知られています。

地下式横穴墓の構造図
地下式横穴墓の構造図

一般的な横穴式古墳の構造図
一般的な横穴式古墳の構造図

住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町本庄4056 (地図)

・幼いころから古墳と共に

本庄小学校の児童たちは6年間、4基の古墳と共に学び、遊ぶという貴重な環境で育ちます。幼いころから古墳を身近に感じ、学ぶことことで、国富が古墳の町であることを意識していくのでしょう。残念なのは4基とも都市開発の際に多くを削り取られてしまったこと。子どもたちには本庄古墳群が貴重であり、国富の誇りであることを、大人になっても忘れないでほしいですね。その意識が古墳の保護につながると思います。なお、駐車場は無いので、周辺駐車場をご利用ください。

※一連の写真は、本庄小学校より撮影許可を頂いています

取材協力:中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)

地域ライター/パフォーマー (綾町・国富町・西都市)

札幌のすすきの周辺で生まれ育ち、新宿、ニューヨークなど喧騒の場所を転々とする。2017年12 月、新宿に別れを告げ、自然を求めて宮崎県綾町に移住。その瞬間、第一子を授かる。仕事の傍らバンド、そしてタップダンス、パントマイムの舞台活動を行っていたが、現在は活動休止中。身近の知ってそうで知らない情報をお届けしていきます。

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