【国富町】26号墳に宿る商人の祈り:古墳、金刀比羅神社とワニの意外なつながり
《本庄古墳群シリーズ》
( 3 ) 26号墳 (てんのづか古墳)
26号墳はその上に金刀比羅神社が建っており、同じく剣柄稲荷神社を抱える38号墳と同様に、下積み系古墳です。しかし、背景や歴史はかなり異なります。そして、古墳自体に圧倒的な存在感があります。
ここでは前半で古墳全体を、後半で金刀比羅神社の背景、そして最後に「金刀比羅(こんぴら)」のワニ由来の語源についてお話ししましょう。
・26号墳は曲線の美しい前方後円墳
26号墳は全長約63m、高さ約6mの前方後円墳。ほぼ完全な形で残っていて、美しい古墳のフォルムをしっかりと見ることができます。
前方部には金刀比羅神社が建っています。位置関係はこのようになります。
それでは周囲を周ってみましょう。前方(四角い部分)には金刀比羅神社が見えます。
前方と後円の間あたりに神社への階段があります。
円墳側です。墳丘が盛り上がっています。両側の木がツノみたいです。
階段を上り、墳丘に行きましょう。
階段を上ると前方(古墳の四角い部分)側に入ります。これが金刀比羅神社の境内になります。
金刀比羅神社です。ひっそり建っている感じがします。
次に、円墳側に行ってみましょう。
ここから見える神社側は、なだらかな傾斜が美しい。木々が境内を守る結界のようにも見ます。
円筒埴輪
26号墳からは円筒埴輪が見つかっています。円筒埴輪については国富総合文化会館の記事で紹介していますので参照してください。
・金刀比羅神社:その起源は遠くインドに
26号墳が造られてから、約1000年後。江戸時代に創建された金刀比羅神社。一体どんな神社なのでしょうか?
江戸商人の信仰
江戸時代、国富の本庄六日町は商業の中心地として栄えていました。特に和泉屋は、地元の上質な和紙を京や大阪で販売し、莫大な富を築きました。
和泉屋の財力を示す一例として、千石船を3隻も所有していたと言われています。千石船とは全長30m程の大型荷船で、26号墳の半分くらいです。150トンほどのコメを積めたと言います。和泉屋にとって、船による和紙の輸送は生命線でした。そのため、航海の安全を祈願する金刀比羅神社が建立されたのです。なぜ26号墳の上に建てたのかは分かっていません。
航海安全とワニの意外な関係
金刀比羅(こんぴら)さまとは航海安全のご利益がある神様として知られ、ヒンドゥー教の水の神クンビーラ(Kumbhīra)に由来しています。クンビーラは古代インド語(サンスクリット語)でクロコダイルを意味し、ガンジス川の女神ガンガーの乗り物とされています。日本の航海安全の神が、インドのワニ神に由来するという意外な繋がり。ワニと航海安全、直接は結び付かないですが……
・古墳とワニ:意外な連想
強引に連想してみると:
26号墳→金刀比羅神社→航海安全祈願→水の神→ワニ
となります。古墳とワニ。古墳や神社のイメージを壊してしまうでしょうか?あながちそうでもないと思います。昔の日本人はワニを見たことがないので、川に住む神様や龍だと思ったそうですから。
・庶民的な古墳の魅力
38号墳の上に建つ剣柄稲荷神社は神話の時代の神秘的な雰囲気を持っています。一方、金刀比羅神社は現実的で庶民的な魅力を持っています。そしてちょっと控えめな38号墳に対し、存在感ある26号墳。色々対照的です。
同じ神社を支える古墳でも、そこにつながる物語が違います。古墳の上から、たくさんの和紙を積んで出航する船を想像してみて下さい。今は江戸時代……古墳の上から商人と一緒に航海の無事を祈りましょう。
取材協力:
中野正裕様(くにとみ史跡・文化ガイドの会会長)
金刀比羅神社
住所:〒880-1101 宮崎県東諸県郡国富町大字本庄4441番地ロ号
電話:0985-75-2259
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