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大人の日帰りウォーキング ひとり旅を変更して夫と一緒に歩く旅 歩き始めて準備不足に気付いた妻の反省

わか子ライター

残り数カ月で定年になる良人と専業主婦で四捨五入すると50歳と言い張る由美子夫婦は、街道ウォーキングを始めることになった。
江戸時代に造られた五街道を歩きつなぐ街道ウォーキング。2人が歩く計画を立てたのは甲州街道。江戸東京日本橋を出発して、ゴールは甲州街道が中山道に合流する長野県の下諏訪宿にした。200kmをこえる距離になるけれど、焦らずに自分たちのペースで歩こうと思っている。

記念すべき第一回目のスタート地点の江戸東京日本橋。意気揚々を出発した良人と由美子は、日本橋より南西に向かって歩き始める。
日本橋を起点として南西に延びているのは東海道と甲州街道である。そして、日本橋を出発してすぐの交差点で、そのまま南西に延びていく東海道とわかれて甲州街道は北に方向を変え、江戸城の内堀沿いを進んでいく。

東京都日本橋
東京都日本橋

歩き始めて早々、良人は史跡の説明版を見つけた。
呉服橋門跡と書いてある。もともと、この辺りに江戸城の外堀があり、架かっていた橋を呉服橋と言ったとある。
今、通り過ぎた交差点の名前、呉服橋じゃなかった?
由美ちゃんの声を聴いて振り返る。交差点の信号に掛かれている名前を見ると、確かに呉服橋と書かれている。橋の名前が地名になって残っているのか。しかし、由美ちゃんよく見ているよな。
そのまま、まっすぐに国道20号である甲州街道を歩き進もうとして由美ちゃんに呼び止められた。
まっすぐでも良いけれど、ここを曲がると北町奉行所跡があるよ。
国道1号、20号である永代通りを信号で東京駅側に渡った。すると、由美ちゃんはそのまま進まず、少しだけ戻った歩道に入っていく。
迷いなく歩き進んで行く後ろ姿を眺める。由美ちゃん、事前に道を調べているなぁ。
遠山の金さんは実在する人物だったのね。1840年から三年間執務をしていたと書いているわ。
北町奉行所跡の説明版を読みながら、由美ちゃんはそう言った。その後、東京駅の地下街の方へと進んでいく。急いで自分も後を歩いた。
東京駅の地下街を抜けて丸の内に向かっているけれど、ここは国道20号ではないし…。

一般的に甲州街道と言われる国道20号を歩けば良いと思っていた。
途中で旧街道に入るのであれば、道路標識や説明版があると思い込んでいたけれど、そんなことはない。と、いうことか。
街道歩きは事前にある程度は調べておくということか…。由美ちゃんは、事前に道を調べてきたのだろうか。この様子なら、調べているよな。

大学生になった息子は何かと忙しいようで、夕飯はよし君と2人で食べることが多くなった。その日も夫婦二人で夕飯を食べていた。
街道歩きを始めよう。前回、歩いてからずいぶんたってしまったね。
突然、よし君がそう言ったので、私の口が勝手に動いた。
え、
まずい、声に出てしまった。「え、」に続いて、話の流れを気まずくならない流れになる会話を頭の中で必死に探した。しかし、心に素直な内容しか思い浮かばなかった。
よし君、楽しくなかったと思っていたわ。
少し、強い言葉だと思い心がチクッと痛む。しかし、前回よし君と2人で街道歩きに出かけたけれど、楽しくなかったと思っていたのは事実。少し、歩けばダラダラするし、疲れたアピールをするし、顔を見れば文句を言いたそうだったし。
いくら夫婦でも、あの日の私は気を使って疲れたよ。再度、心の中でつぶやいた。
その後、よし君に何も言われなかったので、ちょうど良いと思っていた。私、1人で楽しもうと、1人で歩く旅の計画していたのに。
それが、まさかの展開。一緒に街道歩きをするということ?
心の中の声は口から出ていないけれど、表情に出てしまっている気がする。とりあえず、笑顔だわ。私、笑って。

皇居 内堀
皇居 内堀

東京駅の地下街から地上に上がり、立ち並ぶビル街を抜けて皇居の内堀りに出た。皇居の内堀は国道1号と国道20号が通っている。国道1号は桜田門から分岐して横浜方面へ、国道20号は半蔵門からは新宿に向かっている。
内堀の水面には立ち並ぶビル群が映り込んでいる。江戸城の石垣を同時に眺めるその光景に、時代の移り変わりを感じた。江戸時代が終わって156年か。
日比谷交差点を曲がると日比谷公園で、ここには江戸城日比谷見付の跡の石垣が残っている。

日比谷公園の中を散歩しても良いけれど、今日は街道ウォーキングだから先に進もうね。
よし君はうなずいた。
法務省、警視庁、その向かいには江戸城桜田門。皇居ランナーが走ってきては桜田門の中に次々に入っていった

皇居 桜田門
皇居 桜田門

ここからは上り坂になるけれど、まだ歩き初めなのでペースを落とさずに歩ける。よし君の様子を見ると、ま、大丈夫そうだね。

国会議事堂、最高裁判所、国立劇場と続き、中学校の修学旅行で来たことを思い出す。
何年前になるのだろうか。かろうじて40年はたっていないと計算する。団体で見学したことしか記憶に残っていないけれど、歩いて移動できる近い場所にそれぞれの建物があったことをこの歳になってようやく知った。私、東京に住んで何年になるのか。
由美ちゃん、大学に入って上京したのだったよね。東京に住んで35年、36年ぐらいかな。
私、独り言を言っていた?
独り言?よし君は笑顔で言った。
いや、言っていないよ。あんまり珍しそうに建物を見ているから観光客にみえたよ。長く都内に住んでいてもこの辺りには来る機会がないからね。
そうだよね。
日本の中心である著名な建物を眺めていると、心があの頃にタイムスリップしていた。楽しかった頃を思い出していると、さっきまでの心の中のもやもやが流れていったように感じた。
だって、よし君。自分から街道歩きをしようと言ったのに道も調べていないから。私の心は乱れるよ。

皇居 内堀
皇居 内堀

私が街道歩きでは下調べとすると、言わなかったのが悪かったのかもしれない。
けれど、
言わないでも気付くと思っていたし、
もし、よし君が気付いていたのなら、私が道調べを確認するように念を押す言い方にもなりかねないよ。それも、失礼だし。

でもね、よし君もよし君だよ。それぐらい、気付いてよ。それも、思うよ。
わからない事は聞いてくれても良いのになとも思う。お互い様だけれど。
もうすぐよし君は定年だし、まだ働くと言ってもこの先は一緒にいる時間が増えてくるのは確かなこと。だとしたら、お互いにすれ違わないようにしないといけないのだろうな。

言葉で伝えるのって難しい。この歳になっても思う。仕方ないか。

今日の歩く旅はまだ始まったばかり。イライラしていても楽しくないだけだから、私の機嫌はなおさないと。こういう時にひとり旅の気楽さを感じるのだろうな。
ひとり旅か…。

皇居 半蔵門
皇居 半蔵門

江戸城半蔵門。
服部半蔵がこの辺りに住んでいたから半蔵門と言う説があると言う。江戸城から出た半蔵門の先には半蔵の部下が屋敷を構えていたことに加えて、甲州街道沿い一帯が旗本屋敷であったと言う。
改めて江戸城を見ると、半蔵門のあたりが高くなっている。江戸城が攻められた時、半蔵門から甲府へ避難する目的で造られたのが甲州街道。本来の意味での起点は半蔵門だろう。
江戸城から甲府に続く甲州街道。その先は信州下諏訪。先は長い。

朝9時30分に出発した良人と由美子、時刻は11時になろうとしていた。

ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

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