『不適切にも』荒ぶる純子の言葉はクドカンの思いか 後半は純子と渚、母娘が時間を取り戻す愛のドラマ
注目されたTBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』第6話。前話で自身と娘・純子(河合優実)が1995年に亡くなることを知った小川市郎(阿部サダヲ)は、1986年に戻るが、変えられない未来を受け入れ、純子とどう接するか、残された9年をどう生きるかに悩む。
第6話の時点では、不幸な未来を変えようとしない異色のタイムリープ・ドラマとなり、自身と娘の生の期限を受け入れて生きる、つらく切ない人間ドラマになっていた。
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投げかけられた昨今のバラエティへの宮藤官九郎の思い
一方、第5話で薄くなった、令和社会の当たり前への、昭和人の常識の投げかけは、しっかり戻ってきた。第6話では、令和の若者と昭和のおじさんがクイズ対決するEBSテレビのバラエティ番組収録で、市郎に連れられて令和に来ていた純子が、これまでの市郎の役回りになり、気持ちいいキレっぷりを見せた。
番組中に、若者文化にうとい父・市郎をバカにされた純子は、MCに「謝れよ。親父をバカにしていいのは娘の私だけなんだよ」とブチ切れる。慌てたディレクターが、時代遅れのおやじ世代を笑いつつ、若者世代の無知を笑いつつ、双方のカルチャーへの気づきと学びを深めつつ、古い価値観をアップデートするという番組テーマを説明するが、純子は「要するに“さらしもの”じゃん」と一刀両断。「どうせコケにするならおもしろくやれよ。笑えねえ。38年も経ってこんなもんなのかよ」と切り捨てた。
熱い気持ちを炸裂させて荒ぶる純子に、これまで暑苦しい昭和人の“不適切な言動”で令和人をどん引かせてきた市郎が、なだめ役にまわっていた。
純粋な昭和不良少女・純子のそんな姿も、彼女から投げかけられた言葉も、視聴者に強烈なインパクトを残したことだろう。そこには、昨今のバラエティに対する宮藤官九郎の思いが込められていたように感じる。
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切ない人間ドラマの側面が大きくなった後半
ミュージカルシーンでは17歳がテーマになり、「17歳だからドラマを真剣に受け止める」「おじさんが昔話をするのは17歳に戻りたいから。おばさんが昔話をするのは17歳には戻れないから」と歌っていたが、いまひとつ伝わらなかった気がする。ここに関しては、1〜2話がピークであり、回を経て少しずつ弱くなっているのも感じる。
ただ、もともとそういう構成に設計されているのかもしれない。第6話に入った後半から、ドラマ構成のバランスが変わっている。
未来は変えられないと、運命を受け入れて生きようとする市郎には、これまであふれ出ていた生気が消え、その表情からはつらさ、悲しさ、切なさがにじむ。
母である純子の運命を知る渚(仲里依紗)が、令和に来た自分の未来を知らない純子と一緒の時間を過ごそうとする姿には涙を誘われる。純子が令和にタイムリープしてきたことで年齢が逆転した母娘は、限られた時間のなかで、現実にはなかった人生を生き直そうとする。
そんな切ない人間ドラマの側面が大きくなった。
しかし、このままの流れで終わるクドカン脚本ではないことは誰もがわかっている。第6話からますます引き込まれた視聴者も多いことだろう。この先がさらに楽しみになった。
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