ガザ危機でできることは何か――「独自の立場の日本は橋渡しできる」の錯誤
ガザでの「戦争犯罪」すら指摘されるなか、国内ではTVコメンテーターなどが「日本は中東で手を汚したことがなく、宗教的にも中立的なのだから、和平の橋渡しができる」といった主張をしばしば展開する。しかし、そこには3つの錯誤があり、実際に日本ができることとかけ離れている。
「手を汚していない」か
何が錯誤なのか。第一に、日本が「中東で手を汚したことがない」と言い切るのは、ややバランスを欠く。
中東のほとんどは19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパ各国の支配下に置かれた。さらに冷戦期は二つの超大国が争う舞台となり、21世紀にはアメリカ主導の対テロ戦争の主戦場となった。
日本政府がこれらに直接関与したことはほとんどない。ただし、他国が中東で「手を汚す」のを黙ってみてきたこともまた確かだ。
例えば、2003年にアメリカが「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」という偽情報に基づいてイラクを侵攻した時、中東だけでなく一部のNATO加盟国を含む多くの国が反対するなか、ごく一部の国だけこれを支持した。日本はそのなかに含まれていた。
パレスチナに関していえば、日本は1973年以来、公式にはイスラエルによる占領政策(これがパレスチナ問題の核心なのだが、日本ではスルーするメディアが多い)に反対してきたが、その建前が実態をともなわないことも珍しくない。
例えば10月7日にハマスが大規模攻撃を仕かけ、イスラエル民間人の死者が1300人を超えた時、日本政府は翌日「強く非難」した。
ところが、2014年7~8月にイスラエルがやはり大規模な越境攻撃を行い、パレスチナ側で2000人以上の民間人が死亡した時、外務省から公式コメントはほとんどなく、エジプトの仲介で停戦合意が結ばれた後の8月29日にやっと「停戦合意を歓迎する」と述べるにとどまった。
要するに、日本は直接「手を汚して」なくても、同盟国アメリカ、そしてその支援を受けるイスラエル寄りのスタンスが目立つ。
「中立=仲介役に適している」か
第二に、「因縁が薄いから仲介できる」とはいえないことだ。
日本はイスラーム世界と十字軍以来の対立の歴史がある欧米と、少なくとも宗教対立に関して立ち位置が違う。また、日本の石油輸入の多くを依存するアラブ諸国と目立った対立を抱えていないことも確かだ。
ただし、仮に日本が中立だったとしても、「だから橋渡しできる」とはいえない。
多くの歴史が示しているのは、紛争当事者の橋渡しをできるのは決して中立的ではないがその問題に深く関わっている国が多い、ということだ。
パレスチナ問題に関していえば、キャンプ・デービッド合意(1978年)やオスロ合意(1993年)など、大きな転機になった和平合意のほとんどはアメリカが仲介した。イスラエルに最も影響力を行使できるのがアメリカだからだ。
イスラエルを支援してパレスチナでの戦闘を加熱させてきたアメリカ自身が仲介役を務めてきた、という点に国際政治の逆説がある。
中東以外でもほとんどの場合、紛争終結のための働きかけに当事者が耳を貸すかどうかは、中立的かどうかより影響力を発揮できるかどうかにかかっている。
むしろ、深く関わっていない国が白騎士のように和平をプロモートできた事例は、大学やNGOといった民間ベースの交流をもとにオスロ合意の下準備をしたノルウェーのようなごく一部の例外だけだ。
この観点からみると、日本はイスラエルともアラブ諸国ともそれなりに良好な関係を維持しているが、一部のコメンテーターがいうほど深いつき合いではない。
例えば、中東最大の産油国サウジアラビアとの取引高で日本は先進国中最大だが、中国やインドには及ばない。
さらに日本の場合、中東産油国との交易には大幅な輸入超過の構造が定着していて、石油購入以外の取引は限定的だ。グローバルな資源取引が「売り手市場」になっている以上、大顧客であることの影響力はたいして見込めない。
一方、対イスラエル貿易に関してIMFの統計をみると、日本(2022年)は約23億ドル程度で、アメリカ(約282億ドル)を含むG7で最小規模であるばかりか、冷戦時代からパレスチナを支持してきた中国(約177億ドル)やインド(約65億ドル)と比べても小さい。
とすれば、ガザ危機が深刻化するなか上川外務大臣などが周辺国首脳と相次いで会談しているが、「日本のいうことだから耳を貸そう」となる政府がどれだけあるかは疑問だ。
「本気だせばできる」の夢想
ここまでの2点は能力の問題だったが、最後の1点は意思の問題だ。
そもそもこれまで海外の紛争で日本政府が実質的な仲介役を果たそうとした(形式的「やってます」アピールを除き)ことはほぼ皆無だ。
日本政府は深刻な人権侵害などがあっても外国の問題にかかわらない「内政不干渉」を外交の柱にしているからだ。
パレスチナの場合、先述のように日本政府はこれまで「イスラエルの占領政策に反対」と表明してきたが、原則論はともかく具体的な事案に関しては、重要な役割を果たそうとする意思をほとんどみせてこなかった。
ガザ危機に関していえば、日本政府は欧米各国とともに「イスラエルの自衛権」を支持している。人道危機が深刻化するなかでこれを強調することは事実上「イスラエルをあえてひき止めない」といっているに等しい。
さらに、日本政府はほとんどの欧米諸国と同じく、ハマスを「テロ組織」に認定してきた。イスラーム各国でハマスは「イスラエルによる植民地主義的な占領からの独立を目指す武装組織」と位置づけられていて、アルカイダや「イスラーム国(IS)」とは識別されている。
つまり、建前とは裏腹に、実際にはイスラエルの占領政策を既成事実として追認する傾向が強い。
政府がパレスチナ問題解決に取り組む意思をほとんどみせていないのに、「橋渡しできる」というのは、不勉強で成績が悪いのに「本気出して勉強したら100点とれる」というのと同じくらい意味がない。
火事は消せないが
ただし、日本がこれまで全く何もしてこなかった、とまではいえない。
この数年、それ以前に増して緊張の高まっていたパレスチナに日本は援助額を増やしており、世界銀行の統計でみると、2021年には約9000万ドルで、先進国中ドイツ(約3億ドル)に次ぐ規模だった。
また、ガザ危機を受けて10月24日、外務省は国連を通じた1000万ドルの緊急支援を決定した。
つまり、日本政府はパレスチナでの対立や戦闘を止める力も意思もないが、紛争の悪影響を受ける人々への支援は行なってきた。
これを「イスラエルによる占領政策追認の埋め合わせ」とみることは可能だ。また、アメリカに対するパレスチナの反感を和らげるための側面支援といった意味もあるだろう。
とはいえ、良くも悪くもここに日本らしさを見出せる。
つまり、争いの根本原因の解決といった政治問題に踏み込むことはしないし、できないが、非政治的な人道支援ならどこからも文句が出にくいので活動しやすい。
それは地味かもしれないが、どんな動機づけであるにせよ、少なくとも日本にできることであると同時に数少ない実績でもある(ウクライナと違って難民受け入れの話が寸毫も出てこないといった限界はあるが)。
これを抜きに「中東で手を汚したことがなく、宗教的にも中立的な日本には、停戦実現のために果たせる役割がある」と主張するのは、実態をほとんど踏まえていないものと言わざるを得ない。メディア受けはいいかもしれないが。