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完売率90%超え! “山里亮太を作った男”スラッシュパイル片山のマネジメント的お笑いライブの作り方

てれびのスキマライター。テレビっ子
「スラッシュパイル」片山勝三代表(撮影:倉増崇史)

現在、東京近郊では毎日のように多種多様なお笑いライブが開催されている。

テレビでは芸人たちの活躍の場が広がる反面、その人材の硬直化、高齢化が問題視されている。一方、ライブ界では、テレビとは一味違うお笑いが広がっている。昨今、テレビでも話題を集めている「お笑い第7世代」の勢いもあり、若手から中堅まで人気・実力を備えた芸人たちがひしめき合い、多くの観客を集めているのだ。

その中で一際異彩を放っているのが、今年で設立丸10年を迎えた「スラッシュパイル」だ。

若手のネタライブが多いライブシーンの中、スラッシュパイルは、テレビ番組化もされた「言語遊戯王」、「共感百景」など企画性の高いライブを数多く手がけている。また、「ケンコバと杉作」や「山内と能町の流行語」といった異色の組み合わせのライブ、内村光良やバカリズムらの単独ライブも制作している。

その代表である片山勝三さんは吉本興業の元マネージャーという経歴の持ち主。そんな彼がどのようにお笑いライブの世界に入り、利益の上がりにくいお笑いライブでいかにして生き残ってきたのか、話を伺った。

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山里が「売れる」と確信した瞬間

関西生まれで高校・大学の頃にダウンタウンに衝撃を受けた片山勝三は自然と「お笑い=カッコいい」という意識が芽生えていた。「お笑いといえば吉本興業」だと思い、1997年にマネージャー志望で吉本興業に就職した。

最初は今はもうないんですが渋谷公園通り劇場という、スパルタ社員が揃った地獄のような劇場の担当からスタートしました。若手育成の劇場だった銀座七丁目劇場とは違い、企画モノを多くやっている劇場で、小堺一機さんやゆずのような吉本興業以外の方たちも出演されていました。僕が入った頃は坂田利夫さんと大人計画のライブ(松尾スズキが作・演出の「なついたるねん~アホの坂田の東京放し飼いライブ」)もやってましたね。僕はその中で若手育成のライブを中心にやっていました。やっぱり芸人さんと向き合いたいという思いがずっとあって、自分が吉本興業で結果を出すということは、“人を残す”ことだと思っていたので、ライブを回すというより、マネジメント目線で取り組んでいた気がします。

入社2年目で念願のマネージャーに。担当したのはいきなり今田耕司だった。

なかなかのプレッシャーでした。今でも、今田さんを見たら緊張しますもんね。僕のタレントさんへの接し方というのは、今田さんのマネージャーを経験したことが大きく影響していると思います。芸人さんに仕事上必要以外なことで自分から話しかけるというのは畏れ多いんです。芸人さんにはそれぞれのリズムがありますから、それを僕が喋りかけることで壊したくない。そういうある一定の距離感を置く緊張感みたいなものは、大事じゃないかと思うんですよ。だから僕は、よっぽど親しくない限り、1年目の芸人であろうと全部敬語で喋ります。なあなあで仕事したくないんです。

今田耕司(写真:森啓造/アフロ)
今田耕司(写真:森啓造/アフロ)

その後、極楽とんぼ、麒麟、キングコングなどのマネージャーを歴任する。

経験を積んでいくにしたがって意識し始めたのは、マネージャー自身がものをつくれるわけでも考えられるわけでもないのだから、「人と人との出会いをつくる」のが自分の仕事だろうと。優秀なディレクターさんがいると聞いたらすぐに会いに行って「どうですか?」と営業ばかりしてました。どれだけ優秀な人との出会いをつくれるか、と。

仕事はまずその芸人さんに合うかどうかで考えてました。今田さんにとっては良くない仕事でも、極楽とんぼにとってはいい仕事かもしれない。お金で判断したことは一回もなくて、その芸人さんにとってメリットがあるかどうか、芸人という生き方をしている人がやっていいものかどうか、そういう目線で判断をしてました。

当時無名だった南海キャンディーズを劇場で見た片山は、その才能に惚れ込みマネージャーになることを直訴した。山里亮太は事あるごとに片山のことを「恩人」だと口にし、「僕を作ってくれた男」とまで評している。

初めて劇場で彼らを観た時に、山ちゃんのボキャブラリーの豊富さ、しずちゃんに対するツッコミ方、今までにない漫才の形に衝撃を受けたんです。何より、テンポがすごくテレビ的な感じがして、ひな壇に座って司会者に振られても、スパーンと返している絵が浮かんだんです。いずれはMCができる人になっていくだろうし、歳を取るにつれて、政治経済も語れるような位置を目指してもいいんじゃないか。そういう風に「50歳までのプラン」を話したのは覚えてます。

南海キャンディーズは、2004年の『M-1グランプリ』決勝に進出しブレイクしたが、翌年の決勝では最下位に沈んでしまう。だが、片山はその時にもう一段大きく「売れる」と確信したという。

正直、どう山ちゃんを迎えればいいんだろうと悩みながら渋谷に飲みに行ったんです。そしたら、女性の店員さんが、お盆を持って帰る時に、わざわざ一回戻ってきて「あれ? さっき最下位の人?」って話しかけてきたんですよ。僕はこの時、「いける!」って思ったんです。山里は、こういうイジられかたをされる愛嬌を持っているんだと。その一瞬にすべてが集約されていると思ったんです。そこで「売れた。いける!」って本人にも言いましたもん。

南海キャンディーズの山里亮太(写真:つのだよしお/アフロ)
南海キャンディーズの山里亮太(写真:つのだよしお/アフロ)

マネージャー目線のライブ運営

片山は35歳の頃、マネジメントを離れ、別の部署に異動になった。まだまだ若く現場で笑いにどっぷり漬かりたいという思いが強かった。大好きな吉本興業を辞めるのか悩んでいるさなかに手がけたのが、なるみがヨーロッパ企画と組んだ舞台「ケセラセラ日和」(作・演出:永野宗典)だった。

ヨーロッパ企画の方たちもものづくりに純粋に一生懸命で、それがすごく楽しかったんです。千秋楽を迎えて、その翌日の午前中にはもう辞表を出していました。その時の上司も「急に呼び出して何や。辞めるんか」ってボケで言ったのに「実はそうなんです」って(笑)。

2009年6月11日に「スラッシュパイル」を立ち上げた。ちなみに会社名は出版用語で「ボツ(持ち込み原稿)の山」を意味し、片山が入社1年目の公園通り劇場で手がけた若手ライブのタイトル。原点回帰の決意を込めた。当初は文化人のマネジメントを中心に考えており、池上彰らを担当していた。

やっぱりお笑いもやりたいという気持ちが湧いてきて会社設立から2~3ヶ月でライブをやり始めました。最初は、せきしろさんがロフトプラスワンでやっていた「落合記念館ゲーム」(のちの「言語遊戯王」)を劇場で展開していこうと。もともとの企画も良くて、いわゆる「満員御礼」が続いていたんで、ひょっとしたら良い勘違いをしちゃったのかもしれません。やっぱり面白いことをやっていれば、お客様は入るんだと。でも同時に、これを継続するのは相当大変だぞとも思いました。

当時、僕の印象ではお笑いライブはそんなに陽の目が当たっていませんでした。お金にもならないし、テレビに直結するわけでもない。だから「なんでライブなんてやってんの?」くらいの温度感。ちょうど大きなお笑いブームが終わって、下火になっていた頃だったこともあって、お笑いを観に行くという習慣があまり根付いていないという感じはしました。

だから、ライブだけで生きていくのは相当しんどい。これは覚悟してやらなあかんと思って、毎日震えながら生きてました。今でも収入がゼロになる恐怖はありますよ。めちゃくちゃ怖いです。

当時のお笑いライブは、様々な芸人たちが自分たちのネタを披露するいわゆる「ネタライブ」が中心。「言語遊戯王」のような企画が立ったライブは少なかった。そこに鉱脈があると片山は考えた。

企画は、大きく分けて2つパターンがあって、ひとつは人からの逆算。どういう企画をやったらこの人は輝くんだろうと。どこかマネジメント目線が抜けないんです。もうひとつは、日常生活から笑いが起きる現象とかワードを見つけて、そこから広げていくパターン。

ずっと僕と『タモリ倶楽部』などをやっている構成作家の佐藤隆輔の2人でやっています。今だったら、あと1~2人増やしてもいいかもしれないんですけど、人数が増える分だけ、角も取れちゃったりするんで。この企画ならこの人、この人ならこの企画ってバチッと合う瞬間があるんですけど、そういう時はほぼほぼ成功します。

マネージャーの経験はブッキングにも大きく役立った。

断わられるときの間の取り方とか、何日後に返事が来るとか、そういうもので、これはなぜ断っているのかという理由を今一度考えるようにしています。これは本当に無理やなとか、これは説明の仕方が悪かったのかとか。僕はマネージャー出身で、その気持ちや考えは理解しているつもりなので、だから、自分で言うのも何ですが、ライブでここまで、いろんな芸人さんが出てくれているというのは、僕自身も企画に自信を持っているので、どうすればマネージャーに良い企画だと感じてもらえるかの説明の仕方が少し特殊かもしれません。

正直、最初は企画云々より、今田さんや極楽とんぼが「片山は元々マネージャーだったしな」とか言って、芸人さんも「一回出たろうか」と出てくださったところも実際のところあったと思うんです。でも段々と、「ライブでも、こんな面白い企画があんねんな」と思ってもらえたり、今まで出会ったことがない方と出会ったりできる場だと楽しみを見いだしてもらえるようになったんじゃないかなと思います。来てもらうからには、この人にとって、いいなという出会いをつくってあげたいなとは思いますし、それは企画を考える上でも意識します。そういうマネジメント目線というのは、僕の中では色濃く残っているような気がします。

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お笑いライブのイノベーション

多くの芸人にとって「テレビ」は憧れや目標であるのと同時に大きな収入源の場だ。けれど、現在はそれだけでは食べていけない時代になっている。名マネージャーでもある片山の目には、現在の芸人におけるテレビとライブの関係性はどのように映っているのだろうか。

芸人さんがこれから軸に置かなければならないのは「どれだけ多くのお客様を持つことができるのか」。これは間違いないと思います。それを芸人として証明する場所がライブ。そのお客様を自分のファンで居続けるようにつなぎとめるのがインターネット。そして、自分の認知度やポジションを広げてくれるのがテレビなんじゃないかと思うんです。だから、「ライブ」「テレビ」「ネット」という三角形をどれだけ綺麗に、大きく描けるかが、これからの芸人さんに求められるんだと思うんです。

テレビもありながらそれ以外の部分でマネタイズすることを意識することが大切。でもこれって本来当たり前のことなんです。たまたまこの50~60年は、テレビとお笑いの相性が良すぎてテレビに偏ってきたけれど、ミュージシャンならCDやライブ、役者さんなら映画や舞台とお客様の数を持っている人が強いというのがエンターテイメント。お笑いもその原点に戻っているだけの話だと思うんです。

スラッシュパイルは毎年増収増益を続け、興行収入はマネジメントの収入を超えるようになった。ライブの完売率は90%を超えるという。これはお笑いライブでは驚異的な数字だ。

やっぱり面白い企画を打ち続けるというのが一番大事だと思います。でも「スラッシュパイル」という名前で信用していただけるようになったのは、ここ1~2年のこと。10年続けてきた結果です。おかげさまで芸人さんにはいいお客さんだったと言っていただくことが多いです。変なところで笑わへんし、ちゃんと一言一言に、面白いところだけに反応してくれる、と。お笑いライブの単価って安いですが、うちは割と早い段階で値段を上げたんです。お客様は観たいものにはちゃんとお金を払ってくれる。自信のある企画にはそれだけの価値はあると値付けしていきました。

お客様から直接お金を頂いて生かされている商売ですから、僕は「お客様」を「客」と呼ぶこともできない。観に来てくださったからにはストレスなく観てほしい。たとえば、開場の際のお客様誘導。お笑いライブって結構ズルズルだったりしていたんですけど、僕は演劇の制作もやっていたから、狭いスペースにどれだけ効率的にお客様を入れていくというのをそこで経験したんです。そのノウハウをお笑いライブにも導入しました。ライブ自体を楽しんでいただくのはもちろんですが、気持ちよく入ってもらって気持ちよく帰ってもらいたいんです。

最近、Twitterとかを見て気づいたのが、「ライブが楽しみ」というのに加えて「フォロワーさんに会えるのが楽しみ」というつぶやきが多いんです。なるほど、ライブはそういう人との出会いも実現できる場になってきているんだなと。決して中身だけに来ているんじゃなくて、同じ価値観を持った人に会いに来る場所だというのはすごく大事なことだと思うんです。ひょっとしたら自分の町では1人かもしれないですが、そこに行ったら同じ話をして、同じく楽しめる人たちと会える。それはライブの喜びのひとつだなあと思います。

「お笑い興行界のイノベーションを起こしたい」と片山は今後の野望を語る。

まずひとつは、劇場を持ちたい。自分の劇場を持たずに死んでいく人生は考えられない。そして全国のファンの方が生でお笑いライブを楽しめるようにしたい。やっぱり、地方興行に行くと「待ってました!」、「なんでうちのほうにもっと来てくれないの?」という声をいただくんです。この間、京都で「山里亮太の140」というライブを開催した時、当日券に100人並びましたから! それを実現する“秘策”が僕の頭の中には既にあります。システム的にはいけるはずなんです。あとは本当に皆さんのご理解だけなんです。今はお客様を奪い合うんじゃなくて共有する時代。そうでなければ、興行界は広がらない。そこに残りの人生をかけたいと思ってます。

「山里亮太の140」より(提供:スラッシュパイル)
「山里亮太の140」より(提供:スラッシュパイル)

よくテレビとライブの笑いは違うと言われるが、片山は笑い自体は「実はそんなに違いはないのではないか」と言う。

ライブでできないけど、テレビでできる笑いというのはあると思いますが、テレビでできないけど、ライブでできる笑いは、裏話とか、エロや放送禁止的なものを除けば、意外とないと思うんです。むしろ、ライブの良さは、あの空間の中で、その一瞬でしかない、限られたところで、お客様と演者さんが時間・空間を共有しているという部分にあると思うんです。そこにこそ、お金を払っている。共犯関係とかいう言い方もしますが、そういうものをつくりに来ているんだと思うんです。僕らが改めて意識しなくちゃいけないのは、劇場というのは、テレビのような「日常」と違って、やっぱり「非日常」であること。お客様は、僕が思っている以上に、この1日、この瞬間のために生きている。特別な日として来てくださっている。SNSという便利なものが蔓延すればするほど、そのときにしかない生のものの価値がどんどん上がっていくんだと思います。

最近、興行というものが、改めて好きだと実感しているんです。よく考えたら、すごくないですか。ここより向こう側に行くためだけに3,000円とか現金を払って、扉を開けて中に入る。食事や物を提供するとかでもなく、人が何かやっているのを見せるだけでお客様から直接お金をもらっているんですよ。何と危うい商売なんだろうって。そこの危うさ、生々しさに、すごく今、魅了されています。“人”っぽいなあと思って。やめられないですよ。

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■片山勝三

1974年生まれ。兵庫県神戸市出身。1997年、吉本興業株式会社に入社し、今田耕司、極楽とんぼ、キングコング、南海キャンディーズらのマネージャーを歴任。2009年6月11日、株式会社SLUSH-PILE.(スラッシュパイル)を設立。

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【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

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ライター。テレビっ子

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』などにテレビに関するコラムを連載中。著書に戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮社)など。共著で『大人のSMAP論』がある。

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