今秋復活!『内村プロデュース』は何を変え、何を残したのか
2000年から2005年までレギュラー放送され、出演者や視聴者に深く愛された『内村プロデュース』(テレビ朝日)、通称『内P』が、2008年3月の単発SP以来、久々の“復活”を果たすことが発表された。今秋、テレビ朝日で放送されるという。
『内P』は、出演者のほとんどが芸人の、いわゆる「芸人番組」。彼らがロケ中、様々なシチュエーションで大喜利や即興コントを披露し、内村が「10ポイントッ!」などと採点していく番組だった。
この復活に際し、内村光良はこうコメントしている。
映画好きの内村らしいコメントだ。ちなみに内村念願だった商業映画初監督作品『ピーナッツ』のメインキャストの多くは『内P』メンバー。番組での関係性をそのまま活かした物語になっている。
内村光良の変貌
そんな内村にとっても、『内P』は大きなターニングポイントになった番組だった。
今では内村は、“芸人たちの心優しいリーダー”というイメージだが、『内P』以前は、相方の南原清隆から「白い悪魔」と形容されるほど、人見知りで他人に興味がないと言われてていた。飲み会にもほとんど参加せず、参加したとしても隅でマンガを読んでいたというエピソードが残っているほど。
だが、この番組の頃から後輩たちと積極的に絡むようになっていき、『内P』収録後はほぼ毎回打ち上げをしていたという。
本人はお酒が飲めるようになったからと理由を語っているが、実際のところは、“座長”としての自覚と責任感がそうさせたのだろう。コントを愛する男から、コントと芸人を愛する男へと変貌し、芸人たちの“リーダー”になっていったのだ。
レギュラーゲストという不思議な立ち位置で番組に参加したさまぁ~ず・大竹一樹はこう証言している。
だから、『内P』は三村マサカズも言うように「なんとかして内村さんを笑わせたい」と芸人たちが必死になりながら、心底楽しんでいる番組だったのだ。
三村に限らず、『内P』に出ていた芸人たちは異口同音に「特別な番組だった」と振り返る。それは視聴者にとっても同じだ。
番組終了から4年も経った2009年3月22日に行われたイベント「最初で最後の大謝恩会」には、2000名の定員に約7000名もの応募が寄せられた。それほど深く愛されていた番組だった。
失敗が失敗でない番組
バラエティ番組史から見ても『内P』はターニングポイントといえる番組だった。
それまで芸人が数多く出る番組は、ワチャワチャとしている中でもお互いのライバル意識が垣間見えてどこか殺伐としていた(もちろん例外的な番組もあるにはあったが)。ライバルのボケには笑わないというようなことも少なくなかった。
けれど、この番組は芸人同士、「仲がいい」ことを全面に押し出した。以降、それが大きな潮流となっていった。
第3回から出演し、番組最初のレギュラーとなった「溺愛されたいじめられっ子」こと、ふかわりょうは、番組の特徴についてこのように語っている。
そうした空気の中、さまぁ~ずも大きく変わっていった。それまでテレビでのさまぁ~ずは、ボケ・ツッコミの役割がハッキリしていた。
だが、『内P』では、本来ツッコミである三村が積極的にボケるようになったのだ。
その結果、三村は「唯一内村と戦える男」と評されるほど、番組のエース格となり、番組を引っ張った。「玉職人」なるキャラも生まれ、さまぁ~ず自体も完全に大ブレイクを果たしたのだ。
その他、TIM・レッド吉田の魅力を引き出したり、「猫男爵」のキャラなどで有吉弘行が再ブレイクの足がかりになったりと、まさに芸人たちを「プロデュース」した番組だったのだ。