大人の日帰りウォーキング 車のドライブでは気付かない 江戸時代から評判の富士山の名所楽しむ歩く旅
美しい里山の風景の中、木々や草の緑がとても鮮やかで、その間を縫うように古道が続いている。古道を横切るJRの線路に造られた踏切を渡って一息ついていると、遠くから電車の音が近づいてきた。山間の集落にある踏切を走り抜ける特急電車は、距離感が近く感じて迫力がある。一瞬で走り去った特急は、風格と余韻を残しながらも、電車の音は遠くへと過ぎ去り、静けさの中で鳥の鳴き声が響いていた。
良人と由美子の子育てを卒業したアラ還夫婦。江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を日帰りで歩き繋ぐ旅をしている。7回目になる今回は、山梨県のJR大月駅を出発して、約6kmを歩いてきた。
「下初狩宿は何番目の宿場だったかしら」
江戸時代に造られた街道と聞けば、東海道や中山道を思い浮かべる場合が多い。東海道と中山道は江戸日本橋より京都三条大橋まで造られた街道であり、その距離は東海道が493kmで宿場の数は53次、中山道では508kmで宿場は67次。
それに対し甲州街道では220kmの距離に対して宿場の数が47次もある。甲州街道では宿場が密集しているのも特徴の1つであり、いくつかの宿場で業務を分担している宿場も多くある。
「下初狩宿は日本橋から29番目の宿場で、次の中初狩宿と合わせて宿場業務をしていたらしいよ」
「甲州街道は宿場が多いわよね。さっきあった一里塚が25番目だったけれど、宿場はもう30番目になりそうだもの」
宿場間の距離を単純に計算すると、東海道が493km÷53次で約9.3km、中山道が508km÷67次で約7.6km。甲州街道では220km÷47で約4.7kmしかない。
一里毎に造られた一里塚間の距離が約4kmなので、宿場だらけに感じるのも無理はない。
そして、甲州街道の中でも、小仏峠から笹子峠の間にあり山間部でもあるこの辺りでは、宿場間の距離が一里(3.927km)も離れていない宿場密集区間でもある。
旧甲州街道より国道20号に合流すると、下初狩宿本陣跡と、その先では中初狩宿本陣跡だと思われる建物が残っているが、それを示す説明版などは無い。
建物の外観を見る限りではかなり古い建物に見える。先程あった下花咲宿本陣建物の様に間口が広く奥行きもあり、建物も大きくて立派である。
下初狩本陣跡では昔の郵便ポストが置かれており、集落の中で重要な役割をされていたのが解る、中初狩本陣跡には明治天皇が休憩された場所を示す石碑がある。
下初狩宿と中初狩宿の境目には笹子川の支流である宮川が流れている。その宮川に架かる宮川橋より、富士山が見えると言う。この辺りの甲州街道では唯一富士山が見える場所なので、「宮川橋の一目富士」と呼ばれ、当時の旅人の間でも評判になっていたという。
「見えているよ、富士山。頭だけだけれど、レアなスポットだね」
お天気が良いこの日は、頭だけの富士山がとてもきれいに見えていた。
「本当に、ちょうど頭だけが見えるのね。でも、さすがに富士山よね。頭だけなのに、存在感が強すぎるわね」
確かに、緑生い茂る里山の向こうから、真っ白な頭だけを覗かしている富士山。この辺りからなら富士山にも距離が近いので頭だけでも大きく見えており、山頂にある剣が峰もはっきりと見えている。
良人と由美子は写真に収めて、何だか気分が良くなる。車で走りすぎるのでは解らないよ、このうれしさ。そう思った。
中初狩宿を出発した二人は、次の白野宿へと向かうが、先に、宿場の手前にある白野の一里塚を探しに行く。
白野の一里塚は存在するようであるが、旧街道から少し離れている事と、簡単な説明しか確認できていない。Googleマップではストリートビューにもなかった。
一里塚を見つけられるか不安はあるが、何だか宝探しの様で楽しくもある。
「とりあえず行ってみようか」
そう言いながら、良人はリュックの中に手を入れてゴソゴソと手探りで自作のおにぎりを取り出して、大きく口を開けで頬張る。口の中一杯に広がる米粒をかみしめて甘味を感じながらも、汗をかくからと少し多めにした塩味が、何とも言えない美味しさである。日本人で良かったと思瞬間である。
歩く旅ではお腹が空く。かなり空く。日常生活だと1日に歩く時間は30分や1時間程度であることが多い。歩く旅では、ただ歩いているだけであるが何時間も歩き続けるので体力を使っている。
コンビニのおにぎりを購入することもあるが、コンビニのおにぎりでは食べ足りない事が多く、最近の物価高でおにぎりの値段も高く感じる。
それならば自分で作ればよいと思い、料理は苦手な良人であるが、おにぎりなら作れると由美子の分まで作ってきた。
良人が美味しそうにおにぎりを食べる様子を見て、由美子もお腹が空いてきた。良人が作った大き目サイズのおにぎりをリュックより取り出すと、少し潰れて形が変わっていたけれど、それも手作り感があって微笑ましい。由美子も大きく口を開けて頬張った。誰かに作ってもらった食べ物は、やっぱり美味しいと感じた。
国道20号である甲州街道を西に向かって歩き進み集落を抜ける。山間部ではあるが、幹線道路の国道20号なので、それなりに交通量は多い。笹子川に沿うように走る国道20を歩き進み、せり出している山の斜面を迂回するようにして先へと進む。
「ここを曲がってみようか」
次の一里塚を探そうと、国道20号沿いに滝子山登山道入り口の標識があるのを確認し、2人は山へと向かう道を歩き進む。道は舗装されているが急な傾斜であり、一歩一歩、足を踏みしめるようにして山へと向かって登っていく。
登山道のすぐ脇を流れる滝子川では、近所の子どもたちが楽しそうに笑い声をあげながら水遊びをしており、木陰から子どもたちを見守るお母さんたちも涼しげであった。
山道を横切るJR中央本線の高架橋の下を通り抜けると中央道が見えてきた。その脇にある道祖神がある場所が一里塚であった。側に建てられている木柱の文字は消えそうになっていたが、何とか読めた。
国道20号からはそんなに離れていないが、急な登山道を登るので、道を間違えていないかと心細く、本当に一里塚があるのかと不安になったが、とりあえずホッとして写真に収める。江戸東京日本橋から26番目の白野の一里塚であり、ここまで歩いてきた距離は約102kmになった。
この一里塚は、国道20号甲州街道から離れて山の斜面にある理由は、当時の甲州街道が山の斜面を登り、滝子川を上流で渡って次の宿場へと続いていたとあるが、現在では中央道の建設で古道は残っていない。
白野の一里塚が少し離れた場所にある理由に納得し、由美子は木陰にレジャーシートを広げた。
「少し、休憩しようか」
リュックをおろし、レジャーシートに座って凍らせて持ってきたスポーツドリンクをごくごく飲んだ。8割ほど溶けている状態は冷たくて飲み頃だった。吹いてくる風が涼しくて気持ち良い。ふ~、自然に口から息が出てきた。
休日にリフレッシュをするには日常と距離をとるのが良いと言われている。日常ではない場所を歩いて旅をする。長い距離を歩くのも非日常でもある。ここまで歩いてきた里山の美しい風景、川のせせらぎ、自然の中を歩きながら、ゆっくりとじっくりと楽しめるのが歩く旅の楽しさだろう。
「これも、食べない?」
由美子は保冷バックの中からサラダチキンを取り出した。
「おにぎりに良く合うじゃないか」
おにぎりの糖分とサラダチキンのたんぱく質は最強の組み合わせだ。それに加えて低脂肪であり、この年齢の体に優しい。
休憩しながら青空の下で食べる食事は、とても美味しい。最高のご馳走だと感じ始めている。
体を動かして、きれいな景色を楽しみながら、美味しい食べ物を食べる。何だか、心が清々しくなっていると実感した。