大人の日帰りウォーキング 日帰りで歩き繋げる旅はもうすぐ100km 歴史や自然を楽しむ街道を歩く旅
天気は快晴という言葉が良くあう、雲一つない青空が広がっている。
良人と由美子夫婦は、山梨県にあるJR大月駅へと向かう電車に乗っていた。都内から乗り継いできているが、節約モードの2人はもちろん在来線である。特急に乗るよりは時間がかかるが、その分は早起きをして自宅を出発した。
江戸時代に造られた五街道の1つである甲州街道を、日帰りで歩き繋いでいる2人。江戸東京日本橋を出発して7回目になる今回は、前回終了した大月駅から出発する。
江戸時代初期に造られた旧街道であるが、街道沿いに宿場が整備されて人々が住むようになり、明治時代以降も集落である街を通るように鉄道や道路が整備されている。旧街道を日帰りで歩き繋ぐ旅をするには、要所に駅があるので計画を立てやすいし、何かの時にも心強い。
電車がJR大月駅に到着すると、多くのハイカーが降りていく。その人の波に流されるように良人と由美子も電車を降りて駅構内を出た。ログハウス風の駅舎がかっこ良い。
快晴の青空を眺める。よく来たねと、何だか自分たちが歓迎されているような気分になる。駅外にあるお手洗い立ち寄り、丸太のベンチで支度をしてから歩きはじめる。
駅のロータリーに出ると直ぐに西へと曲がり、歴史ある商店街を通っていく。旧甲州街道沿いであり駅前でもある通りには、昭和の雰囲気がたっぷりと残されている。かつて多くの人々で賑わったのだろうと感じる通りには、シャッターが閉まっている店が多くあり、何だか切ないけれど仕方がない。地元の長く営業していそうなパン屋さんを見て、何だか懐かしくも感じた。
大月市周辺は国道20号の渋滞緩和の為にバイパスが整備されているので、大月駅近くを車で通ることは殆どなかったので、何だか新鮮な気分で足を進めていた。
大月市内を走る国道20号と合流した旧甲州街道は、旧大月宿脇本陣跡の前を通ると、その先に富士山道追分があり、常夜灯と石碑がある。石碑には、「左富士山道、右甲州街道」ときざまれており、この場所から富士山へと続く道と分かれている。
都内より甲州街道を歩いてくると、小仏峠をこえて相模湖付近より沿うように歩いてきた桂川(神奈川県内では相模川)とはここで別れる。桂川は富士五湖の1つである山中湖が水源であり、山中湖を含む富士五湖の中で唯一流れ出ている川である。
「富士五湖から流れてくる川があったのね」
由美子が言うと、
「じゃ、この先の甲州街道は、何と言う川に沿っているのだろう?」
良人はスマフォを取り出して調べると、納得する答えが出てきた。そして、由美子が不思議そうに答える。
「笹子川、だよね」
そうだった。旧甲州街道も、国道20号も、中央高速道路も、そしてJR中央本線も。この先の甲府盆地へ抜けるために、笹子峠へと向かっている。その峠である分水嶺から流れてくる川は笹子川であり、笹子川はこの場所で桂川と合流していた。
気を取り直して先に進もうか。桂川を橋で渡り、先へと続く道と山と空の景色に癒やされる。
「多分、ここだわ。下花咲の一里塚」
自称、一里塚ハンターを名乗る由美子は、国道20号沿いのコンビニの向かいに石碑や石仏が並んでいる場所をみてそう言うと、その沢山並ぶ石碑をどのように写真に収めるかで四苦八苦していた。いろいろな角度を試して頑張ったが、結果は看板の柱が真ん中に写ってしまい、何を撮りたいのか良く解らない写真になっていた。その先に一里塚の説明版も立てられていたが、植木に囲まれており、見逃してしまいそうでもあった。
下花咲宿には当時の本陣建物が残っている。
甲州街道には45の宿場があったが、その中で現在でも残っている本陣は2か所しかない。1か所は現在の神奈川県相模原市にある小原宿本陣で、もう一か所は大月市にある下花咲宿本陣である。
「甲州街道に面する間口が広い、立派な建物だよ」
国道20号に面して建てられている建物の前には、本陣と書かれた石碑が立てられている。問屋と庄屋も同時に勤めたとあり、建物は幕末の1836年に焼失後に再建されたとある。残念ながら見学することは出来ないが、外から見ただけでも立派な建物であるのは良く解る。(星野家住宅:富士納豆ホームページ 外部リンク)
下花咲宿は甲州街道で27番目の宿場であるが、その先の28番目の上花咲宿とは600m程しか空いていなく、宿場業務は半月ごとの交代で行っていたと言われている。
甲州街道は国道20号バイパスと合流し、富士山方面へ向かう高速道路の高架下を歩き先へと進むと、親鸞聖人と書かれた石碑があった。旧街道歩きをしていると、石仏や石碑を見かけることが多くあり、芭蕉の句碑もよく見かけるが、親鸞聖人は初めて見る。交差点の角に建てられているが、ちょうど歩道橋が覆いかぶさるように造られているので、何となく目立たないのが残念でもある。
集落を抜けると、笹子川沿いにまっすぐに伸びる国道20号を進むが、旧甲州街道は途中で橋を渡り、対岸へと向かっている。笹子川の川岸を削って作られている様に見える国道20号なので、江戸時代は崖だったのだろう。
「美しい景色ね、何だか気持ちが良いわ」
由美子が言いながら、スマフォで写真を撮っている。有名な観光地でもなければ、珍しい何かがある訳でもない。目の前に広がるのは、山間を穏やかに流れる笹子川と、田園と、向こうにある山と青空。ただ、それだけの景色なのに美しい。足を止めると、気持ち良い風が吹いてくるのにも気が付く。
確かに、気持ちが良い。そして、何だかホッとする。自然って良いよな。
国道20号の対岸にある自然豊かな旧甲州街道を進むと、石仏とお社があった。
「この辺りに一里塚があったらしいけれど、詳しい場所は解らないそうだよ」
良人が言うと、由美子はフーンと言いながら写真に収める。いくら夫婦でも、先に説明をされた事が何となく腑に落ちないのだが、そこまで調べられていなかったのは由美子のほうなので仕方がない。おばさん特有の面倒に感じるところであるが、良人はスルー力が高いので気にすることは無い。スルー力は人間が生きていく中で必要な能力でもある。
この場所にあったと言われる「丸山の一里塚」は江戸より25番目の一里塚である。一里は約3.927kmであるので、約98kmになる。
「もうすぐ100kmにもなるのね。100kmを歩いてきたなんてすごいよね」
歩いて100kmか…
現代の世の中で100kmを歩く体験をする人は中々いないだろう。もちろん日帰りで歩き繋いできたけれど、人間やれば出来るじゃないか。
良人と由美子は1日に15kmを目安に歩き繋いで今回で7回目。100kmを15kmで割ると6.6…なので、計算ではピタリと合っている。江戸時代に造られた旧甲州街道は江戸日本橋より信州下諏訪宿までの53里24町であり、約210km。もうすぐ、甲州街道の中間点にたどり着けそうであるが、甲州街道の中間地点に目印のようなものが無いのが残念である。
旧甲州街道を横切るJR中央本線の踏切を渡ると下初狩宿だ。説明版を読もうとしていると、線路を特急が走ってきた。慌てて写真を撮ろうとするが間に合わず、何だか中途半端な写真になったけれど、旧街道と特急の時間の流れの違いを感じる気もする。
「特急、かっこいいね」
電車は嫌いではなく、むしろ好きでもある。電車の旅もしてみたいと思う。しかし、電車の旅と歩く旅では、同じ旅でも全く別楽しみ方である。一瞬で通り過ぎるけれど、電車の車窓から見える景色も美しい。そして、歩く旅で感じる自然の景色も美しい。そして、歩く旅でゆっくりと流れる時間の中ではいろいろな発見があり、それも楽しいと実感している。
甲州街道を歩く旅
最初の話:意外と知らない便利な交通手段は高速バス 楽で便利に移動して楽しむ歩く旅
前回の話:運動に関心が無い夫と別行動、妻がひとり旅を計画したら予想外の展開になった話
番外編:アラフィフ夫婦の歩く旅 あなたと越えたい峠越え
- 参考書籍
- ちゃんと歩ける甲州街道 五街道ウォーク・八木牧夫
- 歴史と文化を訪ねる日本の古道・五街道②中山道67次 甲州街道45次 教育画劇