アメリカvs.イランで深まるイラクの混迷――漁夫の利を得るIS
- アメリカとイランの対立は、イランから支援されるシーア派が力をもつイラクでも激化している
- 政治の混迷により、都市の治安対策が優先されるなか、イラク北部の山岳地帯ではISが勢力を盛り返している
- さらに、アメリカとイランの勢力争いはイラクの宗派対立も激化させており、これはISにとってメンバーをリクルートしやすい環境を生む
新年から不吉で申し訳ないが、一時は衰退したと思われていたイスラーム国(IS)が今年、息を吹き返す恐れが大きい。アメリカとイランの対立の激化は、これを後押しするとみられる。
イラクへの飛び火
アメリカとイランの対立はペルシャ湾だけが舞台ではない。なかでもイラクをめぐる両国の争いは、ISの復調を促す一因になりかねない。
ISはイラクですでに勢力を回復し始めているのだが、その前にまず最近のイラク情勢をみていこう。
2019年の暮れ、12月31日にアメリカ軍はイラクの武装組織「神の党旅団」(カタイブ・ヒズボラ)を攻撃。25人以上の死者を出した。神の党旅団はイランに支援される、イラクのシーア派武装組織の一つだ。
アメリカ政府はこの攻撃を、12月27日にイラク北部キルクークにあるアメリカ軍施設がロケット砲で攻撃されたことへの報復と説明している。
しかし、後で触れるように、神の党旅団は決して反政府勢力ではなく、むしろイラク政府を支える立場にある。
そのため、アメリカ軍による攻撃はイラクの反米感情に火をつけ、首都バグダードではデモ隊がアメリカ大使館に押し寄せた。これに対して、トランプ大統領は抗議活動がイランの策謀と断定し、大使館員に危害が加えられたりした場合、「イランは大きな代償を払うことになる」と警告している。
ただし、問題の発端となったアメリカ軍施設への攻撃が神の党旅団によるものという証拠は明らかではない。
イラクの政変とアメリカvs.イラン
イラクをめぐってアメリカとイランが綱引きを演じるのは、今に始まったことではない。
2003年のイラク侵攻でフセイン政権を倒した後、アメリカは新生イラクの政府、軍の後ろ盾になった。その一方で、イラク人口の約6割はシーア派が占め、シーア派の中心地であるイランはイラクに大きな影響力をもつ。
この対立は、イラクに広がる反政府デモをきっかけに拡大してきた。
イラクでは生活苦などを背景に2017年暮れ頃から反政府デモが各地で頻発。昨年10月には夜間外出禁止令が出された。
これまでのイラクでは、シーア派中心の政府にスンニ派住民が抗議するという構図が一般的だったが、インフレや失業の増加により、多くのシーア派住民もデモに参加するようになっている。
反政府デモが広がるなか、2018年10月に就任したアブドル・マフディー首相は、シーア派出身だがスンニ派にも多くの人脈をもち、宗派間の架け橋になることが期待された。そのため、アメリカからも支援されている。
シーア派武装組織の危機感
ところが、「宗派間の融和」は、これまで政府の中枢を握ってきたシーア派の既得権益層からすると、脅威でしかなかった。
イランから支援されたシーア派武装組織は、2014年にISが台頭した際、アメリカに訓練されたイラク軍がこれに手を焼くなか、ISの拠点制圧などで大きな戦果をあげた。その結果、シーア派武装組織は政府を支える立場にあると同時に、大きな政治的発言力をもつに至った。
実際、神の党旅団などシーア派武装組織の連合体である人民動員隊は、要衝モスル奪還後、治安機関に編入されている。
こうしたシーア派武装組織にとっては、シーア派が権力を独占する体制こそが望ましい。そのため、人民動員隊はスンニ派住民が数多く含まれる反政府活動を、実弾を発砲するなどして取り締まりにあたってきたのである。
イラクをめぐる縄張り争い
しかし、苛烈な取り締まりにもかかわらず、反政府活動は収まる兆しをみせない。
政治の混迷が深まるなか、宗派間の架け橋になることを期待されていたアブドル・マフディー首相は昨年12月に辞任を表面。次期首相が決まるまで暫定的に首相ポストにとどまることになったが、もはや「死に体」に近い。
こうしてアメリカに支援されるイラク軍より、イランに近いシーア派武装組織の方が影響力を増している。
冒頭で述べた、アメリカ軍による神の党旅団への攻撃は、このようなイラクをめぐるアメリカとイランの縄張り争いのなかで発生した。イランを封じ込めようとしているアメリカにとって、イラクでイランがこれ以上勢力を伸ばすのは無視できないのである。
とはいえ、アメリカ軍による攻撃は、むしろ逆効果に近い。アメリカ軍の攻撃を受け、イラク政府は「アメリカとの関係を見直す」と発表。イラク政府はこれまで以上にイランに接近しかねない情勢にある。
漁夫の利を得るIS
この混迷は、ISにとってはチャンスと映ることだろう。
ISは一時の勢いを失い、イラクやシリアの重要拠点を次々と奪還されてきた。そのなかでアフリカや南アジアなどに移動するメンバーも増えている。
しかし、その一部はシリア国境に近いイラク北部の山岳地帯に潜み、この地で勢力を盛り返しつつあるといわれる。それを可能にしている一因は、イラクの混乱だ。
イラクの実権を掌握しつつあるシーア派武装組織と、これをけん制するアメリカやイラク軍の関心は、バグダードなど都市に集中していて、北部の山岳地帯にまで手が回らない。
イラクではこの他、少数民族クルド人の武装組織ペシュメルガもISと戦ってきた。しかし、ペシュメルガはクルド人居住地域の外での戦闘にはほとんど関わらない。
その結果、イラク北部の山岳地帯は事実上ISの縄張りになっている。この地には、ロシアのチェチェンなどから過激派が流入しているともいわれる。
ペシュメルガの幹部は英BBCのインタビューに対して、「ISは再建段階を過ぎた」と述べ、政情不安がISを利するもので、このままではISが以前にも増して勢力を大きくすると警鐘を鳴らしている。
反米が加速させる宗派対立
これに加えて無視できないのは、アメリカとイランの対立が深まるほど、ISにとって新規メンバーをリクルートしやすくなることだ。
アメリカがイランに圧力を加えるほど、イラクのシーア派武装組織も反米で結束しやすくなる。しかし、政権を握るシーア派の宗派意識が強まるほど、スンニ派はさらに疎外感を味わうことになりかねない。
2014年にISが台頭した時、イラクのスンニ派住民の間には、自発的にISに参加する動きが広がった。そこには、シーア派主導の政府による差別的な扱いへの不満と、宗派で共通するISへの期待があった。
そのため、反米感情に突き動かされたシーア派がイラク政府における実権をこれまで以上に固めれば、スンニ派は排除されやすくなり、それは結果的にISがメンバーを集めやすくなる。
こうしてみた時、アメリカとイランの対立のエスカレートは、イランの核開発だけでなく、ISの息を吹き返すものという意味でも、世界の安全を脅かすものになりかねないといえるだろう。