イラク軍のラマディ総攻撃が仮に成功してもイラクの安定が遠い理由―「人間の盾」か、「政府への盾」か
12月22日、イラク軍は過激派組織「イスラーム国」(IS)が支配する、バグダッドの西100キロの地点にある要衝ラマディに侵攻を開始しました。数日前からイラク軍は空からビラをまき、住民に対して総攻撃が始まるので街から離れるように伝えていました。しかし、ISが住民を「人間の盾」としているため、解放には2~3日かかるとCNNは伝えています。
ラマディをめぐっては、米国とイラクの間の火種にもなっていました。米国はイラク政府からの要請に基づいて2014年8月からイラクでISへの空爆を行ってきましたが、今年5月にラマディがISに占領された際、アシュトン・カーター国防長官が「イラク軍兵士の戦う意志の欠如」を批判。この発言に対して、イラクのハイダル・アバディ首相が「信じがたい」と反発し、やはりISと戦闘を行っているイランも「米軍がラマディ防衛でイラク軍を支援しなかった」とイラク政府を側面支援するなど、この地をめぐる外交的な応酬が繰り広げられていました。今回の作戦で、イラク軍は米国が主導する有志連合の航空機による支援を受けて侵攻しており、ラマディをめぐる軋轢はひと段落したといえるでしょう。
ただし、その成否は予断を許さないものの、仮にイラク軍によるラマディ攻略が成功したとしても、それが自動的にイラクの安定に結びつくかは疑問です。それは、イラク政府やイラク軍そのものが、ラマディを含むイラク西部のアンバール県で、必ずしも支持されていないことによります。
イラクにおける宗派対立
アンバール県はスンニ派の住民が多い土地で、もともとイラク政府との間には摩擦が絶えませんでした。それは、2003年のイラク戦争で倒された、サダム・フセイン体制の時代にまでさかのぼる、深い因縁に端を発します。
イラク戦争後、2006年5月に新憲法に基づく選挙を経て、ヌーリー・アル・マーリキー首相を首班とする政府が成立しました。これは、イラクで初めて、民主的な選挙で選出された政権でした。「フセイン政権が大量破壊兵器をもっている」というフィクションに基づいてイラクを一方的に攻撃し、これで批判されていたジョージ・ブッシュ大統領(当時)は、「独裁者を倒してイラクに民主化をもたらした」と胸を張り、その成果を喧伝しました。
ただし、確かに民主的な選挙だったものの、そもそも人間が作ったものである以上、民主主義や選挙もまた万能ではありません。有権者が候補や政党を選ぶ選挙には、国民の間の違いを表面化させる「社会的遠心力」を働かせる効果があります。
イラク人口の約60パーセントはシーア派が占めます。イラクは大産油国ですが、油田はスンニ派の主な居住地域には少なく、シーア派や少数民族クルド人の居住地域に多くあります。イラク戦争で倒されたフセインは、自らの出身で、イラクで少数派のスンニ派で政権を固めていました。そのため、フセイン政権時代にシーア派やクルド人は政治的に抑圧されただけでなく、「イラク・ナショナリズム」の大義のもとで国有化された油田の収益は、しかしスンニ派に優先的に配分されていたのです。
新憲法のもとで実施された選挙では、頭数が勝敗を決するルールからすると当たり前の結果として、多数派であるシーア派が議席の過半数を占めることになりました。首相に就任したマーリキーもやはりシーア派で、彼はイラクとしての一体性を強調したものの、それ以前の経緯を反映して、その政権運営は徐々にシーア派優遇に傾いていき、政府の要職をシーア派が占めるようになったのです。その結果、例えば各州政府に対して石油収益の多くを連邦政府に納入させるなどしたため、フセイン政権時代にやはり「冷や飯を喰わされた」クルド人との間でも摩擦が大きくなりました。つまり、イラク戦争の前後で、選挙が行われるようになり、その結果として人口バランスを反映して支配的な宗派が入れ替わったものの、政府の支持基盤である特定宗派が優遇される構図には何も変化がなかったといえます。
アンバール県における反政府感情の発露
このような宗派対立のもと、スンニ派の多いアンバール県でも、シーア派中心の政府との軋轢は2014年のIS台頭以前から既に表面化していました。アンバール県では、2008年頃から反政府抗議デモが散発的に発生していましたが、その多くは治安部隊によって強圧的に取り締まられていました。それはこの地の反政府感情を増幅させたのです。
2013年4月には、デモ鎮圧の際に治安部隊の発砲で数十名のスンニ派住民が死亡しました。これに関してマーリキー政権が「デモ隊にアルカイダのメンバーが紛れていた」と強調して発砲を正当化し、さらにこの件で政府の責任を追及していたアンバール県選出のアフマド・アル・アラウィ議員が12月に突如逮捕されたことは、この地の政府批判を決定づけました。その結果、アンバール県のスンニ派部族長らはそろってテレビ演説を行い、「息子たち」にイラク軍からの脱退を呼びかけるに至ったのです。
このようにイラクで宗派対立が蔓延していた状況で、2014年6月に突如として世界の注目を集めたのが、イラク北部からシリア東部でのISの「独立」宣言でした。イラク北部を制圧していたISがバグダッドに向けて南下し始めるなか、スンニ派のなかには、自発的にISに参加する人々も現れました。それは、シーア派を露骨に優遇するマーリキー政権への反発から、スンニ派で共通するだけでなく、戦闘員に平等に給与(月額1,000ドルともいわれ、この金額はイラクの中間層の所得にあたる)を支給するISにつく人が続出した結果でした。
ただし、もちろん全てのスンニ派が当初からISを支持したわけではありません。実際、例えばアンバール県の部族長らは、ISが台頭した直後、マーリキー政権に対して、ISと戦う意思を表明しました。ところが、マーリキー政権は正規軍だけでなくシーア派の民兵組織を動員し、これに武器を提供してISとの戦闘に向かわせた一方、アンバール県の部族長らに代表されるスンニ派に対してはその限りではなかったのです。ISの台頭という脅威に直面してなお、マーリキー政権はシーア派優遇とスンニ派排除を貫徹したといえるでしょう。
6月4日、アンバール県のスンニ派部族長らは、そろってISへの忠誠を表明しました。迫りくるISに恭順しなければ、住民が殺害される危険性があったことも否定できません。しかし、マーリキー政権の一連の行動が、アンバール県の部族長らをIS支持に向かいやすくしたこともまた確かです。
米国のジレンマ
イラク戦争後、米国はイラク政府の後ろ盾となってきました。イラク戦争をきっかけに、それまでフセイン政権によって封じ込められていたアルカイダなどテロ組織の活動が活発化したこともあり、戦火を開いた当事者として、米国は「後始末」をつけようとしてきたといえます。
その間、イラク国内の不公正に米国が常に寛容だったともいえません。
新生イラクでは比例代表制や連邦制が導入され、厳格な三権分立を旨とする大統領制ではなく、行政府と立法府の日常的な協議が可能な議院内閣制が採用されています。これらはいずれも、多くの宗派や民族が混在するイラクで、少数派を排除せず、区画ごとの協議と妥協による統治を企図した制度設計で、やはり文化や民族の違いが目立ち、多数決の原理をまともに適用することが社会の分裂をもたらしやすい、ヨーロッパ大陸のベルギーやスイスなどの「多極共存型民主主義」に範をとったものです。ただし、いかなる制度も、その運用次第では、特定の集団の利益を優先させるものになり得ます。
マーリキー政権によるシーア派優遇が鮮明になりつつあった2007年8月、ヒラリー・クリントン国務長官(当時)はこれがイラクの統一を妨げていると批判しました。イラク戦争を一方的に開始したことは非難されるべきとしても、ここからは「民主的な選挙の結果」を錦旗とすることがイラクにもたらす危険性に関する、米国のバランス感覚を見出すことができるでしょう。
とはいえ、その後マーリキー政権が米国批判とナショナリズムを叫び始め、やはりシーア派で共通するイランと距離を縮めたことで、米国も実質的にはイラク政府に影響力を行使しにくくなりました。IS台頭の責任を負ってマーリキー首相は2014年8月14日に退陣を余儀なくされたものの、少なくとも現在のイラク政府もシーア派中心で、さらにこれを支援することが米国にとっての利益であることに大きな変化はありません。そして、その観点からすれば、ISは無条件に「悪」であることになります。
「人間の盾」か、「政府への盾」か
これらの背景をみたとき、冒頭で紹介したCNNの報道は、当然のこととはいえ、米国的バイアスの強いものといえるでしょう。
ISが従わない者を虐殺することは非難されるべきです。また、一方的に国境を変更することも、既存の国際システムを不安定化させる以上、容認できるものではありません。さらに、戦闘機や戦車を大規模に投入したイラク軍・有志連合と正面から衝突するための対抗手段が乏しい以上、CNNがイラク軍の発表として伝えているように、ISが住民を「人間の盾」として利用することは、十分に考えられることです。
ただし、その一方で、ラマディを含むアンバール県において、人々がISを「イラク政府への盾」にしてきた側面もまた見逃せません。
ISはイラクやシリアだけでなく、イスラーム圏全域で勢力を広げましたが、それを単に恐怖によって人々を縛り上げたとみたのでは、事態を捉えそこなうことになります。少なくとも、その支持者の多くにとって、ISは既にある様々な矛盾に対する一つの解決策を提示するものと映ったとしても、不思議ではありません。いずれにせよ、かつての西部劇の黄金パターン、「野蛮なアメリカ先住民がいたいけな白人を無慈悲に扱っているのを勇敢な第七騎兵隊が救う」を思い起こさせるような、単純な敵―味方、善―悪の思考で割り切れるほど、世界は単純ではありません。
この単純化された世界イメージは、「ISという一種のガン細胞は、軍事的手段で外科手術のように切り落とせば、カタが付く」という思考に行き着きやすいものです。しかし、これまでみてきたように、アンバール県の住民をはじめ、少なくないイラクのスンニ派住民が「自発的に」ISを支持したことに鑑みれば、「ガン細胞」の増殖は、国家や社会に蔓延する不公正という名の、いわば「生活習慣」を大きな背景にしているといえます。つまり、宗派間、民族間の対立の温床を改善するという、いわば「ガンになりにくい体質にするための漢方治療のような」長期的な社会改革が実現しない限り、イラク軍や有志連合によるラマディ攻略が成功したとしても、それでISの脅威を一時的に抑制したものにすぎなくなります。
欧米諸国の若者が戦闘員として参加するために数多くシリアに渡航したように、ISの台頭は社会の不公正を映し出す鏡でもあります。言い換えると、力ずくでの解決だけを目指しても、アルカイダが勢力を落すのと入れ違いにISが台頭したように、第二、第三のISが生まれることは十分に予想されます。その意味で、仮にラマディ攻略が成功したなら、それからがイラクにおけるIS撲滅のための長期的な取り組みのスタートになるといえるのです。