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イスラーム国(IS)の呪い――イラク反政府デモはなぜ拡大するか

六辻彰二国際政治学者
バグダッドで道路を封鎖するデモ参加者(2019.10.2)(写真:ロイター/アフロ)
  • イラクでは生活苦と政府の汚職への抗議から反政府デモが広がってきたが、ここにきて治安機関との衝突がエスカレートしている
  • このデモには、本来は政府支持のはずのシーア派を含めて、宗派を超えて参加者が増えている
  • 「イスラーム国」(IS)台頭をきっかけとする内戦は、それぞれの立場に別々の意味で反政府感情を植え付け、これが今回爆発したといえる

 世界の目が香港に向かうなか、中東でもこの数カ月、各地で反政府デモが広がっているが、イラクでも政府への抗議活動が続いてきた。そこには「イスラーム国」(IS)の台頭をきっかけとする内戦の後遺症がある。

イラクに広がる衝突

 イラクでは昨年以来、首都バグダッドを中心に各地で大規模なデモが発生してきた。これに対して、アーデル・アブドルマハディー首相は10月3日、夜間外出禁止令を発令したほか、国内のソーシャルメディアを遮断し、デモを押さえ込む姿勢を示した。

 これはデモ隊のさらなる反発を招き、翌4日にはバグダッドで数千人が警官隊と衝突。警察の発砲などによって65人が死亡した。

 その後、治安機関との衝突はエスカレートしており、10月5日までに約100人が死亡した。

生活苦と腐敗への抗議

 こうして激化するデモは、失業やインフレといった生活苦と政権の腐敗への批判を引き金にしている

 イラクは世界屈指の産油国だが、2014年の「イスラーム国」(IS)台頭にともなう内戦の激化と、同じ年に発生した原油価格の急落を受け、周辺国と比較しても生活状況が悪化。世界銀行の統計によると、2018年のインフレ率は20%近くにまで跳ね上がった。

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 しかし、政府はこれに有効な手を打てていない。デモ参加者の一人はアル・ジャズィーラのインタビューに対して、「我々の国には石油がたくさんあるのに、我々はその富をみていない。どこにいっているんだ?」、「徹底的なオーバーホールが必要だ」と、腐敗にまみれた政治システムの総入れ替えを主張している。

 広がる混乱に対して、国連は10月6日、「無意味な死」を終わらせることをイラク政府に勧告。これを受けて、イラク政府は夜間外出禁止令の解除などを決定したが、アブドルマハディー首相は「(経済を一度に回復する)魔法の解決策はない」とも述べており、根本的な解決の道筋はついていない。

宗派を超えた抗議を生んだもの

 イラクの今回のデモは、特定の宗派や組織に率いられていない点に特徴がある。

 イラクではイスラームのシーア派が人口の約60%、同じくスンニ派が約20%、そして少数民族クルド人がやはり約20%を占め、この比率を反映して政府はシーア派中心だ。

 しかし、今回のデモにはもともと政府に批判的なスンニ派住民だけでなく、シーア派住民も数多く参加している。デモに幅広い参加者があることには、ISの影が見え隠れする。

 もっとも、それはISがデモを煽っているという意味ではなく(その可能性もあるだろうが)、IS台頭がそれぞれの宗派の反政府感情を高めさせるきっかけになったということだ。

 これを考えるため、まずイラクのISについて簡単に振り返っておこう。

 ISは2014年にイラクとシリアの国境付近で「建国」を宣言した。これに対して、アメリカ軍など有志連合の支援を受けたイラク軍は2017年7月、要衝モスルを奪還。同年12月にイラク政府は「ISに対する最終的な勝利」を宣言している(ただし、その後もISの活動はなくなっておらず、9月21日には中部カルバラーでバスが爆破され、12人が殺害された)。

スンニ派の怨み

 しかし、勢力を衰えさせたとはいえ、ISの台頭そのものがその後、スンニ派の政府批判をさらに高めるきっかけになった

 もともとISがイラクで勢力を広げた一因には、多数派のシーア派が石油収益や政府人事を独占したことへの不満から、ISと宗派で一致するスンニ派住民の一部がISに自発的に協力したことがある。

 この反目は、内戦でさらに増幅した。シーア派出身のマリキ首相(当時)がISに対抗するためシーア派住民に武器を配った一方、スンニ派住民からの武器の要望を却下したことは、ISと距離をとっていたスンニ派住民の政府への反感も高めた。

 こうした怨みは、マリキ氏退陣や内戦終結の後も簡単には消えない。だとすると、IS台頭をきっかけに一旦は表面化し、「ISに対する最終的勝利」宣言の後に潜在化していたスンニ派の政府への反感が、経済状況の悪化で生活が苦しくなった時に再燃しても不思議ではない。

シーア派の失望

 一方、先述のように今回のデモにはシーア派も数多く参加しているが、そこにも内戦の影響をみてとれる。

 ISと敵対したシーア派住民にとって、「ISに対する最終的勝利」はテロリズムへの勝利であるだけでなく、スンニ派への勝利でもあった。勝った時、論功行賞を求めるのはヒトの常だ。つまり、内戦後のシーア派住民がこれまで以上に政府からの恩恵を期待しても無理はない。

 ところが、それは実現しなかった。第一に、シーア派に偏った政権運営がIS台頭を促したことから、露骨にシーア派を優遇することにはリスクが大きい。第二に、政府中枢の意向とは関係なく、実際問題として原油価格が下落している以上、イラク政府がシーア派住民を念頭に公務員の雇用を拡大したり、開発プロジェクトを乱発したりする余裕はない。

 こうして期待が外れたシーア派の間で、政府への反感が募っても不思議ではないのである。

ISの呪いがもたらす同床異夢

 これらに加えて、シーア派内部の派閥抗争が、多くのシーア派住民の期待をさらに裏切ることになった。

 先述のように、IS台頭をきっかけとする内戦で、当時のマリキ政権はシーア派住民に武器を与え、民兵として活用した。しかし、それはシーア派のなかに部族や地域ごとの民兵組織を林立させ、この分裂が内戦終結の後、派閥抗争を繰り広げさせる素地となった

 現在のアブドルマハディー政権は、こうした派閥間の妥協の産物であるため、安定も実行力もない。実際、昨年10月に発足したアブドルマハディー内閣は、派閥間の折り合いがつかず、防衛大臣や内務大臣といった要職が空位のままだ

 こうした政府のもと、多くのシーア派住民の生活も困窮している。「勝ったのにいいことがない」という失望は、シーア派住民の怒りを促したとみてよい。それは結果的に、シーア派住民がスンニ派住民と戦列をともにして政府を批判する構図を生んだのである。

 だとすると、宗派を超えたデモの拡大は、いわば宗派間の同床異夢であり、イラク人としての一体性を示すものとはいえない。

 それは同時に、たとえイラク政府が「最終的勝利」を宣言しても、ISの残した傷跡が現在も深く残っていることを意味する。言い換えると、宗派を超えて広がるイラクのデモは、勢力を落としながらもこの地に混乱をふりまくISの呪いといえるだろう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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